第11話 幕間/宮廷に招かれるということ
屋敷も領地も失った没落貴族の娘であるところのミュスカには、当然使用人もいない。
だというのに、元使用人であるシャリラは自分の部屋にミュスカを住まわせ、屋敷でそうだったように世話を焼いてくれていた。
あの一室での仕事を始めてからは自分のパンくらいは買えるようになったミュスカだが、シャリラは家賃を受け取ることもミュスカが出て行くことも頑として受け入れなかった。
「お嬢様にはお世話になりましたから、私もお世話をさせていただきます」
と頼もしく笑う彼女に、ミュスカも甘えているのである。
そのシャリラに、宮廷に招かれたことを話すと、手にした櫛を放り投げて声を上げた。
「さすがです、お嬢様!」
慌てて櫛を拾う表情は本当に嬉しそうで、我がことのように喜ぶ姿にミュスカもつられて微笑む。
「さ、お嬢様、お髪を」
「短くしたから要らな」
「要ります」
押し切られて、椅子に座り髪を差し出す。屋敷にいた頃は腰まで届く長さがあった髪は、今は首も隠せない。
「本当に安心いたしました。お屋敷も失ったと聞いた時はどうなることかと……」
「その節は使用人の皆にも迷惑をかけたわね」
「髪まで売り払ったと聞いた時はどうなることかと……」
「少し残念ではあったけれど、伸ばしておいてよかったわ」
「路上でいかがわしい看板を立て始めた時はどうなることかと……」
「……いかがわしくないのに」
「怪しい青年に騙された時はどうなることかと……」
「それは結局嘘じゃなかったでしょう? もう、たくさん心配をかけてしまってごめんなさい!」
弾けるように笑い合う。幼い頃から姉妹のように育ったシャリラは、ミュスカが唯一素直に話せる相手でもあった。
短い髪を、シャリラが丁寧に梳る。
「ドレスも新調しないといけませんね」
「期待させてしまって申し訳ないけれど、そういうのではないのよ」
宮廷という場所には二つの意味がある。
一つは皇帝の住まいとしての意味。皇帝とて人間だ。眠る場所、食べる場所が必要である。貴族たちが集う社交の場としての宮廷もこちらに含まれる。国で一番の
もう一つは国を動かす行政の場としての意味。今の時代、国の舵取りを王や皇帝が一人で行うのは難しい。貴族が集う会議や、様々な情報を処理する役人たちなどが必要だった。
今回招かれたのは、後者である。
「はぁ……役人のようなことをしろ、と仰るのですか」
「そうね。宮廷には古い書庫があって、そこのお手伝いとして雇ってもらうことになったの」
曖昧な表現になったのは、公的な立場ではないからだ。皇帝への助言は御前会議や諮問機関が担うものであり、個人がその立場につくことは望ましくない。王のそばに侍ることが許されるのは道化だけである、とミュスカは考えていた。
もちろん、最初はやんわりと断ろうとしたのだが、ノールの意思は頑なだった。
お忍びとはいえ皇帝からの要請である。断り続けるのも不敬だが、承諾すれば針の筵。無言を貫いたヴァインも『お前を呼びたくはないが陛下のご意思を断るのも許せない』と書いてありそうな、大変複雑な表情を浮かべていたものである。
悩みに悩んで、せめてと出した条件が、カムフラージュとしての立場だ。
公的な立場を与えないことについてはヴァインも同感であるらしく、提案されたのが書庫の管理人であった。
「お嬢様に本の埃を払わせるなんて!」
「ふふ、私は結構楽しみよ。どんな本があるのかしらね」
「……お嬢様」
ふとシャリラの声が沈む。
「お嬢様には何の咎もないはずです。そうまでして、お金を稼がなくてもいいのではありませんか?」
それはシャリラの元に転がり込んだ時に何度も交わした問答だった。ノールとのやりとり――商売を経て、ミュスカも再度考えなければならない問題でもある。
「そうね。咎も、必要性も、正当性すら私にはないのかもしれない。……でも、ね」
貴族として生まれ、貴族として育ったミュスカは、貴族として微笑む。
「家名に課せられた責務なの。しっかりと果たすつもりよ」
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