第30話
──
──……うん。
──ハハッ不服そうだなぁ。いずれ彼が、氷緑の助けになる時が必ず来るよ。……理紅の事、よろしくね。
理紅と初めて会った日、電話越しで言われた
助けになんて、全然なりそうにないんだけど。
それに現状助けてもらうどころか、助けてやらなきゃいけない状況で、むしろ厄介事が増えたくらいなのだ。
香深の言っていた形がこれならば、自分は一人で十分だ。もし人間性の形成のためだけに言っているのなら、それこそ任務を完遂する事においては一人の方が断然効率が良いので、自分にとってそんなものは必要無かった。
そんな事を考えていれば、さえと親しげに話をしていた理紅の姿が頭をよぎり、自然と眉間に皺がよる。
あいつの一番近くにいたのが彼女だ。さえが黒幕の可能性も十分にあると言うのに。
少しイライラしながら早足で歩みを進めていると、どこからかぼんやりと誰かの話し声が聞こえ始めた。
気づけば、村長の家の近くまで来ていたようだ。
祭りの準備をしている広場から少し外れた村長の家は、楽しげな村の中心のような騒がしさがなく、ひっそりとしている。
ぼそぼそと流れてきていた声が、ギリギリ聞き取れる範囲まで静かに近づき、気づかれないよう木陰へと身を潜める。
「……──早まっちまいましたけど、供物の件はいかがです?」
「そうさな……もうじき完成するじゃろ。予定通り進めておくれ。」
「了解しました!」
そうして男性は忙しなく広場の方へ去っていく。
やはり祭りの指揮は、村長であるあのおじいさんがとっているようだ。
張り付いた柔和な笑みはきっと誰の目にも、良い人或いは頼りになる人という風に写っているのだろう。
去っていく後ろ姿を目で追っていると、その人と入れ替わるようにして別の男性が歩いて来るのが分かった。
白衣を身にまとっているその男性は、去る人とすれ違いざまに微笑みながら会釈した後、真っ直ぐ村長の方へ向かって来る。
「──よく来てくれたねぇ、鈴木先生。」
村長が親しげに声をかけた相手の名前に、氷緑は聞き覚えがあった。
それは昨日理紅が言っていた、呪いの話をしてくれたという医者の名だった筈だ。
鈴木と呼ばれた男性はにこにこと笑みを崩さない。気心知れたと言う雰囲気でおはようございます。と村長に挨拶を返した。
瞬間、つい先程までは呑気だった村長の顔が、途端に真剣なものに変わっていった。
「それで……あの二人の状態はどうかね?」
その顔には、何か大事な話をしようとしている事が分かりやすく描かれており、氷緑はより耳をそばだて2人の会話に全身を集中させる。
ああ……とこちらは逆に全く動じた様子も無く、胡散臭い笑みを崩さない鈴木は、落ち着きはらった声で応えていく。
「お兄さんの修さん、でしたっけ。そちらは概ね順調だと思いますよ。彼はもしかしたら、次の"器"に相応しいものを持っているかもしれませんね。弟さんの方には、私はお会いしていませんが。」
とても村の医者とは思えない、ニヒルな笑みを浮かべながら乾いた笑い声をあげた。
村長と鈴木が理紅に何かをしたと言うことだろう。
理紅の異変には、この二人が関わっている。
それに器とは一体…?
「そうかい、それなら無事に間に合いそうじゃのう。ワシも弟の動きは気になっているのだが、兄の方が順調に進んでいるならば、杞憂じゃろうな。ああ、そうじゃそれと、」
──君の被検体達も順調かね?
言葉を聞いた途端、全身をぞわりと悪寒が駆け巡った。
"君の被検体"と病室に眠る"脳死状態の呪われた人達"
そして、理紅の言うその病室の管理を任されているという、この鈴木という人物。
まるで、この村の住人をオッドの実験に使っているみたいじゃないか。
「ええ、お陰様で今回も順調ですよ。明日"上"へ送ります。それと確認ですが、今日の祭りでは供物を使うのですよね?」
──時間までに、準備しておきますね。
次いで村長がその言葉に頷くと、二人は何かを話しながら広場の方へと歩き出し、林の中へ消えていった。
盗み聞いていた氷緑だけがその場に残る。
そして、鈴木の最後に残していった言葉に酷く動揺していた。
「……そんな……まさか……」
掠れた声が小さく零れた。
被検体と、鈴木の言っていた"上"という言葉……
氷緑は、腕をぐっと抱きすくめた。
彼らは5年前に消滅した筈だ……。
まさか、復活したのか?
もし今、奴らに自分達が
一刻も早く、ここから出なくては。
動転する心を沈めながら、氷緑は人の気配がすっかり無くなった村長の家へとさっと忍び込んだ。
この村での自分の処遇がもう決まっているならば、後にも先にもそう変わらない。
それより、早くオッドピットを見つけて本部にこの事を知らせた方がいい。
……それに、今理紅に興味が移ってしまうと少々面倒だ。
いっそ派手に荒らして、こちらの対応に追われた方がいいか。
以前来た時構造などを記憶し、この家の粗方の情報を把握していた氷緑は、咄嗟に裏手まで周り込み鍵が付いたドアの前に立つ。
──パキパキ……
氷緑がドアへ手をかざすと乾いた音が鳴り、正面玄関の扉より一回り小さい木製の扉は、静かに砕け崩れた。
そして彼は、迷いなく中へ入る。
氷緑には、1つ思い当たる場所があった。
前に来た時に気づいたが、この家はものの配置や部屋の位置を逆にした、今氷緑達が住まわせてもらっている家と全く同じ造りなのだ。
──そう、台所の奥にある部屋を除いて。
その部屋の前で立ち止まれば、不自然に部屋を足されたような跡が残っているのが分かった。
何より怪しいのは、ここだけ鉄の扉がつけられている事だ。
考えるより先に、氷緑は取っ手の下に付いている鍵穴へと手をかざす。
──パキン!
扉の中からくくごもった音がし、刹那、鉄の扉がゆっくりと開いていく。
まず目に入るのは、土に植わっている無数の苗とそこに繋がってボコボコと音を立てる無数の管だった。
部屋の中に畑があるのもおかしな光景だが、それを助長するように垂れ下がってユラユラと揺れる無数の管が、この空間をより奇妙なものにしていた。
少し肌寒い気もするが、窓のないこの部屋で太陽の役割をしてるのだろう、照らしている電気が眩しかった。
その眩しさにだんだんと目が慣れてくると、その畑が棚で囲まれている事が分かる。
明らかに、何かを研究している事が伺えた。
囲むように並べられた棚の上には、沢山の瓶が置かれている。
そして氷緑はその瓶に目を凝らし、正体に気づいて目を見張る。
──この瓶全部、オッドピット……?
この淡い光は、間違いない。
液状化されたオッドピットが、綺麗に瓶に詰められ棚を彩っていた。
氷緑は少しの間固まった。待望の真相に辿り着いて安堵する反面、おぞましさが彼を襲う。
これまでにも数多く任務をこなして来た氷緑だが、過去オッドピットがこんなに大量に置かれているのは見たことが無かった。
呆然としながら無数の管を目で追えば、根源には一際大きく透明な壺のような入れ物があり、中を液体が光りながらボコボコと音を立てていた。
その中身は、信じたくはないが……棚に置かれた瓶のものと同じだ。
氷緑は、眉間に皺を寄せた。
これはつまり、オッドピットを水分代わりにして野菜を作っているのか……?
とすれば、ここの村人達はこの野菜を食べていると言うことか。
意識の混濁に悪魔の呪い。
確かに、理紅から聞いた呪いの症状はオッドピットを無能力者が直接目にした時と似ている。
今まで無機物に合成させていたものは見てきたけど、食べ物は初めてだ。
しかも、この壺の大きさから推測するに、こんなにオッドピットを集めるなんて、相当な人間の数が必要だった筈だ。
普通は出来るわけがない。
もしも、出来る事があるとすれば……。
最悪の事態がいよいよ確信に変わってきて、氷緑の焦る気持ちはどんどん募っていく。
ふと、近くの机に手帳が置いてあるのが目に入り、彼はそれをそっと手に取る。
それは、この奇妙な畑について書いた村長の手帳のようだった。
提供した苗の数や在庫数、栽培中の野菜の種類についてが、メモ書きのように乱雑に書き綴られている。
荒れた手つきでペラペラと何枚か捲っていると、『雨森村 設定』という文字を見つけ、手を止める。
そのページには、天守様と後継人の関係性と呪いについてや、今までの代替わりの儀式の日付などが詳細に書かれていた。
やはり、代替わりの儀式と祭りは別物のようだ。
注意深く見ていれば儀式をする期間が段々と短くなっている事にも気づけたが、読み進めるうち"後継者の経過"と書かれた項目を見つけた。
ぐるぐると凄まじい速さで目を走らせていた氷緑は、その内容を最後にパタンと手帳を閉じ、深呼吸をした。
そして、先程の鈴木の言葉を振り返る。
──"彼は次の器に相応しい"
「理紅が……次の後継者候補。」
無意識にそう呟き、氷緑は部屋を後にした。
そうして氷緑は村長の家を出ると、道中立ち並ぶ木々を避けながら村長の家と瓜二つの自分の拠点へと少し駆け足気味に戻る。
ガラッ
静まり返る家に人の気配はない。
念の為中まで入ってやはり誰も居ない事を確認すれば、何故か無意識的に焦っているのか冷えた汗が頬を伝った。
「広場か……」
お昼時だから家に帰ってるかと思ったが、まだ広場にいるのかもしれない。
そう思って氷緑は一度息を深く吐くと、広場へ向かう為に後ろを振り返
──バチバチッ!!!
「…………ッ!」
突然体に強い衝撃が走り、全身の力が抜ける。
抵抗しようとする意思に反して意識がどんどん遠のき、脱力した体は前のめりになっていく。
まずい。
倒れざまに視線だけを後ろへ向けると、こちらを見下げている人間が目に入り、小さく舌打ちをする。
「…………っ最悪……」
バタリと完全に床へ倒れ込んだ氷緑は、抗おうとしたのか一瞬腕を動かしたが、結局立ち上がることも出来はせずふっと瞼を落とした。
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