第40話 ある女の破滅の始まり

「ど、どうでしたか!? 社長はなんて言ってましたか?」


 社長室から出てきた常務に、広報部の課長が焦った様子で声をかけてきた。

 広報課長は、常務の元部下だ。

そして、愛花が部署をまたいで立ち上げた新規格リアルロボット開発プロジェクトチームに、宣伝担当として参加していた。


「お前を含めたプロジェクトチーム全員に、処分はない」


「え!? じゃあ社長は僕たちのこと、許してくれたんですか?」


 常務は、疲れ切った表情で吐き捨てる。


「クソ愛人がクビになる直前に、データを盗んで逃げていったなんて言えるわけがないだろう」


「そ、そんな、大変なことになるんじゃないですか!?」


 狼狽する広報課長に人事部長は、冷ややかな目を向けて言い放った。


「やっとクソ愛人のせいで起こった馬鹿な騒動が終わって、社内が落ち着いたんだ。それなのにまた忙しくしてどうする? どこの部署も今は疲れ切ってるじゃないか」


「し、しかし、あの動力炉をどこかの会社が再現したら大変なことに……」


「あれがデタラメな質の悪いものだと言ったのはお前だろう」


「は、はい。僕は専門外なんでよく分かりませんが、設計や技術の連中はそう言ってました」


「だったらどこも相手にしないさ。それにウチの会社は極東の主力サプライヤーだ。こんな小さな問題で慌てる必要なんかない」


 宮園重工はこの極東管区で、他社が展開する主要なリアルロボット規格のOEM製造と販売を一手に引き受けている。主要な競合他社は全て取引先でもある。

 関係各社のあいだで、目立つ人物の評判は自然と伝わっていく。

 業界内で愛花の悪評はすでに知れ渡っている。態々そんな人間を引き取る企業など、常識的には存在しない。

 取引がない他社が宮園重工の内部事情を把握し、極東管区でシェアを奪いたいなら一応分かるが、そんなメリットはない。

 極東管区はスーパーロボットという、日本独自ともいえる戦力体系がある市場だ。

 リアルロボットの需要は一般兵士向けに限定された安価な量産機にとどまり、高性能で高価な機体が求められる余地はほとんどない。他地域のように多様な運用を見込める環境とは事情が異なる。

 この市場に無理に割り込んでも、うま味などほとんどない。だからこそ、他社は宮園重工に極東管区での、自社製品の製造と販売を委託している。

 とはいっても、宮園重工の極東での立場には、かなりうま味があるので、それを奪おう他業種が進出を目論むことはあるかも知れない。

だが、付属品や消耗品に限るとはいえ、宮園重工は業界で唯一スーパーロボット部品の販売と製造を手掛けている会社だ。最近では杉村の営業により、一部の下請け町工場にも製造ノウハウが広まりつつあるが、それらが扱うのは特定機体の武装パーツや機構部品など、ごく限られた品目に過ぎない。

 全機体に対応した付属品や消耗品を一括して製造できるのは、依然として宮園重工のみだ。さらに戦後は下請けの流通もルースダストから切り替える。

 その体制と実績から、OEM提供先からの信頼は厚く新規が割って入る余地はない。

 侵攻してきている地下勢力や異星人勢力ならば、利用価値があると思い愛花に接触するかもしれない。

 だがそんな奴らが動力源を暴走させる事故を起こして自分たちが自滅しても、宮園重工は一切の社会的責任を問われないし、賠償責任も負う必要がない。

 人事部長は小さく息をつくと、背筋を伸ばして歩き出した。



「畜生なんなのよ! どいつもこいつも! 私のことをバカにしてっ!」


 メールボックスには、なんの連絡も来ていない。

 そのことに苛立ちを押さえきれず、愛花はスマートフォンをベッドに放り投げた。

 どうして自分のように優秀な人材を、どこの他社は獲得しようとしないのか、理解できなかった。

 しかも自分は、業界の常識を根本から変えるリアルロボット規格の設計データを持っている。

 いくつかの会社には特別に、その設計データまでメールで送ってやったのに、内定の連絡は一向に来ない。


「そもそも私こそが、選ぶ側よ! スカウトされて当然なのに、どうして私から連絡してやらなきゃいけないのよ、バカみたい!」


 1人きりのワンルームで、愛花は大声で叫ぶ。


 その時、けたたましい着信音が鳴る。


「ったく、なんなのよ!」


 スマートフォンの画面には、見覚えのない番号が表示されていた。

 普段なら無視するが、妙な予感に背中を押されるように、愛花は通話ボタンを押した。


「もしもし! いったい何!?」


 通話の向こうから、明るい男の声が弾けるように飛び出してきた。


「なんなのよ! あんたウザったいわね!? ――え?」


 電話先の男は、業界でも名の知れた会社の課長職だと名乗っている。

 確かに、この会社なら愛花が考えたリアルロボット規格の機体に興味は絶対持つだろう。

 しかし、どうやって愛花の電話番号を知ったのだろうか?

 だが、そんなことなどどうでも良かった。

 愛花が気になったのは別のことだ。


「これってスカウトってことよね?」


 電話の相手は、肩の力が抜けたような調子で、愛花の発言を肯定する返事を返してきた。


「はあ!? あんたみたいな低い役職の奴が、私に電話してきてんじゃないわよ! 私は宮園重工で次長までやってたのよ! もっと上の立場の人間を出しなさいよ!」


 男は、愛花のリアルロボット規格を、宮園重工を出し抜くための新たなプロジェクトに組み込みたいのだと説明した。

 それは、社内でもごく一部の人間しか把握していない極秘案件で、上層部が表立って動くことはできないらしい。

 代わりに現場責任者として、この男が指揮を執っているのだという。


「そう言うことなら仕方ないわね。で、年収は? 出社日はいつ? 待遇次第じゃ考えてあげてもいいわよ」


 この先に待ち受ける運命を想像することなく、湧き上がる高揚感に、愛花は酔いしれていた。

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