第4話 グレンディアの森

◆ 追放された剣聖、森にて目覚める ◆


 カール=キリトは、伯爵家を追われたその日、王都の喧騒を背に、誰にも告げずに姿を消した。

 向かったのは、王都から遥か東、誰も近づこうとしない魔境——《グレンディアの森》。

 それは、常に濃霧が立ち込め、昼なお暗き深き森。多くの冒険者が命を落とし、王国ですら正式に「立ち入り禁止」としている地。

 しかしカールにとっては、その孤独と危険こそが、ようやく得た“自由”の証だった。


 彼はかつて、カールとして生を受ける前の前世で、剣の才において他の追随を許さなかった。

 その技は一流どころか“異才”とさえ呼ぶべきものを持っていた。前世では、剣聖として仲間とパーティーを組み、魔王を倒したのだ。その余韻があったのだろう。カールとして生まれてからは、剣聖の記憶はなかったが、剣の才能があった。

 しかし、それを誇ることなく、むしろ自ら封じてきた。それは、リリスの家が魔術家だったのが大きい。魔術家との関係で剣の腕前は自慢にならない。

 魔術こそがすべてと語る家もある。

 バレンタイン家の誇りを損なうことを恐れたから。もし、魔術よりも剣術の方が優れているとなれば、面白い顔はしないだろうと考えたのだ。

 また同時に、兄たちの名誉を守るため、己の剣を陰に伏せ、三男坊として剣のうでは、凡庸を装い続け、魔術の才能を伸ばしていた。

 だが今、その鎖は断ち切られた。裏切られ、捨てられ、すべてを失った今、もはや誰のために隠す必要があるというのか。


 森の中、古木に囲まれた岩窟に、彼は拠点を築いた。

 野営道具、保存食、武具一式——すべては彼のスキル《アイテムボックス》の中に完備されている。まるで底なしの異空間。あらゆる道具を自由に出し入れできるその力は、彼の孤独な戦いを支える最強の装備だった。


「……ステータスオープン」


 彼の前に、淡く光る魔法陣のような表示が浮かび上がる。まるでゲームのような視覚情報。


 ──

 レベル:5

 HP:108

 MP:270

 速さ:122

 幸運:37

 スキル:アイテムボックス/剣聖

 称号 魔導国家の王族

 ──


 数字は低い。だが、そこに絶望はなかった。

 レベルは魔物を倒せばいくらでも上げられる。今までは貴族として、魔物討伐など率先する必要はなかった。しかし、今なら、いくらでも経験値を積むことができるのだ。まさに、無限の可能性がカールを歓迎しているのだ。


「大物は倒せないな……コツコツとレベル上げに満進するか」


 そう呟いた彼の目が、森の奥に潜む気配を捉えた。



◆ゴブリンとの初戦◆


 霧が、静かに流れていた。


 《グレンディアの森》の奥地。昼間だというのに、光は薄く、地面には濡れた枯葉が重なっている。足音一つ立てれば、まるで森そのものが生き物のように、ざわ……と震えを返してくる。


 だが、その空気の中でも、カール=キリトの瞳は揺るがなかった。


 静かに、剣の柄に手を添える。


「来い」


 低く呟いた瞬間、茂みが大きく揺れた。


 ――ガアッ!


 飛び出してきたのは、浅黒い肌に黄色の瞳を持つ魔物、ゴブリン。身の丈は小柄だが、その手には粗雑な棍棒が握られ、目には明らかな殺意が宿っていた。


 しかも、一匹ではない。


 次々と姿を現す、計五体の群れ。鼻を鳴らしながら取り囲んでくるその様は、まるで獲物を狩る野犬のようだった。


「なるほど、いい経験値になりそうだ」


 言い終わると同時に、カールは左足を一歩、すっと前に踏み出した。


 次の瞬間――風が、唸った。


「《剣聖・構え》」


 彼の全身から、目に見えない圧が広がる。剣を抜くわけでもなく、ただ“気”を通すだけで、その空気は明らかに変わっていた。


 一体目のゴブリンが突進してくる。


 棍棒を振り上げ、力任せに振り下ろすその瞬間、カールの体が霞のように揺れた。


「――遅い」


 斜めに一閃。


 刃すら見えなかった。ただ、斬られたゴブリンの体が音もなく崩れ落ちた。


「一体目」


 残る四体が、一瞬たじろいだ。けれど、彼らの本能が「逃げてはいけない」と叫んでいたのだろう。仲間の仇を取るように、二体、三体と一斉に襲いかかってくる。。


「《剣聖技・燕迅(えんじん)》」


 軽い足音とともに、森の中に閃光が走る。


 振り下ろされた刃は、一つ、また一つと確実に敵の急所を貫いた。軌跡は無駄なく、洗練され、ただ美しかった。血飛沫が空に散るたび、霧が紅に染まる。


 二体目、三体目――崩れる。


 四体目のゴブリンが本能的に逃げ出そうと背を向けたが、すでに遅かった。


 背後に瞬間移動したかのようにカールの姿が現れ、静かに剣を振る。


「四体目。……さて、残りは」


 最後の一体が、動かなかった。


 仲間の死に直面した恐怖か、あるいはこの“剣聖”という存在の威圧か。


 細かく震えながらも、牙をむき、喉を鳴らし、飛びかかってきた。


「無謀な勇気は、美徳ではない」


 その言葉と共に、彼の剣が最後の一閃を描く。


 静かに、五体目のゴブリンが地に伏した。


 森が、再び静寂を取り戻す。


 あれほどの気配に満ちていた空気が、霧と共に落ち着いていく。木々のざわめきも止み、ただ、自分の息遣いだけが残った。


 カールは剣を納め、ゆっくりと天を仰いだ。


 霧の向こう、わずかに差し込んだ陽の光が、彼の頬を照らす。


「……ああ、思い出した。この感覚」


 剣を握り、命を懸けて戦うということ。その瞬間ごとに、身体の奥深くから湧き出す熱。


 剣聖だった前世の記憶は、まだ曖昧だ。


 だが、こうして戦うことで――一つ一つ、感覚が戻ってくる気がした。


「レベルアップ、か」


 再び、ステータス画面を開く。


 ──

 レベル:8(+3)

 HP:146

 MP:315

 速さ:130

 幸運:39

 スキル:アイテムボックス/剣聖/燕迅

 ──


「スキル《燕迅》が固定されたか。……悪くない出だしだな」


 自分自身が確実に前へ進んでいることが、目に見える数字となって現れる。それが、妙に嬉しかった。


 カールは立ち上がり、周囲を見回す。辺りに敵の気配はない。けれど、森の奥にはもっと強い魔物が潜んでいるはずだ。


「この森で生きる。強くなる。その先で……」


 呟きの先には、彼の決意があった。


 失ったものを、取り戻すためではない。


 誰かに見返すためでもない。


 自分自身の“人生”を、もう一度、築くため。


 かつて名家キリト家の三男だった少年は、いま、森の奥で“剣聖”としての一歩を踏み出した。


 その背中に、迷いはなかった。



◆フォレストウルフとの死闘◆


 数刻が経ち、太陽はすでに森の上空からその姿を消していた。


 けれど《グレンディアの森》において、昼と夜の境目は意味をなさない。ここでは常に霧が立ち込め、木々が光を遮る。空の色が変わるよりも先に、森の“空気”が変わるのだ。


 カール=キリトは、一本の巨木の根元で短い休息を取っていた。


 先ほど倒したゴブリンの戦利品は、《アイテムボックス》に収納済み。血の匂いを消すため、森で採れる芳香草を体にすり込み、再び立ち上がる。


 しかし、そのときだった。


 ――ぞくり、と。


 肌にまとわりつくような寒気が背筋を這い上がった。


 風もないのに、枝が揺れ、葉が音もなく舞い落ちてくる。


 気配が……違う。


 「……来るな」


 カールは静かに呟き、剣に手をかけた。


 そして――次の瞬間。


 「グルゥゥ……」


 唸り声とともに、霧を割って現れたのは、異形の獣だった。


 深緑の毛並みに覆われた、狼のような姿。しかしその体長は軽く2メートルを超えている。両目は赤く光り、牙は人間の腕ほどもある長さで、口元からは唾液が垂れていた。


「……フォレストウルフか」


 魔物図鑑で目にしたことがある。上級種に近いBランクの魔物。通常、冒険者の小隊を組まなければ討伐不可能とされる存在だ。


 だが、今ここにいるのはカール一人。


 逃げるか。否――


 「やるしかない」


 剣を抜くと同時に、フォレストウルフが咆哮を上げた。


 「ガアアアアッ!!」


 咆哮が空気を震わせ、木々が一斉にざわめく。


 その勢いのまま、一直線に突進してきた。


「速い……!」


 だが、カールの目は追っていた。


 飛びかかる瞬間、その重い体重を支える後脚に力が入った。


 そこだ――!


「《剣聖技・燕迅》!」


 刃が走った。


 だが……。


 「硬い!?」


 剣は確かに命中した。だが、フォレストウルフの毛皮は想像以上に硬質だった。刃が滑り、表皮をかすめただけ。


 その瞬間、獣の反撃。


 前脚が唸りを上げて振り下ろされた。


 「……くっ!」


 咄嗟に剣で受け止めるが、その衝撃でカールの体が後方へと吹き飛ばされた。背中が木に激突し、肺の空気が一気に抜ける。


 「がはっ……!」


 だが、カールは立ち上がった。


 瞳に宿る炎は消えていない。


 「レベルが足りない……だけど、やれる」


 スキルウィンドウを開く。新たに取得可能な技が点滅している。


 《剣聖技・双閃(そうせん)》──両手で繰り出す高速の連続斬撃。


 「使わせてもらう」


 習得完了。


 気を集中させ、両手に剣を構えた。


 「こい……!」


 フォレストウルフが再び突進してくる。


 今度は、避けない。


 受け止めるつもりもない。


 斬るだけだ。


 「《双閃》ッ!!」


 カールの体が、風のように駆けた。


 刃が、二閃、三閃と閃き、鋼のような毛皮を切り裂く。剣が滑り込む角度、深さ、力加減――すべてを正確に見極め、殺意を込めた斬撃が魔物の脚を切り裂いた。


 「ギャアアアアッ!!」


 咆哮が苦痛に変わった。


 フォレストウルフが一瞬、動きを止める。


 そこを逃すカールではなかった。


「これで終わりだ――ッ!」


 跳躍。


 剣を高く掲げ、重力と共に落下。


 狙うは、頭蓋。


 「《剣聖技・墜刃》!」


 ――ズン。


 鈍い音と共に、大地が震えた。


 剣が、獣の頭部を真っ二つに割る。


 霧が、赤く染まった。


 フォレストウルフの体が、崩れるように倒れ、微動だにしなくなる。


 静寂。


 カールの息が、白く揺れた。


 剣を地面に突き立て、膝をつく。


 「……倒した、か」


 血と汗で濡れた髪が、額に張り付いている。


 スキルウィンドウが自動的に更新される。


 ──

 レベル:12(+4)

 HP:173

 MP:365

 速さ:138

 幸運:40

 スキル:アイテムボックス/剣聖/燕迅/双閃/墜刃

 ──


「良い……成長速度だ」


 心の底に、ひとつ、熱が灯る。


 


 


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