パット類

利用者の持込品で金額の大きいものとしてはパット類がある。使い捨ての紙おむつ、リハパン、吸水パットの類である。これらは高分子で相当な量の水を吸収するように設計されている。

要するに、初期状態ではごく軽い紙細工であったものが、水を吸収して重くなっていれば棄てて、新品に替える。それによって清潔を保つのである。

パット類の正確な価額を余は知らない。例によって、正確な価額は提携企業たる余の雇い主を特定することになるから知っていても書けないが、ほぼ百円前後と伝え聞いた。原価がいかほどで、提携先がいくら載せているのかも余は関知しない。

リハパンは下着の代用で吸水を主目的とはしていない。おむつは夜間を想定していて吸水量が比較的大きいが、1リットル吸水するような大型パットと比較して何倍もの差はない。

吸水量の大きいものほど、最大吸水量あたりの金額は小さい、が。僅かでも湿っていれば(紙細工の重さと水の重さは誰にも解る)廃棄するのが規定なので、大型がコストパフォーマンスが良いのではないが、それはさておき。

僅かでも重くなっていれば棄てる、それだけのことが、少なくとも、余が勤務する介護施設では必ずしもできていない。

本人の拒否や「不穏」(要するに大声を出したり、有形力を用いたりすること)で替えられないとか、従業員が多忙や怠惰から失念するとか、そういうことも有り得る。

ただ、余の経験則としては。家族の経済的負担への忖度という、非力や怠惰とは別方向の理由によってスタッフが意図的に「節約」することが多い。

そもそも多忙や怠惰で替えないのは。

第一義的にはそのスタッフと、当事者たる利用者、そしてスタッフを雇う会社(の代理人たる施設長)の問題であり、余が特筆することでもない(法的には介護放棄は虐待なので通報義務はあるが、この手記は余の経験的記録と考察を第一義とするので、今は措く)。

余は、僅かでも湿っているもの、即ち新品の軽い紙細工と比べて重いものは、棄てることにしていた。

ただ、それについて、他のスタッフから何度も異論があったが。

優しさ、臨機応変の判断など、高尚なる語句も多く、余の学識では必ずしも全ては理解できなかった。

ただ余が理解し得たのは。余が、家族の経済的負担、ひいては、家族と利用者本人との関係に配慮していない、という主張である。

どの場面で、どの古参と何を論争したか、余も詳しくは記憶していない。所詮は百円(大型のおむつだと二百円のものもあったかも知れないが、いずれにせよ)程度のもの。そもそも、汚れれば棄てるためにこそ、設計製造されたものである。

次章では、何故、余が家族の経済的負担を顧慮せず、躊躇せずにパットを廃棄したのか、

それについて当時の上席の古参(今は施設長や計画作成担当者に進んだ人もある)に如何に弁明したのか、と。


このような文化的対立についての

ChatGPTの見解について述べる。

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