第38話


──数刻前──


やばいやばいやばい…………!!


全部……


全部、思い出した…………!!!!


俺は冷や汗をダラダラ流しながら、暗くなりかけている夜道にしゃがみこんだ。


登武に頼まれて雨森村に来たこと。

オッドとの関係性を探してること。

俺たちは偽名を使っていること。


さっきまでは最早、俺が山内修だと信じて疑ってなかった。

本当の自分を忘れかけていた事に、今更ながらゾクリと寒気が走った。


「俺は壱条理紅、壱条理紅、壱条理紅……」


小声で復唱しながら、本当の名前を今一度心に刻む。


ここに来てから、なんだか夢の中にいるような感覚でずっとふわふわしていた。と思う。

ああ、ダメだダメだ。

俺は頭を振りながら、ここに来る前にバスの中で交わした氷緑との会話を必死に思い出す。


『ちなみにさ、登武の話について何か共有してた方がいい事とかあるか?』


『……村では恐らく携帯とかGPSの類は使えない。もし万が一、自分の身に何かあったら──何か持ち物をその場に捨てて。なるべく悟られないように。』


『……分かった。』


あの時、持ち物は何とは限定されていなかったから、果たして氷緑の持ち物を俺が気づけるだろうかと思っていたが……まさか"氷"とは。

今思えば恐ろしい話だが、俺はあの家をすっかり自宅だと思っていた。

居間で足が滑って、よく見てみれば畳に不自然に凍った部分をみつけた時、今まで夢を見ていたんだって位視界が鮮明になって…

そこでようやく、俺は我に返る事が出来たのだ。

同時にオッドの事や任務の事も何とか思い出せた……が、


問題はここから。


「で、当の本人はどこ行ったんだよ……」


俺は心許なくつぶやいた。

バスでのこの約束が果たされたということはつまり、氷緑の身に何かがあったという事だ。


こういう調査とか初心者過ぎて、そもそも氷緑がいなければ何をどうすればいいのか全然わかんないのに……。

俺は、まだ若干モヤモヤしてる頭を必死に動かしてみる。


そもそも、村の全貌を暴きに来たのだから、オッドピットがあった!という証拠さえ取れればそれで言い訳だ。

正直、記憶は戻ってきたのだが、今度は逆にここに来てから自我を失いかけてた間の記憶の方が、ちょっと曖昧になってしまった。


「どうなってんだ俺の海馬は……」


~♪


そんな事をしていたら、広場の方からお囃子の音が聞こえてきた。


「祭り……始まったのか……」


準備が終わった時点で、もう日が落ちそうだったもんな。

すっかり暗くなった木々の間から、灯りが見える。


さえは、まだあの家に残っているだろうか。


俺が氷緑の居場所を聞いた途端、強烈な劣等感に苛まれた顔をしていた。

そして、何も言わぬまま青ざめてしまった彼女は、そのままふっと気を失ってしまったのだ。

急に倒れてしまい全く反応がない事に、俺は内心かなり慌てながら、とりあえず布団を敷いてそこへ彼女を寝かせた。


別にさえを疑っていた訳では無かったのだが、あの反応では恐らく何かを知っているのだろう。


幼い少女に、あんな顔をさせるんだ。

この村では、きっと本当に恐ろしい事が起きている。


俺も俺で急激に色々思い出してしまった脳を整理しながら、氷だけを残して消えてしまった氷緑の事が気になって、そのまま家を出て来た。


……本当は俺の方こそ、さえに対してずっと偽ってるんだから、お互い様なんだけどな。


呆然としていたさえのことを思い出すとかなり心配だが、それよりももっと危ない目にあっているかもしれない氷緑の事を考えると、そうも言っていられない。


俺は、さえを心配する気持ちをかき消すように、ぶんぶんと頭を振った。


──そういえば、前に人が幽閉されてる社があるって、氷緑が言ってたっけ。


人が幽閉されるような場所……

何かしらで捕まったとすれば、もしかしたらそこに氷緑もいるかもしれない。

そう考えた俺は、氷緑との会話を思い出しながら立ち上がる。


「……確か、病院の裏だったよな?」


ついでに鈴木先生がいるなら、さえの事をそれとなく伝えておこう。


俺は一人頷きながら歩き出す。

山内修になりきってた時は全然感じなかったのに、記憶が戻った途端、強烈な孤独を感じ始めていた。


もし、本当に氷緑に何かあって、仲間のいなくなったこの村から俺一人で脱出しなくてはならないとしたら……。


俺は、ここから無事に外へ出る事が出来るのだろうか。


考え事をしながら歩いていれば、目当ての病院がすぐに姿を現した。

人が出払っているのか、静かだ。


「誰もいない……?」


広場と違って妙に静かである事に、俺は少し違和感を覚える。


ここには、入院患者がいたよな?


俺自身のことを忘れかけてた期間の記憶は曖昧だが、あの時あの病室で感じた恐怖の感情はよく覚えている。

断片的な記憶を繋ぎ合わせながら、明かりもついてない真っ暗な病院を不思議に思うが、今はとりあえず社を探しに裏へ回る。


「…………暗いな。」


裏手に回ってみれば、生い茂る木々と建物の影も相まって真っ暗だ。

正直なんも見えない。


まさか暗くて先が見えないとは、失念だった。

社が見つからないとなると、捜索がかなり厳しくなってしまう。

氷緑の話によれば、確か幽閉されている凛という少女は今日の祭りに出てくる筈だ。


そこで、"殺される"んだっけか。


村のために………?


俺は頭を抱えた。

なんであの時この村のやばさに気づいたのに、今の今まで忘れてんだ……!!


「何やってんだ俺……」


と俺は己の未熟さにガックリと項垂れながら、ズボンのポケットへと手を伸ばす。


兎にも角にも、この暗さでの探索方法を考えないと。


そして、すっかり使われていなかったスマホを取り出し、ポチッといつものようにサイドのボタンを押してみる。


「……………………っ無いんだよな、充電が。」


元々そんなに良いスペックのスマホでは無い俺の携帯画面も、今の状況と同じように真っ暗なままだった。つらい。


「懐中電灯とかあれば良かったんだけどなぁ……」


しかし、今は村の人には少々聞きづらい。

記憶が戻った手前、何か矛盾があった時に上手く誤魔化せる自信が無い。

それに、氷緑と同様に俺まで村の人達から疑われて捕まったら、本当にまずいんじゃないか。俺の勘がそう言ってる。


社の事は諦めて別の手がかりを探すか、めちゃめちゃに悩む俺。


でも凄く、そこにいそうなんだよな。


まだ道がギリ見える範囲まで社を探してみるが、そんなものは見当たらない。

先を見るも草木の影ばかりで、入ったら最後、この中で朝が来るまでさまようしかなくなりそうだ。

遠くから微かに聞こえている祭りの音楽が、俺を焦らせてくる。

早くしないと、凛という子も氷緑も死んでしまうかもしれない。

路頭に迷ってしまった俺の額を、汗が伝う。


どうすれば……


「…………………ある…」


「………………」


「………………だ…う…?」


するとじっと見ていた森の方から、明かりと共に誰かの声が聞こえてきた。


やば。


俺は咄嗟に戻って、病院の上へと飛んだ。

自分の視界が、一瞬木の上まで到達しストンと屋根の上に着地する。


そこではたと気づいた。


………………あれ。

そういえば俺、飛べんじゃん。


じゃあ、社は上から探せば良かったんじゃん。

なに忘れかけてんだよ俺。

とかそんな事を考えていれば、森から出てきたのは白衣を来ている男性と、白い着物を着たやせ細った女性だった。


あれは、鈴木先生……?


恐らく病院にいた人と同じ人の筈だ。

記憶の混濁で若干自信が無いが……白衣を着てるって事はきっと合ってる。

それと、後ろの女の人は……?

全力で記憶を呼び起こしてみたが、多分この村ではまだ見た事無い人だ。

しかも森から来て、更に白い着物を来ている……


──あれが"凛"か?


あんななんでも無さそうな人が、殺されるのか?


「私は、何をすれば良いのでしょうか?」


病的に細い、凛と思わしき人物が、鈴木先生の後を追いながら問いかけた。

そんな少し不安げな彼女へ、鈴木先生はニコリと微笑む。


「貴女は何もしなくていい。今日はおめでたい日だ。沢山のご馳走が貴方を祝福するだろう。」


ご馳走……そういえばさえが作るって言ってたっけ。

俺は、楽しそうに語るさえの顔を思い出して少し心が痛んだ。


「あの……神様になるって一体どういう事なのでしょうか?」


凛はまだどこか不安があるのか、続けて問いかけた。

俺も気づかれないように慎重に息をしながら、耳をそばだてる。


「いいかい凛。貴女は何も心配しなくていい。」


鈴木先生は再びそう言って彼女を諭し、体を凛の方へ向けた。

2人の足が、病院の入り口付近で止まる。


「貴女の不安は、貴女の体に影響する。大丈夫さ、貴女は美しい。立派な天守様になれるだろう。」


その言葉や声色は諭すようでいて、尚且つ彼女の身を心から案じているようでもあった。


鈴木先生は、凛が村の為に死ぬという事を理解していないのか?

頭がおかしかった時の俺と同じように……。


俺は少し違和感を感じつつも、話の続きを待つ。


「でも……私まだもう少し……」


未だ渋っている凛の様子に、鈴木先生は納得したように「ああ、そうか。」と頷いた。


「すっかり染まってしまわれたのだね。」


突然先程まで優しかった雰囲気が、とても高圧的で、恐ろしい物に変わっていく。


「──これも全てあの災いのせいか。」


俺は鈴木先生の変貌に背筋を凍らせながら、災いという単語が引っかかる。


災い……?災いって確か…………何だっけ?


しかし、微妙に何を表しているのか思い出せなくて、悔しい。


「あ、あの方は……どうして災いなのですか?」


俺は災いについてを何か知っている気がして、頭をフル回転させ続けた。

あの方……?あの方って事は災いって人間なのか?


「災いは、この村にとっての害だ。アナタにとっても……しかし、アナタ自身がそうは感じないと言うのなら、やはりアナタは本物だ。良かった……アナタは一人では無い。あの災いと共に人間を捨てるのだよ。」


災いと共に人間を捨てる……?

不穏な空気に、意味を理解しようとする脳が赤信号を出し始める。


「……りさんと、一緒に……?」


ふいに俯いた凛が、聞こえるかギリギリの小さな掠れ声で呟いた。


「そうさ。少しは気が楽になったかい?なにより、貴女が天守様にならなければ、ここの村人達はどんどん呪いに苛まれて行くのだからね。」


「…………はい。」


俯いたままの凛は、どうやらまだ納得いっていないようだったが、鈴木に促されそれ以上の言及はしなかった。


「さあ、儀式の準備に急ごう。」


そして、鈴木先生の満足そうな笑い声が聞こえると、2人は病院の中へと入っていった。


残された俺の脳はと言うと、宇宙にすっ飛んでいた。


「………………………………んあ?」


今、凛、最後「ひのり」って言ってなかったか……?


俺の聞き間違えじゃなければ、絶対にみどりじゃなくて、ひのりと言っていた。

イントネーションが完全にそっちだった。


俺は一旦空を見上げた。

星が綺麗。


「……………………………………どゆこと???」


つまり、ひの君は、俺がいない間に己を偽ることを辞めたって事か……???

多分それ、"みどり"と"ひのり"だったから鈴木先生に気づかれてないかもだけど、"おさむ"と"りく"じゃそうはいかないからな。


氷緑の思考回路が未知数過ぎて、俺には最早理解ができない。


「まぁ、お陰で居場所は分かったけどさ……」


ドッドッと今更やって来た脈を全身で感じながら、俺はやっと呼吸を意識した。

氷緑の真意を確かめる為にも、まずはどうにかして社を見つけなければならない。


「は〜あ……星めっちゃ綺麗。」


数秒、満天の星空を眺め、ようやく落ち着いてきた俺は気合いを入れ直して立ち上がる。

そして、パンッと両手で自分の頬を一喝した。


「うっし。遅れた分、働くとするか!」


満天の星空の下、そして華やかな祭りのお囃子を背に、俺は意を決して暗い夜の空へ飛び上がった。

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