第1章「灰色の海と透明な時間
夏の朝、太陽はやけに元気だ。真っ青な空にまっすぐ昇るその光が、浜影町を容赦なく照らしている。
自転車のペダルを漕ぐ直人の額には汗がにじんでいた。坂道を上るたび、足は重くなり、湿った潮風がじっとりと肌にまとわりつく。
遠くには海が見える。青い水面が光を反射し、白い波頭が次々と砂浜に崩れていく。その景色は観光客なら立ち止まって眺めたくなるほど美しいだろう。
けれど、直人の目にはその海が、ただ街を囲む灰色の壁にしか映らなかった。
「また今日も同じだ。」
そう呟いて、彼はさらに強くペダルを踏み込む。
坂道の頂上が近づくと、風が一瞬だけ冷たく感じられたが、それも長くは続かなかった。
学校が見えると、胸が重たくなるのを感じる。教室に入ると、賑やかな声が飛び交っている。誰かが昨日の海での出来事を話し、別の誰かが笑い声を上げる。そのすべてが、直人にはまるで遠い場所で起きている出来事のように感じられた。
窓際の席に腰を下ろすと、ノートを広げたまま視線は外へと向かう。青い空、白い雲、そして広がる水平線。そのすべてが、額縁の中に収められた絵のように動かない世界に思える。
「直人、聞いてるか?」
突然の声にハッとして顔を上げると、教室中の視線が自分に向いているのに気づいた。先生が自分を指名していたらしい。
「あ…すみません。」
答える声は自分でも情けなく思うほど小さい。クラスメイトたちの間から、くすくすと笑い声が漏れた。決して誰かが意地悪をしているわけではない。ただ、その笑い声が彼の胸に突き刺さる。
――自分は透明な存在だ。
そう思うことに慣れすぎてしまった。
昼休みになっても、直人は机に突っ伏していた。クラスメイトたちは教室のあちこちで集まり、楽しそうに笑い合っている。その声を聞きながら、直人は目を閉じた。
――どうして自分だけが、こんなにも空っぽなんだろう。
心の奥底で問いかけても、答えは見つからない。誰も自分を見ていない。誰も自分を必要としていない――そんな感覚が彼を包み込んでいた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ると、直人は無言で机を片付けた。午後の授業が始まっても、彼はノートを開いてペンを握るだけで、意識は窓の外に漂ったままだった。
学校が終わる頃には、胸の中には「いつもの空っぽさ」が重く沈んでいた
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