第42話 子供の責任。

 私とお姉ちゃんが二人でいる時の写真がSNSに出回っているらしい。

 授業中も視線を感じる。私の方を見て、ひそひそひそ…


 朝8時半。

 窓から差し込む薄い朝の光が、黒板のチョークの跡を白く照らしている。

 今は英語の授業中。

 本来なら、お姉ちゃんが教壇に立っていた時間だ。今は50代の女性教師が単語テストの開設をしている。


(お姉ちゃん…)


 今、校長室にて糾弾されているお姉ちゃんのことを想う。

 私は何もできない。それは分かっているけど、分かっているからこそ、もどかしい。だから、できることを、できるように頑張らないと。

 私が今できることは、授業をうけることだけだ。正しくないことをした、と言われているし、それはその通りで反論はないのだけど。

 だからいま、できるだけ正しい行動をとろうと思う。


 私はノートにペンを走らせ、教師の声を追っていた。

 だけど、周囲からの囁き…ちらちら見られる生徒からの視線…スマホの通知音が私を静かにはさせてくれなかった。


(…ねぇ見た?)

(みたみた)

(結城さん…実習生の結城先生と、キスしていたらしいよ)

(えー。あの2人、実の姉妹じゃなかった?)

(マジで)


 わざと私に聞こえるように言っているのか、同級生たちの声が私を突き刺してくる。

 嘲笑、されている。

 私は一瞬、頬をこわばらせる。けれど、視線をノートに戻して、ペンを動かし続ける。

 窓から見える校庭の桜の木が、朝風に揺れている。枝が揺れている。揺れるその動きは、まるで私の心みたいだ。


 私のスマホにも通知がきている。机の引き出しにいれているけど、振動がとまらない。マナーモードにしているから着信音はならないけど、通知が入るたびにスマホが揺れ、授業の静寂を破っていく。


(姉妹でキスだって)

(学校どうするの?)

(顔は綺麗なんだけどね)


 お母さんの言葉を思い出す。


(世間は、絶対にあなたたちを許さない…)


 うん。確かにその通りだ。

 私たちは、決して許されない。


 でも、お姉ちゃんのことを想うと、心が暖かくなるんだ。

 今も、お姉ちゃんは、戦っている。

 私のせいで、戦っている。

 なら、私が折れるわけにはいかない。


 前の席の女子生徒が、ちらりと私を見る。そして、友達にメモを回しているのが見える。「姉妹で恋人って、ヤバいよね」と書かれた紙が、視界の端でゆれる。


(関係ない)


 私の指はペンをつよく握り、ノートにインクが滲んでいく。


「結城さん、では、この単語の意味は?」


 教師の声がして、立ち上がる。

 視線が集まる。

 答えると、教師は「正解、よくできました」と頷いてくれる。


 クラスメイトの視線は冷たい。

 だれかが、クスクスと笑った声がした。


 私の隣で、古都巴が立ち上がりそうになる。


「今笑ったやつ…誰だ」


 と言いそうになっているのを、私は、目でおさえた。

 古都巴が私を見る。

 古都巴が泣きそうな顔をしている。


 まるで、私の代わりに泣いてくれているみたいだった。


(有難う、古都巴…でも、大丈夫だから)


 心の中が暖かくなる。

 たとえクラス中の人から、ううん、世界中の人から噂をされたとしても、古都巴だけはずっと、私の味方でいてくれる…そんな事実が、今は心強い。


(私は…負けないから)


 ずっと負けて、引きこもっていた毎日。

 そこから連れ出してくれた、古都巴。

 私を選んでくれた、お姉ちゃん。


 教室の窓から、遠くの校舎が見える。

 お姉ちゃんは今、あそこで校長から詰められている。


 私からはその光景は見えないけど、でも、お姉ちゃんの覚悟は感じる。見えないけど、分かる。

 私は指で、ノートをなぞった。


『ayana』


 お姉ちゃんの名前を小さく書いて、目を閉じる。何を言われても仕方ない。言われるだけのことはしてしまった。けれど、私がお姉ちゃんを愛しているってことだけは、譲りたくない。


 男の子がスマホを隠し見て、Xでの投稿を友達に囁いているのがみえた。


「この写真…マジで、結城さんと、結城先生だ…誰が撮ったんだろう?」


 私の耳にその声が届いたけど、動じることはなかった。

 ペンをとり、ノートに授業を板書する。非難も噂も全部受け止める。

 痛いけど、痛くて泣きそうだけど、泣かない。

 私は、受け止めなければいけない。


 私は黒板をまっすぐに見つめて、授業を続ける。




「今日はここまでにします」


 教師がそう告げ、授業は終わった。

 私はため息をつき、隣の古都巴を見る。


 古都巴は私を見て、私に話しかけようとして、私が首をふると、やめて、それでも私を見続けていた。


 スマホがなった。


 メッセージを受け取る。

 通知者は…お姉ちゃん。


 文面は簡単だった。


『終わったよ』


 終わる。

 終わり。

 何が終わったんだろう…いろいろ分かっているけど、でも頭がそれを認めたがっていない。


 お姉ちゃんはもう、この学校に顔を出すことはないのだろう。

 今日は金曜日。

 明日は土曜日。


 本当なら、あと一日、お姉ちゃんは教育実習生として、ここにいたはずなのに。


 一日早く終わったわけじゃない。

 お姉ちゃんは言っていた…責任をとる、と。


 責任。

 お姉ちゃんがとろうとしている、責任。

 私がとらせてしまった、責任。


 噂話が蔓延しているこの教室の中で。


 私も、責任をとらなければならない。


 これは、罰じゃない。

 これは、私の選んだ、私の責任だ。


 まっすぐに前を向く。

 私はもう、引きこもらない。

 あの部屋の中には戻らない。


 けれど、怖い。

 怖い。

 怖いけど。


 そっと、古都巴が、手を握ってくれた。


 言葉はない。

 言葉なんてなくったって、ちゃんと、伝わる。


 だから私も言葉で感謝を伝えるのではなく、手をぎゅっと握り返して、想いを込めて、古都巴に感謝を伝える。


 私は、まっすぐ前を見る。

 いったい、どこで間違えたのだろう?

 たくさんある選択肢の中から、私は、間違いを選んでしまったのかもしれない。分からない。どうすればよかったのかは、分からない。

 だから、私は、私の心に従って生きていこう。


 光が、窓から教室内にはいってきている。

 外は、晴れている。


 私の心は…どうなのだろう?


 未来は分からないけど、ひとつだけ、確かなことはある。


 私は、お姉ちゃんを、愛している。




 これだけはもう間違えない。

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