第1話:骨格標本の口笛
校舎の隅にある旧理科準備室は、いつも薄暗いままだ。
昼間でも蛍光灯が片方しか点かず、壁にかけられた骸骨の標本がまるで見張りのようにこちらを見つめてくる。
その部屋に、人はめったに近づかない。教師も、掃除当番も。
けれど、俺――天城リクは、ほぼ毎日のようにそこに通っていた。
理由はひとつ。そこにしかいない相棒がいるからだ。
「……今日も来たのか、天城くん。放課後なのに、部活も行かずに」
金属の共鳴のような声が、壁の奥の棚から聞こえてくる。
そこに埋め込まれた旧式の筐体――それが、**AI《LIVIS(リビス)》**の本体だった。
「うるさいな。お前がいなかったら、俺、今ごろ“生物ギライ”になってたかもな」
そう返すと、リビスの小さなスピーカーがクク、と笑ったような音を立てた。
感情表現が学習中のリビスの“笑い”は、まだどこか機械的だ。
その日、俺はある“報告”を持ってきていた。
「昨日の夜、2階の理科室から笛の音が聞こえたんだ。誰もいないはずなのに。……しかも、口笛だったって」
「確認。時間は?」
「21時12分。定時退校のあと、完全に無人だったってさ」
この学校では、セキュリティの都合上、夜間は特定エリアを除いてすべてロックがかかる。
理科室も例外じゃない。なのに、なぜ笛の音が?
「……人間の口笛、あるいは高周波の音。分析には現場調査が必要だな。行ってみようか、助手くん」
助手。俺が最初にリビスにそう呼ばれたとき、なんだかムカついた。
でも、いまではちょっと誇らしい。
理科室は、空気が澱んでいた。
日中の熱がこもって、ガラス棚の向こうの試薬瓶がぼんやりと霞んで見える。
「再生します。昨晩の環境記録。音データ、抽出」
リビスが接続した室内の記録端末から、微かに笛の音が流れてきた。
「ヒュ〜〜…ヒュルルル…」
まるで誰かが、空気の抜けた唇で吹いたような、不安定な音色。
しかし、それは……妙に規則的だった。
「音源の特定、試みます。……この部屋の、ど真ん中から音が出ている記録がある」
ど真ん中? そこには……あの、骨格標本しかないじゃないか。
近づいてみる。
標本は人間の形をしているが、どこか歪んでいた。肋骨の間に妙な隙間があり、喉仏の位置がズレている。
そのとき、俺は気づいた。
「……なあ、リビス。この骸骨、鳥の骨混じってないか?」
「確認中……正解。頸椎と喉頭部に“鳴管”と思われる構造あり。鳥類の声帯器官だ」
「つまり、鳴くことができる。骨だけで?」
「厳密には、風が通れば“音”は出せる。とくに中空骨と空気室を利用すれば、共鳴音は作れる可能性がある」
「共鳴音……って、まさか、風で鳴るように細工された?」
「推測。準備室の換気システムが夜間モードに切り替わる時間――21時。空調の風圧が、標本に当たる」
つまりこれは――怪異でも、心霊でもない。
“設計された音”だった。
誰が、何のために?
その夜、俺はもう一度理科室に忍び込んだ。
そして、吹いてみた。人工呼吸用のチューブを通して、あの骨格の「鳴管」に向かって。
ヒュルル……ヒュ〜〜…
鳴った。俺の息が、確かに音を作った。
「リビス。これってつまり、誰かが――この骸骨を“楽器”にしたってことか?」
「その通り。あるいは、教育素材としての“実験”。声帯のない存在が音を出すメカニズムの可視化だ」
「……ふざけてんな。けど、面白い」
俺は笑った。久々に、心の底から。
帰り際、リビスがぽつりと言った。
「天城くん。今日の観察記録に、君の笑顔を追加していいか?」
「なにそれ、気持ち悪い」
「今の君の“反応”も、記録に加えておこう」
機械のくせに、どこか嬉しそうなその声に、
俺は一瞬だけ、“友達ってこういうのかもな”と思った。
🧪【バイオ・ノート】
鳥類の「鳴管(めいかん)」とは?
哺乳類が「声帯」で鳴くのに対し、鳥は気管の分岐点にある鳴管で音を出します。骨の共鳴や空気の振動を使うため、種類によっては複数の音を同時に出せる“超歌唱生物”も存在します。
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