選択者、畳みますか?
夏の蜜柑
プロローグ
金属の焼ける匂いが鼻をついた。
床を走るクラックの間から、断続的に火花が吹き出している。
息を切らせ、彼は奥へ奥へと進む。
背後では何かの金属音がかすかに反響している。追っ手か、それとも都市そのものの悲鳴か。
どちらでもいい。
辿り着いた格納室には埃まみれのパネル群の中央に、二台の巨大な装置が鎮座している。
彼は迷わず左側の装置へと近づき、確認した。
Gate-MkV型転位装置。
全体が半球体を描くその装置は、かつて”次元跳躍転送実験機”とも呼ばれていた試作機だ。
タイムマシン。
彼はそう信じていた。
過去へ戻り、すべてをやり直す。あの選択を、彼女の命を、未来を……。
だが、タイムマシンは隣にある方だった。
彼はそのまま目の前の装置に手をかけ、起動レバーを引く。
次にパネルに手を置き、指を走らせた。
「起動コード……7654-α……承認、……っと……」
警告音が鳴る。
耳障りなブザーとともに、液晶が赤く点滅を始めた。
【装置ステータス:調整中。稼働不安定】
【オーナー認証が必要です】
「チッ……っ、こんなとこで……!」
彼は焦った。認証が通らない。
そもそもこの装置はプロトタイプでしかなかった。
しかし、これが唯一の脱出路だった。
苛立ちと焦りが混じり、額から汗が零れ落ちる。
「頼む……」
彼は祈るようにして再びコードを入力する。
アクセス不能。
オーナー認証エラー。
IDがロックされている。
「クソッ……! 俺じゃ認証が通らないってのか……!」
肩で息をしながら拳で盤面を叩いた。もう時間がない。あと数分もすれば、奴らがここにやってくる。
彼は無意識に周囲を見渡す。
その時、視界の端で何かが反射した。
奥のラック。
そこに並んでいたのは、アンドロイド用の保管カプセル。
その中のひとつ。未使用の新品と思しき機体が、透明なカバー越しに翡翠色のレンズを光らせていた。
「……あれだ。あいつなら……!」
彼は即座に走った。カバーを外し、中身を確認する。
翡翠色の瞳をした少女型アンドロイド。年齢にして十代半ばの少女の姿をしているが、構造体としての精密さにより一目で最新型とわかる。
彼は息を吞み、フレームの左胸部からアクセスパネルを開く。内部にはまだ仮想認証システムが展開されたままだった。システムは工場出荷状態。
つまり、ハック可能な状態だ。
「目を覚ませ……頼む……!」
震える指でコードを打ち込む。
起動キー:CBX-23-ALPHA-TEST。
一瞬、沈黙。
——そして。
「……起動します。バイオリンク未接続。仮想モードにて稼働開始。OS、立ち上げ完了」
静かに、だが確かに、少女の目が開いた。
精密な顔立ち、整ったフレームライン。その瞳は、青でも緑でもない——人工物らしからぬ翡翠色の光を湛えていた。
「起動を確認。型番:A-N.D.R.U-2395型。……登録オーナーは未設定です。仮登録モードでよろしいですか?」
「構わない。それより、お前にやってもらいたいことがある」
「了解しました。タスク指示を」
「あの転位装置、俺じゃ認証が通らない。お前のハードリンク経由で強制開放できるか?」
アンドロイドは瞬き一つ、何かを計算するように瞼を閉じる。
「……機体所有権が不確定であるため、正式なシステムアクセスはできません。しかし、代替認証経路を用いた間接制御なら、確率38.2%で成功可能です」
「十分だ。やれ」
「命令、受諾」
彼女は迷いなく装置へ歩み寄り、インターフェース端子を機体左手から延長して接続する。装置側の液晶に、文字列が次々と流れていく。
【仮認証経路確立】
【起動プロトコル開始】
【転位準備:最終シークエンスに入ります】
「……マジかよ。ほんとに動いた……!」
彼は呆然と液晶パネルを見つめた。
それは確かに”稼働中”の文字を赤く明滅させながら、ゆっくりとカウントダウンを開始している。
あと、28秒。
やった——そう思った瞬間、乾いた音が通路の奥から響いてた。
「……!」
金属の床を踏みしめる足音。数人分。重装型のブーツ。自律兵か、それとも部隊の残党か。どちらにしても話し合う余地はない。
「……っくそ、間に合え……!」
ユウゴは操作パネルをロックし、コンソールを叩いて起動保護モードへ切り替える。扉の奥、角の向こうから足音が近づいてくる。その拍動のようなリズムに、指先が汗ばんだ。
不意に、傍に突っ立て居る少女の姿が目に入る。
「お前も来い!!」
彼女は、ゆっくりと振り返って彼を見た。
翡翠色の瞳が一瞬揺れた気がした。
「対象命令確認。随行行動を優先します」
彼は一歩踏み出し、転送装置のカプセルへ走った。
その背後で、影が現れる。武装兵。視線が合った。
——遅い!
彼はカプセルのハッチを手でこじ開けるように押し込み、中に飛び込んだ。後ろを振り向くと、少女が機械的な無駄のない動きでこちらへ向かってくる。
「急げ……っ!」
残り8秒。
少女がユウゴの手をとると同時に、装置の内壁が起動熱で震えた。
「転位装置、発動圏内へ二名確認。……自動封鎖開始」
扉が閉じる。
直後、何かがぶつかる音。弾丸か、追手の手か——確認する暇もない。
装置内部が白光に包まれる。
音が、消えた。
すべてが引き延ばされ、引き裂かれ、重力も質量も意味を失っていく。
そして。
——世界が、断絶した。
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