産物

あかるい

シンボリック 1



シンボルとは、自己を形成するのに必要不可欠な要素である。




飯村さんは私に対していやらしい視線を送ったこともなかったし、暴力をふるうこともなかったから、捕まったと聞いたとき少しだけ驚いた。母には暴力をふるっていたのだろうか?確認したが、「なんにもなかったよお」とけらけら笑うだけだった。隠しているようでもなく、ふざけているようでもなく。そういう人なのである。あどけない少女のような表情で、首をゆらゆら動かして、なんにもなかったよお、と言う。そんな母の言葉の中に、含まれた意味はない。な、ん、に、も、という音そのものが共有する空間に吐き出されて浮かぶ。

それが母の言葉。

結局のところ、あの人……飯村も他の男と同じような位置付けだったということだろう。母のまわりにはつねに男がいて、それがちょうど授業で習った方丈記の冒頭のように生まれて消え、消えては生まれていくようなものだったので、男たちにとってもいつか母に捨てられるということは、分かりきったことだったはず。でも飯村は他の男とは異なっていたんじゃないか、と私は思う。彼も他の男たちと同じように母に、そして私に贅沢な生活を提供してくれたけれども、彼だけは見返りを求めていなかったではないか? 心や体を簡単に与えない母を恨んで、私に敵意や性的な視線をぶつけることもなかったはずだ。最も母親はそんな欲望が少しでも見えるとぽいと追い出してしまうものだから、私に危害が及ぶなんてことは一度もなかったのだが。私はいま十三で、そしてそのような片鱗……母の言葉で言う「けだもの」の片鱗を察知することは少なからずあったのだ。視線や声音、しぐさ。本能的なもの。隠し通せないもの。飯村にはそういうものがなかった。飯村は母だけを見ていた。少なくともそのように私には見えた。だからその点では、飯村は“質のよい”男に見えたと思ったのだけれど。自分のことを「ぼく」と呼んでいたっけ。心のやさしい可哀想な人。ああ、でも、母ではない女ヘの暴行事件で捕まったらしいのだから、捌け口を違えただけかもしれないな。

母は〈オンダ〉のことが好きなのだ。ずっと。死ぬまで。〈オンダ〉とは、私のじつの父親である。しかしほんとうのところはわからない。母は〈オンダ〉を「父親」として位置づけることを嫌ったから。彼女は私に、私を生み出すもとになった男の話をしたことがなかった。しかし、彼女の話す〈オンダ〉が父親であることは、説明されなくてもなんとなく分かっていた。だって母の持っている〈オンダ〉の遺影は私によく似ていたし、そもそも部屋に遺影が置いてあるくらいだから、やっぱり全くの他人ではないのだと思うし。それならこれはお父さんだよ、くらい私に話しても良い気がするが、〈オンダ〉は〈オンダ〉で、それは母だけのものだった。母が呼び、思い出し、口の中で転がして、慈しむ、そう言う類のものなのだった。お、ん、だ。母の放つ、白痴のような響き。母はその音を発するとき、甘いココアを飲んだときのようにとても幸せそうな顔をする。母親を縛り付ける〈オンダ〉が煩わしく思う時期もあった。(もとより幼い子供とはそういうものではないか。母の愛情を一身に注がれたいたかった)。けれども精神的に不安定な母のことだ、〈オンダ〉のことを発して、文字にすることによって気分を落ち着けられるのならば、それ以上の薬はないのではないか、と私は思っていた。私は母と他人の母とを比べるなんておろかなことはしなかったし、母が自分なりに、懸命に私を愛していることは分かっていたから、そのへんのことはは次第にどうでも良くなっていったのだった。

「らかんちゃん、飯田さんはなんで捕まっちゃったんだろうねえ」

「飯村さんでしょ、お母さん」

「そぉだったかしら」

「新聞に載っていたよ。知人女性に暴行したんだって。ハメられたのかな」

「らかんちゃん、ままにその記事読んで」

三十二の母親は、新聞が読めない。漢字が読めない。昔は読めたときもあったらしいけれど、いまは全く読めないと言う。というか、読む気がなく、学ぶ気もないのだと思う。そして読めた〈昔〉というのはやっぱり〈オンダ〉のいた日々のことで、〈オンダ〉は母曰くとても頭のいい人だったようだから、よく教えてもらったのだと得意げに言っていた。

母親は頭が弱く、妄信的なところがあるから、どこまで本当かはわからない。〈オンダ〉がいたことは事実だろう。〈オンダ〉と結婚したことも事実だろう。(何より私の名前は恩田らかんなのだ)ただ、〈オンダ〉が母のことを愛していたのかはわからないし、〈オンダ〉がわたしを認知して死んでいったのかもあやしい。それならばどうして母は〈オンダ〉に盲信するのだろう? 他の男には目も当てられないくらい酷いことをするくせに、〈オンダ〉にはまるで信仰さながらの扱いではないか。過去は美化されている。〈オンダ〉は他の男の持っていないものを、持っていたのかもしれない。しかしそれは過去によって美化されたものである。私は声に出して新聞を読む。しかし母は、

「らかんちゃんの声は落ち着くねえ。らかんちゃんはかわいいし、かしこいし、天使だねえ。ままはらかんちゃんがだいすきなんだよ!」

いつまでもこの調子なのである。

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