第3話 親友とキス。唾液。

 唇が触れ合う。柔らかい。柔らかくて、気持ち悪い。

 好きな人とキスをするならともかく、好きじゃない人とのキスは、気持ちよくはない。古都巴のことは嫌いじゃないけど、どちらかといえば好きな方だけど、それでも大好きな相手じゃない。


 だから、私は気持ちよくない。

 だから、私のことを大好きな古都巴は、とても気持ちよさそうだった。


「…ん」


 唇が押し広げられて、舌がねじ込まれてくる。

 舌をつたって唾液が送り込まれる。にゅるりとした液体が、舌の動きを滑らかにする。


「…いい加減に…」


 しなさい、と言って、古都巴を突き放した。

 私と古都巴の唇の間に、つぅっと唾液の糸が引かれて、伸びて、切れた。


 古都巴は少しうっとりとした表情を浮かべながら、唇につたう唾液を…それは私と古都巴の混ざり合った唾液を、ちゅるりと飲み込んだ。


「美麗ちゃん」

「どうしてあんたは」


 いらだちを隠す気にもなれない。一方的にキスされたのだから、私だって一方的にやり返す権利があるはずだ。


「いつもいつも…私に、付きまとうの?」

「そんなの、分かっているでしょ?」


 古都巴が、顔を近づけてくる。

 頬が蒸気している…うすら紅く染まったその頬は、流れている汗によってしっとりと濡れているのが目に見えた。


「美麗ちゃんのこと、好きだから」

「私は別に」

「好きじゃない、っていうんでしょ。知ってる」

「なら」

「でも、私のこと、嫌ってはいないよね?」


 本当に嫌っているなら、そもそもキスを許すはずなんてないから、と、古都巴は言った。

 その言葉に対して、私は否定することはできない。


 昔から知っている相手で、昔から一緒に遊んだ相手で、ずっと親友で私のことを想ってくれていて。


「嫌いじゃないけど、好きじゃない」

「うん、嫌われていないなら、それでいいよ」


 古都巴は、少しだけうつむいて、それから私の目をむきなおして、言った。


「私は、美麗ちゃんのことが、好きだから」


 そういいながら、古都巴は、自らの人差し指を自分の唇に入れていた。ちゅぽ、ちゅぽ、と、小さなねっとりとした音が聞こえてくる。

 指が唾液で濡れほそばり、そして唾液でだらだらになったまま、指を私の唇に向けて差し出してくる。


 唾液の匂いがする。

 古都巴の、唾液の匂い。

 私の唾液の匂いはもう完全に上書きされていた。

 全部、全部、古都巴の唾液の匂い。


「美麗ちゃん…」


 古都巴は、ゆっくりと、私の唇に指を這わしてくる。古都巴の唾液で、私の唇が塗られていった。


「学校、行かないの?」

「…行かない」


 私は唇を少し開けた。

 迷わず、古都巴は指を中に入れてくる。

 にゅるりと差し込まれたその指先を、私は小さい力で少し噛んだ。


「…いふぃたくひゃい」

「…聞こえない」

「…あむ」


 甘噛みする。

 古都巴は、少しうれしそうな表情を浮かべた。


「うん。じゃぁ、美麗が行きたくなるまで、私、待ってるね」

「…」


 がぶ。


 古都巴の指を、強く噛みしめる。

 痛いはずなのに、古都巴は逆に嬉しそうだった。


 私の前歯の跡をつけながら、古都巴は指を引き抜いた。


 今度は、私の唾液で、古都巴の唾液が上書きされている。

 ぬらりと濡れて光るそれを、古都巴は自分の鼻元に近づけた。


「…美麗ちゃんの匂い」

「…変態」

「…いいにおい」

「そんなわけないでしょ」

「ううん。美麗の匂いだもの」


 くんくんといとおしそうに匂いを嗅いだ後、指を自分の口元に持っていく。


「…美麗の、味」

「やめてよ」

「やめない」


 やめたくない。


 そういいながら、うっとりと、まるで私に見せつけるかのように、指をなめていく。私の唾液をすすっていく。


 しばらくそんな時間が過ぎた後。


「…そろそろ、学校の時間だから、私、行くね」

「行ってらっしゃい」

「…ふふ」


 古都巴は髪をかきあげ、床に置いていた鞄を手に取った。


「美麗がいない高校は楽しさと嬉しさが十分の一しかないけど、でも今朝は美麗の唾液を堪能できたから我慢していってくるね」

「ごたくはいいから早く言ったら。遅刻するわよ、優等生」

「いってくるね、不登校の不良美少女さん」


 最後にウィンクだけをして、古都巴は私の部屋から出て行った。


 いったい何をしにやってきたのだろう。

 私とキスしたかっただけなのか?


「…うん、そうだね」


 それも間違いはないだろうけど、というか、ほとんどそれが理由のすべてなんだろうけど。


 それでも、私のことを、心配してくれる古都巴は、やはり私の親友だった。


 親友だけど、恋人にはなれない。私には、好きな人がいるから。


 好きな人以外とは、恋人になりたくない。なりたくない、のに。


「…ん」



 好きじゃない親友とキスをしても、私の身体は少し溶けていたみたいだった。

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