第32話 早朝の混乱
(昨日はなんだったんだろ?)
翌日、未来は朝早く出社して、ディスミスターが置いてある倉庫のシャッターをそっと開けた。
最近は忙しく、趣味でいじれる時間は業務開始前と退勤後のわずかな合間くらいしかない。
それにしても昨日の夜、あんなに緊迫した空気で梨沙と杉村はなにを話していたのだろうか?
(まあ、いいや。それより、今日もこの子を強くしてあげなきゃ)
カバンから大学ノートを取り出し開き、なんの気なしに回路案を考えていると、背後から不意に声が飛んできた。
「やあ、昨日は本当にありがとう。君のノート、見ていて非常に楽しめたよ」
振り向くと、昨日の変なおじさんが倉庫の出入口に立っていた。
「昨日のおじさん、どうしてここにいるの?」
「お嬢様に用事があってね。とは言ってもアポをとらない突然の訪問だから、都合がつくまで今日は、ずっと待つつもりさ。もし、お忙しくて今日は無理なら、また日取りを改めて伺わせてもらうつもりだがね」
「っそ。自販機の営業も大変だね。じゃあ私はこの子をいじってるから、適当にその辺で腰かけて誰か来るまで待ってて」
そう言いながら未来は、軽く手を振って変なおじさんに背を向けて、工具に手を伸ばす。
しばらくは無言だったが、ふと思い出したように変なおじさんが未来に話しかけた。
「しかし、君が宮園重工の技術部ではなく、ここにいるとはね」
未来は内心うざったく感じながらも、手を動かしながら適当に言葉を返す。
「その話、昨日親父にでも聞いたの?」
「ああ。それで昨日は技術部に問い合わせたんだよ。そしたら、ここに出向してるっていうじゃないか。驚いたよ」
「そんなことができるなんて、おじさんは、ずいぶん偉いんだね」
「別に偉くはない。宮園重工には、たまたま顔が利いてね。ところで何故、藤沢社長には、まだ技術部にいることにしているんだね?」
「大企業の宮園重工と、そこで左遷された奴らが集まるルースダストじゃ全然ちがうよ。頑張って大学院にまで行かせてもらったのに、恥ずかしくて言えるわけないじゃん」
話の内容と言葉づかいに、未来は内心イラっとする。
「そうか。だが、いつまでも隠し通すことなんてできないだろう」
「……ここでお金ためて、博士課程に進むつもり。ちゃんと学位とって、一からやり直すんだよ。それでなんかすごいもん発明したら、親父にも胸張って本当のことが言えるし」
「なるほど。君ならば、それを実現するだろうな。しかし、時間はかかると思うんだが」
「……うっさいなぁ」
少しだけ間があいて、変なおじさんは微笑を含んだ声で語りかけてきた。
「いや、失敬。不快にさせるつもりはなかったんだ。どうだろう? もし君がよければなんだが、宮園重工に復帰できるよう、私の方から動いてみようか? そうすれば藤沢社長に変な気を使わずに済むだろう」
「はあ!? おじさんがどんだけ偉いかしんないけどさあ、そんなこと出来るわけ――」
怒りが頂点に達した未来は工具を置き、変なおじさんがいる方向に振り向いた。
しかし変なおじさんは未来を気にすることなく、感心したようにディスミスターへと視線を移す。
「ところで、これがディスミスターかね? いやあ、見事なものだ。様々な規格のリアルロボットと高度で多彩なスーパーロボット。普通なら互換性が無い多数の部品を、よくここまでまとめたものだ。しかもこれをスクラップから拾い集めて作ったというのだから恐れ入る。これをきちんとした部品で作ったら、どれだけの性能になるんだろうね」
「はあ!? 突然なに言ってんの?」
「君に昨日見せてもらったノートには、追加武装の試作案が沢山書いてあったね。あれを組み込めば、ディスミスターはもっと強くなる。本家のスーパーロボットと比べて、武装の性能は大幅に劣るが、その分、安価な価格で簡単に現場配備できるレベルのものができる。設計と組立工程もマニュアル化できるから、汎用機械と最小限の治具だけで量産も可能だ。外注部品や特許が必要な箇所も多々あったが、それも差し引いても、得れる利益を考えれば然したる問題ではない」
「だからさっきから――!」
未来が語気を荒げようとしたとき、ある疑問が頭をよぎる。
「ちょっと待って。なんで、この子の名前知ってんの? 私、ノートにも書いてないよね?」
不信と警戒が一気に高まり、未来は思わず息をのむ。
変なおじさんは口元にだけ笑みを浮かべる。
「申し訳ない。君を委縮させてはいけないと思い気を使っていたが、逆に不審がらせてしまったようだ。私は――」
そのとき、出入口から声が飛んできた。
「ギャハハ、未来、今日も朝からやっとるのう」
70歳を超えた元宮園重工副社長のげんさんが姿を現す。
げんさんは毎朝のように顔を出しては、未来と一緒によくディスミスターをいじっていた。
変なおじさんは、げんさんに軽く会釈を送る。
げんさんはその変なおじさんを見るなり表情を強ばらせ、今まで見たことがないほどの、強い怒りの視線を向けた。
「やあ、げんさん。久しぶりだね。しかし凄いものを作ってたね。そうだ、今日はお嬢様にご挨拶を――」
言葉の途中で、げんさんは無言のまま作業台に置いてあったスパナを手に取る。
そして、スパナを容赦なく、変なおじさんの額に叩きこんだ。
鈍い音が倉庫に響く。
変なおじさんはわずかによろめいたものの、声ひとつ上げずにその場に立ち続けた。額からは細く血が流れている。
慌てながら、未来はげんさんに声を荒げる。
「ちょっとげんさん! なにやって――」
げんさんは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「お嬢様に会いたいじゃと! 貴様ふざけておるのか! 今すぐ帰れぇ!」
「だから、なにやってるんだよ。このおじさん、ケガしてるじゃん!」
未来がげんさんを必死に制止しようとする横で、変なおじさんは、まるで何事もなかったかのように口を開いた。
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ」
「そんなわけにはいかないよ! 額から血まで出てるのに!」
変なおじさんは軽く笑いながら、ポケットから取り出したハンカチで額を抑えた。
げんさんは、なおも興奮冷めやらぬ様子で怒鳴り声をあげる。
「そうじゃ、こんな奴に構う必要はない! おい、塩持ってこい! 塩! こんなもん叩き出して清めにゃならん!」
完全に収拾がつかない状況に、どうすれば良いのか分からず未来は激しく焦る中、杉村が倉庫の入口から姿を現した。
「おいおい、今、会社に来たばかりだってのに、なに大声……どうして、こちらにいるんですか?」
高瀬を見た途端、杉村は驚きの表情を浮かべる。
まさか昨日の今日で、事前の連絡もなく来るとは思っていなかった。
高瀬は、額から流れる血をぬぐいながら、杉村に語り掛け始める。
「やあ、杉村君。このディスミスターの実物が見たくなって、いてもたってもいられず尋ねてきたんだ。事前に連絡もせずにすまないね」
想定外の状況に少し頭が真っ白になる中、未来がすがるような叫び声をあげる。
「ちょっと助けて! げんさんが突然、このおじさんをスパナで殴ったの!」
「おじさん? 馬鹿野郎! 藤沢、なんで誰だか分かんねえんだ!? この人は――」
げんさんはその隙を突くように高瀬に向かって再びスパナを振り上げた。
杉村は慌てて駆け寄り、げんさんの腕をがっちりと押さえ込む。
「えーい! 離せ!」
「馬鹿なことやってんじゃねえよ!」
げんさんは、杉村の制止を振り切ろうと必死にもがきはじめた。
宮園前社長に、げんさんは多くの恩義があると聞いているので、高瀬に激しい憎悪を持つのも仕方ないことなのかも知れない。
だが、このようなことが許されるわけがないので、全力でげんさんを押さえ込む。
そんな中、入り口付近からざわめく声が響いた。
「おい、どうしたんだ?」
「朝から騒がしいな。外まで声が聞こえてるぞ」
出勤時間になったようで、異常事態に気づいた社員たちが、次々に倉庫に集まり始めようだ。
額に血を滲ませる高瀬の姿を見た社員たちは、一様に顔を青ざめさせる。
「えっ……? マジで!?」
「早朝から、この様なところにお越しいただいたにも関わらず、大変申し訳ございません!」
社員たちに杉村は声を張り上げる。
「ちょうどいいところにきた! げんさんを押さえるの、手伝ってくれ!」
数人の社員が駆け寄って杉村と共に羽交い締めにし、ようやくげんさんの動きを封じ込めた。
「なにをするお前ら! 高瀬に魂を売ったのか!」
「そんな昔の権力闘争のせいで、俺は出向になったんじゃねえよ!」
「俺らは、まだ宮園重工に籍があるんだよ! 頼むからこんなんやめてくれよ!」
げんさんは目を血走らせたまま、声を荒げる。
「お前はもう転籍しとるじゃろ? ワシと同じタイミングでここにきて、宮園社長には可愛がってもらってたじゃろ? なんでワシの味方をせんのじゃ?」
「なに言ってんだよ! 俺には女房と子供がいるんだよ! いつまでも昔のことに拘ってたらなにも守れねえよ!」
「えーい! 心の底まで負け犬になりおって! ワシ1人だけでも宮園社長の無念を晴らしてくれるわい!」
「ダメだって! 暴力でやり返すなんておかしいよ! 皆! げんさんを外に連れて出そう!」
げんさんはなおも叫び続けたが、数人の社員が押さえ込みながら、半ば引きずるようにして倉庫の外へ連れ出した。
杉村は、げんさんがいなくなったことを確認すると、高瀬に頭を下げる。
「社長、誠に申し訳ありませんでした。手当の後、すぐに応接室へご案内いたします」
「いや、ここにいるよ。このディスミスターは見ているだけで楽しいからね。お嬢様が出社したら、また改めて挨拶させてもらうさ」
血を拭う高瀬を見ながら、杉村は彼の思惑を考察していた。
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