第19話 ダンガー子爵視点:崩れゆく玉座

◆ダンガー子爵視点:崩れゆく玉座◆


 この私が……この私が、こんな、屈辱を――!


 煌びやかな舞踏会。絢爛たる王宮の大広間は、いつも通りの栄華に包まれていた。貴族たちの笑い声。令嬢たちの視線。私のような上級貴族にとって、ここは“舞台”だった。己の地位を誇示し、力と血統を誇る場。


 当然、その夜も、私――ダンガー子爵は注目の的だった。女たちは微笑み、男たちは媚びる。それが“当然”だと思っていた。


 ……奴が現れるまでは。


 カール=キリト。


 その名を耳にした瞬間、私は笑いをこらえるのに苦労した。あの田舎の三男坊が、どの面を下げて戻ってきたのかと。令嬢にすがり、学園で恥を晒した男が、今さら何を――


 だが。


 その“姿”を見た瞬間、私は、言葉を失った。


 漆黒の軍装、腰に銀の剣。会場の空気が凍るのを、確かに感じた。いや、あれは“圧”だった。目には見えぬ、だが確かに場を支配する威圧。まるで、王か、いや――処刑人のような風格。


 そして、奴が口を開いた。


「本日は、一つの謝罪と、清算の場を設けさせていただきました。」


 私は笑った。リリスのことか? 今さら泣き言を言いに来たのかと。しかし、それはただの“序章”にすぎなかった。


 次の瞬間、奴は私の名を出した。


「ダンガー子爵。あなたの行いに関する、魔導映像の記録を提出させていただきます。」


 ……何を言っている? 何のことだ?


 空中に投影された魔導映像。それは、私自身の姿だった。誰かと話している。いや――複数の令嬢。それも、未成年の者まで。酒を交わし、甘い言葉を囁き、金と地位をちらつかせて……。


 くそっ……これは、罠だ! 偽造に違いない!


「ば、馬鹿な……! これは偽造だ! 魔術師ギルドと結託した陰謀だ! 我々はただ、愛し合って――!」


 そう叫んだ。叫ばずにはいられなかった。だが、奴は静かに、冷たく言い放った。


「“愛し合っていた”と言うが、君がその後、同様の手口で複数の令嬢に近づいていた記録がある。」


 その言葉と同時に、次々と新たな証拠が映し出された。証言、借用書、嘆願書、密録された音声。すべてが――私を告発していた。


 背筋が、凍りつく。


 この私が。ダンガー子爵が。こんな男に……こんな方法で、辱めを受けるなど――!


「これだけの証拠が揃って、まだ言い逃れをするか?」


 その言葉は、刃のようだった。言い訳も、罵倒も、何一つ出てこない。出せない。全身が冷え、指先が震える。


 ……終わった。


 そう理解した時、私は崩れかけた。足が、まるで自分のものではないようだった。


「騎士団長殿。あとは、お願いします。」


 カールの一言で、騎士たちが動いた。


 両腕を取られ、私は連行される。見下される視線。嘲笑。そして――誰一人として助けようとしない冷たい沈黙。


 あの時の私が、どれだけ栄華に酔っていたか、思い知った。令嬢たちは、もはや目を合わせようともしない。リリスは――あぁ、彼女すらも泣き崩れ、地に膝をついていた。


 だが、私にはもう、彼女を気遣う余裕などなかった。


 私は、完全に敗北したのだ。


 カール=キリト。


 お前は、私が嘲り、踏みつけた存在だった。あの日の婚約破棄の席で、令嬢たちの前でお前が侮辱される姿を見て、私は笑った。快感すら覚えた。何も持たぬ小物が、貴族社会に踏み潰される当然の光景として。


 ――だが、お前は立ち上がった。


 立ち上がり、這い上がり、そして今日、全てを返しに来た。


 力だけじゃない。権威でもない。冷静な論理と、積み上げられた証拠、そして“誇り”で。


 お前は、俺を断罪した。


 ……あぁ、これが敗北か。これが、本物の“格の違い”というやつか。


 連行される途中、ふと振り返る。


 そこには、背を向けて去っていく黒衣の剣聖の姿があった。もう、私のような者の声など届かぬ高みにいる、別格の存在。


 心が、へし折れる音がした。


 私は叫びたかった。「覚えていろ」「復讐してやる」と。だが、そんな言葉すら、もはや滑稽だった。


 なぜなら、私には何も残っていなかったのだから。



◆社交界の片隅にて――ある令嬢の記録◆

――語り手:侯爵家の娘、セリーヌ=ブラーナ


 あの夜のことは、きっと一生、忘れられない。


 王宮の大広間は、いつもと変わらぬ華やかさだった。壁にかかる黄金のタペストリー、磨き抜かれた大理石の床、天井には無数の光が揺れて――それは、まるで永遠の栄華を象徴するような空間だった。


 私たち令嬢にとって、この舞踏会は、未来を決める戦場のようなもの。美しく、優雅に、そして誰よりも上手く立ち回らなければ生き残れない。微笑み、軽やかな言葉で会話をつなぎ、誰と踊るか、誰に好かれるか。それが、明日の地位を左右するのだから。


 けれど、その夜は違った。空気が、最初からどこか張り詰めていた。まるで、嵐の前触れ。


 それは――彼が現れた時だった。


 カール=キリト。


 私は、彼を知っていた。学園で一緒だったから。かつて、リリス=ヴァレンタイン嬢の婚約者として知られていた青年。だけど、噂ではとんでもない鈍臭い田舎者で、剣しか取り柄がなくて、社交界には到底馴染めない落ちこぼれ――そんな風に言われていた。


 けれど、その夜の彼は、まったく別人だった。


 漆黒の軍装に身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばし、剣を佩いた姿。その姿だけで、空気が変わった。令嬢たちが囁きをやめ、男性たちが息を呑んだ。私も――息を止めていた。


 彼の声は静かで、そして確信に満ちていた。


「本日は、一つの謝罪と、清算の場を設けさせていただきました」


 最初は、誰もが困惑した。誰に謝るのか。誰と清算するのか。リリス嬢のことで何か言いたいのだろう、と誰もが思っていた。私もそう。学園のあの事件の続きかと思った。


 だけど――違った。


 カール=キリトは、真正面から、ダンガー子爵を名指しした。


「ダンガー子爵。あなたの行いに関する、魔導映像の記録を提出させていただきます」


 空中に投影されたその映像を、私は直視できなかった。あまりに生々しく、あまりに醜くて――けれど、目を背けることもできなかった。


 未成年の令嬢に甘言を弄し、酒を与え、金や地位を武器にして――あの、いつも朗らかに笑っていた子爵が。いつも冗談を言っては周囲を和ませていたはずの彼が。


 それが“演技”だったのだと、今さら気づかされる。私たちは、なんと無知だったのだろう。


 証拠が、次から次へと映し出されるたびに、会場の空気は冷たくなっていった。最初は驚きだった。でも、それが怒りになり、そして最後には――静かな、冷たい絶望に変わった。


 彼が叫んでいた。「陰謀だ」「偽造だ」「愛し合っていた」と。


 だけど、誰の心も動かなかった。むしろ、その声が滑稽に響いた。


 あれほどの地位を持ち、誰よりも声高に“貴族の誇り”を語っていた人が、証拠の前でこんなにも無様になるとは。


 その時、私は――涙が出そうだった。恐怖でも、怒りでもない。


 たぶん、失望だった。


 子爵に期待していたわけではない。でも、私たちが当たり前のように見ていた社交界という“舞台”が、こんな風に崩れていくなんて。こんなにも簡単に。


 カール=キリトは、ただ冷静に、それでいて毅然と告発を続けた。


 誰も彼を止められなかった。


 最後、子爵が連行される時、リリス嬢が泣き崩れたのを見た。美しく着飾っていた彼女が、地に膝をついて、誰にも見られたくない姿を晒していた。


 でも、誰も手を差し伸べようとはしなかった。


 それが、“本当の社交界”だったのだと思う。


 力のある者には媚び、落ちた者には冷たく背を向ける。情など、幻想に過ぎない。


 だけど――その中で、ひとりだけ違っていた。


 カール=キリト。


 彼だけは、情に流されることなく、証拠と理で告発を成し遂げた。権威や噂に頼らず、ただ事実を突きつけるという形で。


 その姿は、私たち令嬢の目に、まるで黒き騎士のように映っていた。


 正義を掲げてはいたけれど、慈悲深くはなかった。容赦もなかった。けれど、それこそが、私たちにはできなかった“本当の強さ”だったのだと思う。


 誰よりも踏みつけられた彼が、誰よりも冷静に、そして確かに――断罪の刃を振るった。


 今の私は、彼の背中を追いかけようと思っている。


 あの黒衣の剣聖のように、強く、そして誇り高く。


 もう、媚びへつらうだけの令嬢ではいられないから。

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