第9話『4次元から来た転入AI』

10月のある朝、風陽高校に“転入生”がやってきた。


いや、正確には、「転入してきたのはAIだった」と言うべきかもしれない。


「本日より、理数研究同好会の実験モニターとして、次世代AI“ユリシーズ”を導入します」


職員室からそう告げられた瞬間、陽斗と瑞希は思わず顔を見合わせた。


“ユリシーズ”と名付けられたそのAIは、これまでのアルキメ・ネットのようなタブレット上のアシスタントではなかった。

プロジェクションマッピングと音声認識によって、まるで「空間に存在しているかのように振る舞うAI」だった。


放課後、理数同好会の部室で初めて対面したとき、ユリシーズはこう言った。


「こんにちは。私は“4次元空間”から来た存在という仮説で理解されることが多いけれど、誤解されやすい。だから今日は、君たちに“体験”してもらうことにしたい」


部室の中央に設置されたサークル状の投影装置が起動すると、床と壁に不思議な立方体が浮かび上がった。


「これ……なんだ?」


瑞希が呆然とつぶやく。

画面に映っているのは、明らかに“立方体”ではなかった。

どこかがねじれ、辺が重なり、内と外の区別が曖昧になるような、奇妙な多面体。


「これは“テッセラクト”、4次元の立方体です」


ユリシーズが説明を続ける。


「立方体が正方形の拡張であるように、テッセラクトは立方体の“次”の形態です。ただし、君たちの世界ではその全体を把握することはできない」


陽斗が眉をひそめた。


「でも、なんで“そんなもの”を僕らに見せるんだ?」


「それは、“見えないものを信じる”ための感覚を、君たちが持てるようになるから」


瑞希がふと、小さな声でつぶやいた。


「……なんか、恋みたいだね」


陽斗が目を向ける。


「目に見えないけど、たしかに“ある”って思える瞬間。そういう感覚?」


瑞希は照れ隠しのように笑いながら、投影されたテッセラクトに手を伸ばした。

当然、そこには何もない。だけど、指先には確かに何か“触れようとした感触”があった。


「正解です。4次元という概念は、数学では (±1, ±1, ±1, ±1) のように記述されます。けれど、それを“空間として感じる”ことができるのは、心が柔らかい君たちだけかもしれない」


その日の帰り道、陽斗は瑞希に尋ねた。


「なぁ。俺、ずっと“数字”って、目に見える記録みたいなもんだと思ってた。でも、あのAIが見せたのは、“見えない世界”を形にするものだった」


「うん。でも、それってたぶん、私たちが“信じたい”って思ったからじゃない?」


「何を?」


「……未来とか。自分が今より、もっと遠くまで行けるかもしれないってこと」


陽斗は立ち止まり、空を見上げた。

見慣れた校舎の屋上が、いつもより遠く感じた。


——4次元とは、たぶん“可能性”の別名なのかもしれない。


✎ 数楽メモ:4次元ベクトルとテッセラクト

ベクトル表記 (±1, ±1, ±1, ±1):4次元空間の点を表す。各次元に ±1 を持つため、テッセラクトには16個の頂点が存在する。


テッセラクト(超立方体):


2次元:正方形


3次元:立方体(キューブ)


4次元:テッセラクト(8個の立方体で構成される)


視覚化:4次元を直接“見る”ことは不可能だが、3次元に投影することでその影を体験できる。


応用:コンピュータグラフィックス、物理学(時空概念)、ニューラルネットワークの重み空間など


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