第2話 甘えんぼの視線(アイリ)



 「ねぇ、アレン……今日は、ずっと一緒にいてくれる?」


 朝の空気に、ほんのりと精霊の気配が混じる頃。

 白銀の髪を揺らしながら、少女が僕の腕にしがみついてきた。


 名はアイリ。

 ハーフエルフの少女で、孤児院アルカナにやってきて半年になる。


 「他の子もいるから、ずっとは無理だけど……順番、な?」


 「やだ」


 アイリは目を細めて、小さく首を振る。

 まるで僕を試すように、袖をぎゅっと握って離さなかった。


 “独占欲”——そう呼ぶにはあまりにも切実で、どこか不安定な感情がそこにはあった。


 


 ■ ■ ■


 アイリは隣国との紛争で村が焼かれた際に、この村へと流れ着いた。

 当時はまだ六歳。

 母親に手を引かれて逃げる途中で、崖崩れに巻き込まれ、ひとりになったという。


 数日後、山のふもとで倒れていたところを、旅の商人に拾われた。

 そして運ばれたのが、ここアルカナの家だった。


 当初は何も話さず、ずっと焚き火のそばに座っていた。


 けれど、ある日。


 僕が静かにお湯で濡らした布で彼女の髪を撫でていたとき、ぽつりと呟いたのだ。


 「ママ……と同じ匂い……」


 それからだった。

 アイリは僕に懐き、朝も昼も夜も、傍を離れようとしなくなった。


 


 ■ ■ ■


 「アレン、あっちの子と遊ばないで。今日はアイリの日でしょ?」


 今日もまた、そんな言葉が返ってくる。


 「なぁ、アイリ」


 僕は膝を折り、彼女の目線に合わせて言った。


 「アイリのこと、ちゃんと見てる。でも、アルカナの子は、みんな大事だ。だから、少しずつ皆と……な?」


 「……でも、アレンは怒らないから……アイリ、アレンのとこじゃないと安心できないの」


 その言葉に、僕は少し黙った。


 怒らない——それは僕の信条であり、呪いでもある。


 前世の記憶。

 怒鳴り声と、痛みと、冷たい床。

 怒りに満ちた顔を見たくなくて、感情を殺して生きていた日々。


 だから僕は、子どもを怒ることを選ばない。

 叱るとしても、それは目を見て、言葉を丁寧に選び、決して怒気を混ぜない。


 その“やさしさ”が、アイリには“唯一の安全”に見えていたのだろう。


 


 ■ ■ ■


 その日の午後。


 他の子どもたちが積み木遊びをしている中、アイリが一人で縫い物をしていた。


 そこへ、元気のいい獣人の男の子・ベニトが声をかけた。


 「なぁ、これ見てくれよ! おれ、こんな高く積めたんだぜ!」


 無邪気な笑顔で、僕の方に駆け寄ろうとする——その瞬間だった。


 「やだ! アレンはアイリのだから、呼ばないで!」


 アイリが叫び、ベニトの手を思い切り払ってしまった。


 がしゃん、と積み木が崩れる音。

 ベニトは呆然とし、やがて下唇を噛んで部屋を飛び出していった。


 


 ■ ■ ■


 僕はアイリを呼び、アイリとふたりきりの時間を作った。


 「アイリ、さっきはどうして、ああ言った?」


 「……だって、アレンまで、いなくなったら……イヤだから……」


 ぽつりと、彼女は口にした。


 「ママも、村の人も、みんないなくなったの……

  だから、アレンも、誰かに取られたらって思ったら、胸がぎゅーってなって……」


 その目には、涙がたまっていた。


 僕は黙って手を伸ばし、彼女の手を握った。


 「大丈夫だ、アイリ。誰にも“奪わせない”んじゃなくて、アイリの居場所は、ちゃんとここにある」


 「……でも、ベニトに怒られるかも……」


 「それも、大丈夫。あとで、一緒に謝ろう。アレンが間に入るから」


 アイリは、少しだけ考えてから、コクリと小さくうなずいた。


 


 ■ ■ ■


 その後、ベニトの元へふたりで向かい、アイリは少し震えながらも「ごめんなさい」と言った。


 ベニトは最初こそ黙っていたが、最後には、「じゃあ、明日積み木手伝ってよな」と笑ってくれた。


 


 ■ ■ ■


 その夜。

 孤児院の廊下に、月光が静かに差し込んでいた。


 僕はひとり、部屋の片隅に置いた古い椅子に腰掛けていた。


 


 “甘える”ということは、ただ頼ることじゃない。


 それはきっと、「見捨てないで」と願う心の叫び。


 アイリのような子を見ていると、いつもあの頃の自分が、重なって見える。


 


 ——だったら、僕は彼女に言い続けたい。


 「大丈夫だよ、君の居場所はここにある」って。


 


——モノローグ(アレン)——

 アイリの手の温もりは、小さくて、軽くて、でも確かだった。


 “誰かを独占したい”という感情の裏には、“ひとりになりたくない”という祈りがある。


 子どもたちのその祈りを、僕が否定することはできない。


 だから僕は、明日もまた、彼女の“安心の土台”であろうと思う。

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