知られたくなかった話

夜は、早く暗くなった。


空に星はなかった。雲が分厚いせいか、それとももう、空そのものが遠くなってしまったのか。


講堂の一角。電灯の明かりは弱くて、毛布に映る影もぼんやりしていた。

佐久間真弓は缶詰のラベルを剥がしていた。何がしたいのかは不明だったが、彼女は黙っていた。


湘 健之はその対角に腰を下ろし、記録ノートをめくっていた。

しかし、数字は頭に入ってこなかった。


「……これ、前にいたとこでもやってたの?」


真弓が、ふと訊いた。


「なにを」


「缶詰。こうやって並べてさ、ラベル分けて」


「いや、ちが……そういう決まりじゃない。僕が勝手にやってるだけ。中身が見えないと、誰かが間違えるから」


「ああ、そっか。……そういうの、ちゃんとしてんだね。意外」


湘は少しだけ黙ってから、口を開いた。


「……前、ミスしたことがある。配給で。傷んだやつを渡しちゃって、子どもが腹壊した」


真弓の手が止まる。


湘は目を伏せたまま、声だけを出すように続けた。


「あれ、ちゃんと見てたら避けられた。僕は、記録には強いけど……感覚で動くのが苦手で。腐った缶、見た目じゃわかんなかった」


言い訳じゃなかった。ただ、説明だった。


「そっから、全部ラベル剥がして日付と状態見て、においも、感触も、記録するようにした。……やりすぎって言われたけど、もう、誰も信じてないから、そういうこと」


静かだった。


真弓は何も言わなかった。ただ、ラベルの剥がし方が少し優しくなった。


「……あんた、自分が思ってるより、たぶんマシな人だよ」


「……それは、君の基準でしょ。僕は……マシかどうか、どうでもいい」


「でも、子どもが苦しんだっての、今でも覚えてんでしょ?」


「忘れないだけ。……記録だから」


真弓が、小さく笑った。


「そっか。“記録だから”ね。うん。そういうとこ、好きかも」


湘はその言葉の意味をうまく処理できなかった。

意味がわからなかったというより、それを“どう受け取っていいか”が、わからなかった。


だから彼はただ、小さくうなずいた。うなずいたけれど、それも“どこに対して”なのか、自分でもよくわからなかった。

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