1981年 三極冷戦とジブチ危機

@sukenokiv

プロローグ 20xx年


今のこの世界が、ガキの頃に夢見た未来かって? 冗談だろ。空飛ぶ車もなければ、月面都市もまだSF小説の中の話だ。代わりに手に入れたのは、なんだかよく分からない「安定」と、時折それを揺るがす局地的な「お祭り」、そして何よりも、このどうしようもない閉塞感だ。まあ、命の危険だけは、あの頃に比べりゃ格段に減った。それは確かだ。ドイツの旦那は、かつての帝国なんて看板を下ろして、こぢんまりとした連邦国家に落ち着いたし、親父たちが「八紘一宇の理想!」なんて息巻いてた大東亜共栄圏も、今じゃすっかりダイエットに成功してスリムな経済連携ってやつに成り下がった。極めつけは、海の向こうの超大国アメリカ様だ。あの無敵に見えた経済が派手に吹っ飛んで、今じゃ国内の立て直しでアップアップしてるってんだから、世の中どうなるかなんて、本当に分かりゃしない。まったく、笑っちまうほど「大変な時代」になっちまったもんだ。


それでも、こうして安物の合成酒(最近じゃ、これが一番口に合うんだ)を呷りながら、アパートの窓から見える曇り空を眺めていられる。警報に叩き起こされることもなければ、配給の列にうんざりすることもない。それは、あの息の詰まるような、それでいて妙な秩序だけは保たれていた「三極冷戦」とかいう、人類が70年近くも律儀に続けた壮大な茶番劇が、曲がりなりにも世界を全面戦争の淵から遠ざけていたおかげなのかもしれないな。日本がアジアの盟主を気取り、ドイツがヨーロッパの鉄の秩序を敷き、アメリカが自由と民主主義の伝道師を自任していた、あの巨大な三国志。東亜共栄圏、ベルリン条約機構、北大西洋同盟――それが世界の全てで、揺るぎない現実だった。まるで分厚いコンクリートの壁に囲まれた庭の中で、決まったルールで遊んでいるような、そんな時代。


もちろん、そのコンクリートの壁にも、時折ヒビが入ることはあった。壁の向こう側から、あるいは壁そのものから、不吉な軋みが聞こえてくることも。その中でも、一番ヤバかったのは――そう、あれは忘れもしない、1981年のことだ。歴史の教科書じゃ「ジブチ危機」なんて、やけに小洒落た、まるでどこかのリゾート地で起きた外交トラブルみたいな名前で呼ばれちゃいるが、とんでもない。当時の俺たちにとっては、そんな生易しいもんじゃなかった。腹の底からこみ上げてくるような、原始的な恐怖。世界が、マジで、本当に、サイコロの目の出方一つで終わっちまうかもしれないって、そう肌で感じた、後にも先にもない強烈な体験だった。


その頃の俺ときたら、まあ、お世辞にも褒められたもんじゃなかった。日本のそこそこ有力な外交官の次男坊ってだけで、大した努力もせずにベルリンの大学に籍を置いていた。親父の期待なんざクソ食らえとばかりに、講義は適当にサボり、夜な夜な薄暗いクラブや怪しげなバーに入り浸っては、退廃的な自由の味に酔いしれていた。いわゆる「放蕩息子」ってやつだ。日本の、あの息が詰まるような同調圧力と、国家への滅私奉公を強いる空気から逃げ出したくて、必死だったのかもしれない。街角に立つ武装警官の姿さえ、どこか非現実的な舞台装置のようにしか感じていなかった。若さゆえの傲慢さと、無知ゆえの無関心。それが当時の俺の、みっともない正体だった。


1980年の暮れあたりから、親父からの国際電話のトーンが、徐々に硬質で、切迫したものに変わっていったのは覚えている。「玄、お前ももう子供ではない。自分の行動には責任を持て」「ヨーロッパの情勢が、少しきな臭くなってきた。軽挙妄動は慎め」なんて、いつになく真剣な声で諭された。だが、当時の俺には馬の耳に念仏だった。イタリアの新しい首相が、やけに芝居がかった演説で日本に秋波を送っているとか、ドイツの新聞がそれを「道化の戯言」と一蹴しているとか、そんなニュースも、所詮は遠い世界の出来事。ベルリンの自由な空気と、夜の喧騒、そして手に入れたばかりの安物のシンセサイザーのほうが、よほどリアルで魅力的だった。


友人のクラウスは、相変わらず皮肉っぽく笑いながら、「政治家ってのは、いつの時代も退屈な大衆を楽しませるエンターテイナーさ。俺たちのビールとソーセージが不味くならない限り、どうだっていい」なんて言ってたし、芸術家の卵だったアンナは、「見てて、玄。私たちは、鉄と血の匂いじゃない、もっと美しい何かをこの街に生み出すのよ」と、その大きな瞳を輝かせて語っていた。俺も、そうだよな、なんて、何の根拠もなく頷いていた。まさか、その数ヶ月後、俺たちが愛したベルリンの街路に、本物の軍靴の響きが近づいてくるとは、夢にも思わずに。


あの忌まわしい「パイプライン・ショック」のニュースが、けたたましい速報音と共にテレビ画面を占拠した朝のことを、俺は今でも鮮明に覚えている。トルコあたりの、名前も知らないような場所で、ヨーロッパの生命線ともいえる石油パイプラインが、何者かによって同時に数カ所も爆破された、と。アナウンサーの強張った声と、スタジオの緊迫した空気。最初は、またどこかの過激派の仕業だろうと高を括っていた。だが、数日もしないうちに、ベルリンの街からガソリンが消え、パンの棚が空になり、隣人の顔から笑顔が消えていくのを目の当たりにするにつれ、これはただ事ではないと、さすがの俺も気づかざるを得なかった。


そして、日本の、あの妙に勇ましい艦隊派遣のニュース。イタリアの、あのイカれた首相の、計算なのか本気なのか分からない熱狂的な支持演説。それに呼応するかのような、ドイツ国内での急速な反日感情の高まりと、街角で囁かれる「アジア人の陰謀」という言葉。俺の日常は、まるで薄い氷が割れるように、あっけなく崩れ始めた。


まさか、自分が、あの巨大な国家と国家がぶつかり合う、剥き出しのエゴイズムと計算と、そして狂気が渦巻く大事件の、ほんの小さな、しかし無視できない歯車の一つとして組み込まれていくことになるなんて。そして、あの古ぼけた機械修理工場の地下室で、過ごすことになるなんて――。

今にして思えば、全てはあの時、あの場所で起こるべくして起こったのかもしれない。錆びつき、狂ってしまった世界の羅針盤が、破滅か、あるいは新たな始まりか、どちらとも知れない方角を指し示し始めた、そんな時代の入り口に、俺はただ、何も知らずに立っていたんだ。


これから語るのは、そんな狂った時代の、狂った危機の中で、ただの日本の若造だった俺が、どうにかこうにか生き延びようとした、格好悪くて、ちょっぴりほろ苦い、そんな記憶の断片だ。もし、退屈しのぎにでもなるのなら、しばし付き合ってほしい。この錆びついた記憶のネジを、ゆっくりと巻き戻してみようと思うから。

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