第36話

「もうとっくに殺しているのかと思ったが……災いの分際で我が村の神と気安く交流をはかるなんて、お気楽もいい所だね。」


鈴木が氷緑に向けて放った言葉に、何も知らない凛が不思議そうにこちらを振り返った。


「"災い"の分際?……村長には、村を救う鍵だって言われたけど。」


淡々と答える氷緑に、鈴木は「ふむ……」と自身の顎を撫ぜた。


「嘘は言っていないようだけどね?」


「……」


抑揚のない声と表情。今鈴木と対峙している氷緑には、先程まで凛と接していた時のような冷たくも温かな雰囲気が、全く消え去っていた。


──こわい。


凛は、単純にそう感じた。

それ程までに、今の氷緑は底知れない空気を漂わせている。


「俺が災いなら、すぐに殺せば良かったんじゃない?」


「おやおや困ったな。ただ貴方を拘束しただけだとお思いかな?」


「じゃあ何?村らしく火炙りにでもする?」


鈴木はまた「ふむ……」と顎を撫でる。


「貴方をどうするのか、他でもない貴方本人に言うわけがないだろう?」


男の目がニコリと気味悪く弧を描いた。


「それに、あまり下手な事を言わない方がいい。お付きの方の命、私は保証出来ないからね。」


氷緑は拘束によって大して動かせずにいた手に、ギリ…と僅かに力をこめた。


「あいつはどうせ同じ目的で来てる訳じゃない、生かすも殺すも好きにしなよ。」


そう端的に答えるが、鈴木からは馬鹿にしたように可笑しそうな嘲笑が返ってくる。


「その割には、必死に探していたように見えたが?」


チッと心の中で氷緑は舌を打った。

さえに捕まる瞬間、どこかでこいつも見ていたのか。

そして、はぁと短く息を吐く氷緑は、一度地面の方へ視線を落とし数秒思案すると、ほんの一瞬だけ、怯えた顔をしている凛の方を見た。


「……俺が必死に探していたのがアイツに見えてたなら、良かったよ。」


ポツリとこぼした彼の発言を聞いた鈴木は、笑顔だった表情へスっと影を落とした。

耳に入るか入らないかギリギリのラインで呟かれた氷緑の言葉には、明らかに含みがあった。


「……貴方、何を企んでいる?」


急激に温度を失った鈴木の低い声に気づいた氷緑は、視線を鈴木へ戻すとほんの僅かに目を細めた。


「それ、君に話すと思う?」


ピリ……と突如として緊張が走った空気に、間に挟まれている凛が口も出せずにオロオロと二人の顔を交互に見る事しか出来ずにいる。

そしてこの恐ろしく長く感じられた数秒の冷戦は、格子を挟み吹き出した鈴木の笑い声によって打ち破られた。


「フッそんな状況でよく言えたものだ。貴方そのままでは何も出来ないだろうに。」


氷緑の両手を塞ぐ枷に視線を送った鈴木は、暗にオッドの能力のことを示しているように見える。

その意図に気づかぬ筈が無い氷緑の目元を、すぅ……と冷気が纏っていく。


「……自分と違う生き物を拘束出来て、満足?」


少しの沈黙の後、「だから……」と彼はそっと話を続けた。


「同じように捕まった筈の前の災いが、もうんだよね。」


その瞬間、鈴木が小さく息をのんだ事が傍に立つ凛には分かった。

だが、氷緑の言葉が一体何を意味しているのか、彼女には全く見当がつかなかった。


刹那、静まり返る地下牢のどこかで、ポツ。と雫の音だけが弾ける。


沈黙に耐えきれず凛は鈴木の顔をチラと見上げ、

そして、ゾッとして目を見開いた。


普段あんなに温厚な鈴木が、それ以上口を開いたら殺す、と言うような明確な殺意を含んだ目で氷緑を睨んでいたのだ。


「鈴木……先生?」


思わず恐る恐るその名を呼べば、いつものにこりとした優しげな笑顔がこちらを向く。


「…………凛さん。」


凛を呼んだその声は、とても優しい。

いつも通りの雰囲気に戻った事に、凛はほっと安堵の表情を浮かべた。


のも束の間、微笑んでいた鈴木は急に重々しい鉄格子の鍵へと手を伸ばし、ガジャン!とそれを外してしまう。

突然の事だというのに、凛の目にはその仕草がスローモーションのようにゆっくりと写っていた。

それは、やがて凛と鈴木の間を隔てる壁に大きな穴を作る。


「え……?」


困惑。迷い。□□□。


そっとこちらへと差し伸ばされた手は、もう格子越しでは無い。

突然の出来事をただ呆然と見つめていた凛は、その意味をゆっくりと咀嚼していった。


ああ、やっと……


ようやく出られるという期待と共に彼女が鈴木の手に自分の手をのせた時、背後から「凛。」と小さくも耳にしっかりと残る声が聞こえ、ピタリと静止する。

ほぼ反射的に顔だけで振り返った先で、真っ直ぐな視線を向ける氷緑と目が合った。


「ひ……」


「俺は、自分の身は自分で守るから。」


そして凛が何か言うよりも先に、さよなら。と素っ気なく目を逸らした彼に、口を閉ざした凛は目をゆっくりと瞬いた。


「あなたを殺そうとしていた男の言うことなど、聞く必要はない。さあ、ついてきなさい。」


すぐ近くからそう言って優しくも強く凛の手を引いた鈴木に、抵抗すること無く呆気にとられていた彼女は、晴れてこの暗く冷たい鳥籠から解放される事となった。

再びガチンと閉まった格子越しで、無機質な目をした氷緑がこちらを見ていた。


凛を連れ出す鈴木を、氷緑は無言でただ見つめ続ける。


姿が消えた後しばらくして、微かにギィィ……と洞窟内に音が響く。

氷緑は二人が完全に外へ出ていった事を理解した。


一人残された彼は、ふっと静かに息を吐いた。


……。…………。……。


冷たく響き渡る雫の音と共に、氷緑は鈴木との会話を少しづつ整理していく。


自分の死に場所はここでは無いみたいだし。

次外に出るのは、凛が死ぬ前か後か。


それと、表向きで自分は"災い"と説明されているらしい。

災いと天守の後継人、恐らく本来なら凛が災いと呼ばれる予定だった。

しかし、好都合にも俺のようなオッドが村に現れた。

だから、"二人"つくることにしたのだろう。


氷緑は、呆れたように首を曲げた。

なんとも軽薄な作り話。

この村の事は、まるでどうでもいいみたいだ。


……まあ、当たり前か。


そんな事を考えていたらふと、薄暗い洞窟内が少しだけ明るく照らされた。

月明かりだろう、上方に空いていた小さな隙間へ視線を上げてみれば、丁度月の姿が見えていた。


「満月……」


綺麗な丸い月は、この村の状態など一切関係なしに煌々と光っている。

氷緑は、少し鮮明になった地面の小石に視線を落とした。


放って来てしまった理紅の状態はどうだろうか。

オッドであればオッドピットそのものを目視しても何とも無いが、食べたり飲んだりしても平気かどうかは分からない。

何しろオッドピットを体内に入れるという前例は、今まで聞いたことがない。

しかも、理紅はそもそもの能力値も著しく低いらしい。

そうなれば、ほぼ普通の人間みたいなものだ。


また辺りが暗くなる。月が影ったようだ。

氷緑は土を眺めながら思考していた頭を、ふと持ち上げた。


「……満月?」


先程目に映った月は、確かに綺麗な丸い月だった。


回送バス。

外壁。

自給自足。

引きこもり。

爆破事件。


今までの情報が、目まぐるしく氷緑の脳内を巡っていった。


ああ、そうか。


「…………」


考え込んでいた氷緑は直ぐに脱力し項垂れる。

何故、今の今までそんな簡単な事に気づかなかったのだろう。


愚かすぎる……


心の中で自分自身に悪態をつきながら、今気づいた所でどうにも出来ない彼は、立てた膝の間に顔を埋めて目を閉じた。


ポつ。ポツ。


静かになった空間で、不規則な音が耳を撫でていく。


そういえば、ずっと聞こえていたこの水音も、何処からしているのだろう。




──コン!




耳をすましていれば、突然何か小さい物がぶつかった音がした。

億劫ながらも再び顔を上げ改めて辺りを見回してみるが、夜のお陰でかなり暗く、遠くまで見えずらい。


よろよろと立ち上がった氷緑は、音のした方へと近づいた。

確かにこの近くで音がしたが、柵がしてあってこれ以上は進めなくなっている。

それに、上からの月明かりで多少判断できるとはいえ、柵越しに加え薄暗い夜の為にこの奥が何なのか、はっきりとは判別出来ない。

彼は不自由な両手を上手く動かし、ずっとポケットにあった使えない携帯を取り出すと、懐中電灯代わりに明かりを付けた。


「……水路?」


微々たる光源ではあるが、光を反射した水がキラキラと輝いた。

水路のように見えたそれは、ぐるりと全体を照らせば想像より大きい水溜まりのようだった。


こんな地下に水……?


ポツポツと鳴っていた雫の落ちる音は、どうやら地上から降りて来てるようで、周りの岩にぶつかったり水の中へ直接落ちていったりと様々だった。


そして、ある一点。


氷緑はグッと出来うる限りで手を伸ばし、何とかそれを取り上げる。




「…………」




それは、暗がりでも分かるくらいには気色の悪い配色をした、怪物のキーホルダーだった。


────────────────────────


ルークファクト 東京支部 第8番隊 寮


コトリ。と二つお茶が並べられたテーブルには、8番隊の監視役である飛鳥あすかと、若い黒髪の男が対峙して座っている。

そこへ湯のみを置いた香深かふかが、飛鳥の隣へ並んで腰掛けた。


「なんの用かな、夜桜よざくら君。」


夜桜と呼んだ黒髪の青年へ、飛鳥が微笑みかけた。

置かれた湯のみを興味深げに眺めていた青年は、そう声をかけられると頭をあげた。


香槻かづきさんから言伝を預かったので、持ってきました。」


消して大きくは無いが済んだ声が、広い共同スペースへ響く。


「……」


微笑む飛鳥は綺麗な姿勢のまま、一度手元に置かれていたお茶へと手を伸ばし自らの口へ運んだ。

そして、あっという間に空になった湯のみが静かに置かれると、香深がおかわりの為にとスっと席を立った。

しばらく無言だった飛鳥が、微笑みながら「それで?」とようやく先を促す。

こちらを見ているようで全く視線の合わない彼は、少し間を開けてから口を開いた。


「信用していないのなら、寄越せ。」


だそうです。と話した紫影の言葉に、飛鳥の表情が微笑んだままピシリと固まった。


そして、それまできちんと背筋の伸びた綺麗な姿勢で聞いていた彼は突然、

「はぁぁあ〜〜〜」という長いため息と共に机へガックリと崩れ落ちてしまった。

唐突な奇行に、お茶を持ってきた香深もぎょっと目を開く。


「ほんっと……人のやる事にいちいち口出ししてこないで欲しい……」


項垂れたまま飛鳥は独り言のように呟き、少ししてから香深の入れたお茶へ手を伸ばし「ありがとう。」と礼を述べた。

そしてそれを今度はひとくちだけ口へ運ぶと、もう一度姿勢を正し紫影へ向き直る。

コホンとひとつ咳払いをして、


「夜桜君、俺からもそいつに伝えておいてくれないかな?」


紫影が軽く首を傾げ「なんでしょうか?」と答えれば、飛鳥はまるで一国の王子のように爽やかにニコリと微笑んだ。


「──文句があるなら、自分の足で言いに来い。」


ニコニコとしている顔からはとても想像つかないような低い声で、飛鳥はそう言い放つ。

しかし、「承知しました。」と淡々と応えた声には、全く臆する様子は無い。

そして、紫影は同じように手元へ置かれたお茶をコクリと一口飲むと、それが合図と言うように静かに立ち上がった。

飛鳥もやれやれといった調子で立ち上がり、困ったように笑っている香深を含め3人は、玄関へと足を移した。


「君も大変だね、わざわざそれを言いにここまで来たのかい?」


靴を履く紫影へ、飛鳥は声をかける。


「いえ……別件で動くついでに立ち寄らせていただいただけなので。」


そう言いながら立ち上がった紫影は、スっと飛鳥達の方を見た。

その冷淡な雰囲気に、飛鳥は心中で苦く笑う。

終始感情の読めない彼は、首元でシワを作っていた服を自身の鼻辺りまで引き伸ばす。

そして、「お邪魔しました。」と口元が覆われていても聞き取りやすい声はそう言うと、さっさと扉を開けて外へ消えていった。


ひらひらと手を振って見送った飛鳥は、扉が完全に閉まった事を確認すると、またしても大きく脱力した。


「……あいつに似すぎじゃないかな、彼。」


その、普段ではあまり目にする事のないような飛鳥の姿に、隣で同じように見送っていた香深はふっと微笑む。


「お優しいですよね、二人とも。」


その言葉に、飛鳥は「え?!」と言う感嘆詞と共にぎょっと目を丸めた。


「……どこが?」


驚きに眉を寄せる飛鳥に、香深も「え?」と首を傾げた。

しばらく、共に困惑の表情を浮かべながらお互いを見ていたが、飛鳥が先にまあいいかと腕を組み、壁に寄りかかった。


「……ところで、八神やがみ君とは連絡ついた?」


飛鳥が変えた話題に、穏やかな雰囲気を纏っていた香深に少しだけ曇がかかった。

その変化で、飛鳥はまだ彼らが連絡を取り合えていない事を悟る。


「そうか……彼に限ってそんな事は無いだろうけど、本部からも出張命令が出ていないとなると、一体どこへ行ってしまったのだろうね。」


飛鳥は、今し方紫影が去っていった扉を見つめた。

分かりません。と緩く首を振った香深が、「でも……」と先を続ける。


「連絡が取れなくなったのは、あの二人が雨森村へ旅立った日からです。確証は無いですが、登武とうむの読み通りあの火災事故が雨森村へ行く人間のを燃やしていると推測すれば……登武は、もしかしたらそこへ行ったのかもしれません。」


そう言うと、香深は顔を上げ飛鳥をしっかりと目据えた。

全てを見透かしたような彼の目は、とてもまだ15の少年とは思えない威圧的な貫禄を持っている。

その真剣な姿勢に、飛鳥は静かに口を開いた。


「それで、その雨森村の為に今回わざと設定していた場所には行ってみた?」


「はい。建物はほぼ消失していましたが、その中には彼の姿はありませんでした。それから……」


怪訝そうな顔をする香深の話に頷きながら、片眉を上げた飛鳥が「それから?」と先を促す。


「あの二人からも、あれから連絡が一切届いていません。」


「……緊急用の信号も?」


「はい。」


香深はそう言って、強い意志を持つ瞳をこちらへ向けた。


「今回の任務、彼らの采配をされたのは──飛鳥さんで間違いないですか?」


途端、ピリ……と空気が引き締まった。

嘘をつく事は許さないという香深の気迫に、少し考えた飛鳥はゆっくりと瞬きをすると、改めてしっかりとその目を見返した。


「香深君には、伝えておこうと思うけど……あの二人を選んだのは、俺じゃない───」



"団長"だ。



高まった緊張感の中で、

香深は、まるで納得したかのようにふっと微笑んだ。

驚くでも怒るでもなく、初めから知っていたみたいに柔らかく笑った彼に、飛鳥は内心で冷や汗をかく。


「そうでしたか。通りで……飛鳥さんの采配にしては危険過ぎるな、と思っていたんです。」


妙に鼻の効く彼を、飛鳥はしばしば恐ろしく思うことがあった。

8番隊の監視・管理役は飛鳥ではあるが、本当の意味で8番隊を監視しているのは、恐らく彼だ。


「一つ言っておくけど、俺は彼らを信用してないから任を下した訳ではないよ。……むしろ、全面的に信用しているから送ったんだ。」


だってさ、と今度は飛鳥が、なんの屈託もなく素直に微笑んでみせる。


「──幾千もの任務を1人でこなして来た他でもない、彼が付いているんだからね。」

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