第2話 わたしさえいればいい彼女。

 それから。

 ああでもないこうでもないと頭を捏ね繰り回し、ようやくわたしが独自に設定している一日最低ノルマの3000字を書けたころ。


 わたしは気分転換にと洗面台へ向かい、顔面に冷水をぶっかける。


「……ほぅ」


 一息つき、なんとなく洗面台の鏡を眺める。


 二重瞼に縁どられた大きな瞳は、ジトっと不機嫌な猫のよう。

 透き通るように白い肌には、今日も肌荒れは見られない。


 そして、よくメッシュを入れていると間違われる、若白髪交じりのボブの黒髪は、何故かところどころぴょんぴょんと跳ねていた。


「……ん」


 わたしは一房、自分の髪を持ち上げて確認する。

 こりゃ、ヘアアイロンでもかけないと直りそうにない。

 寝ぐせだろうか。寝てないんだけど。

 なんて考えていると、


 ――ピンポーン。


 突如としてインターフォンの音色が部屋中に鳴り響いた。

 いきなりのその音に、おもわず肩をびくっと揺らしてしまったのは内緒。

 ……音、小さくしようかな。

 はたして、音を小さくできるのかどうかも知らないけれど、わたしはとりあえず玄関へと向かった。


「はーい」


 がちゃり、とドアノブを開ける。

 ……やべ、鍵閉めてなかった、とそう脳裏によぎったのも束の間。


「まゆ、だいじょうぶ!?」

「お、おおぅ?」


 刹那、何者かに両肩を掴まれて、わたしはそんなマヌケな声を出してしまう。

 その何者か。

 肩にかかるミディアムの髪を茶色に染め、ぱっちりとした大きな瞳はわたしを捉えて離さない。


 白磁のように白く、きめ細やかな肌。すっと通った鼻梁。

 美人と可愛いを一身に同居させているかのような印象を覚えるその彼女。


 わたしとは高校一年生からの友人。

 そこには、胡桃くるみみくるの姿があった。


「え、ええっと。大丈夫って、なにが?」

「……えっ?」


 わたしの言葉に、胡桃は目を丸くする。


「なにがって……。体調悪いんじゃないの?」

「悪くないけど」

「……じゃ、じゃあ。なんでLINEも電話も出られなかったの?」


 そう言われ、合点がいく。


「ああそっか。ごめん胡桃。スマホ、今充電が切れてるんだ」

「……え、あ。そう、だったんだ。なんだ、安心した」


 言葉通りにへなへなと力が抜けていく胡桃。その手には、なにやらたくさんの物が詰められているっぽいビニール袋。

 ……流石に悪いことをしてしまったかもしれない。


「ああ、これ? まゆってば、講義休むし、LINEも電話も出ないし。もしかして体調でも崩したのかなって思って。ほら、まゆが一人暮らし始めたのって去年の大学入学と同時だったけど、去年は大きな病気とか熱とかしたことなかったじゃん? だからさ、もし熱でも出してたら、一人暮らしで体調崩すの初めてで心細いかなって。まゆ、私以外に頼れる人いないしさ。色々買ってきちゃった。んまあ、私の早とちりでよかったんだけどね」


 つらつらと、まるで言い訳のようにまくしたてる彼女に、わたしは内心笑ってしまう。


「ん。ごめんね、胡桃。お手数をかけた。お金なら払う」

「いいよいいよそんなの。私が勝手にやったことだし。あ、でもこれあげるね? いつも本とか貸してもらったり、部屋に入り浸らせてもらってるせめてものお礼」

「……そう? 胡桃が言うなら」


 と、わたしは白々しくも、胡桃から手提げ袋を受け取る。

 瞬間。

 袋のあまりの重さに、わたしの身体の重心は前に倒れてしまう。

 なんとか体制を立て直そうと、足に踏ん張りを入れ、


「あぅっ」


 玄関の壁に激突した。


「まゆ!? だ、大丈夫!?」

「……ん、んぁ。だいじょうぶ。ちょっとふらふらしただけ」


 袋が重かった、とは情けなくて言えなかった。

 なにせ、胡桃はその袋を当たり前のように持っていたし、現に今も、わたしが重心を崩したのは袋が原因だとは微塵も思っていない様子。


 胡桃も別に、力持ちというわけでもない。筋力も一般女子大生の平均か、それをやや下回るくらい。すると恐らくこの袋が重いのではなく、わたしが貧弱なだけなのだろうという結論に至るからだ。


「ってま、まゆ! よく見たらまたこんな格好して!」

「……?」


 言われ、わたしは自分の格好をあらためる。

 ぶかぶかオーバーサイズのパーカーに、下はただのショートパンツ。もっとも、おっきなパーカーのせいで、ショートパンツが隠れて履いていないように見えるが。


「安心して。履いてますよ」


 わたしはぺろっと、キャミソールごとパーカーをめくる。小さなへそと、ショートパンツがあらわになった。


「ちょ、ちょっと! やめなってば! 女の子がはしたないっ!」


 胡桃は耳まで真っ赤に染めながら、わたしのパーカーを下に引っ張る。

 ……ぐえってなるから、あんまり引っ張らないでほしい。


「ていうか顔も真っ白だし、本当に体調悪いんじゃ」


 彼女は心配そうに、その整った顔立ちでわたしの顔を覗いてくる。


「もともと白い」

「そうだけど、今はなんだか青白いんだって! ごはんはちゃんと食べてるの?」


 胡桃は時折、母親みたいなことを言い出す。今がそれ。


「もちろん。ビタミン剤とラムネとコーヒー。ガムも食べた」

「そんなの、食べてるうちに入りません!!」

「そうかな」

「少なくとも、ガムは絶対入らない!!」

「……」


 難しいことを言う。一考の余地ありだ。


「あ、そうだ。中、入らせてもらってもいいかな?」

「……」

「せっかくまゆんち来たんだし、どうせならお昼ごはん作るよ」


 もうお昼時か。ではなくて。


 わたしは逡巡する。

 正直、あげたくはない。

 胡桃に心配はかけたし、色々とお手数もかけたらしいが、それはそれ。これはこれだ。


 彼女の言う通り、それは彼女が勝手にやったことだし、わたしがした悪いことと言えば、スマホが充電切れだという嘘を吐いたことと、LINEを既読無視したこと。


 そう考えれば、わたしはあんまり悪くない。一人の時間を盗まれるというデメリットを背負うほど、ここで胡桃を家にあげてやる義理もないように思う。


 しかして一方で、たしかにお腹はすいていた。胡桃の作るお料理は絶品だし、胡桃を家にあげるメリットだってたしかにある。


 それに今日はノルマの小説3000字を書き終えている。

 もっといえば、わたしがここで無理に断ったとして、胡桃との仲に不和が生じるのも面白くない。


 ……。


「じゃあ、お言葉に甘えてもいい?」


 そうしてわたしは、胡桃を家にあげることにした。

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