これは、もう孤独ではない彼女が紡ぐエピローグ
「おーい、レン。起きてるか」
名前を呼ばれたような気がして意識をゆっくりと引き上げる。目を開いた先にあるのは見慣れた天井。床まで届く蒼い髪をかき分けながら、レンはソファに横たわっていた身体をゆっくりと起こす。無論、そこにあるのは見慣れた居間、見慣れた間取り。もう見慣れた景色だった。
レンが一人で暮らすには広すぎるこの部屋も、元はと言えば同居人が手配したものだ。当の本人は増えてしまった空き部屋を持て余しているのだが、結果としてレンにとっては広い部屋に置かれたソファの上で休日を過ごすことが出来るというだけで何とも素晴らしい居場所だった。
そんな居間の扉を開け放ち、中へと足を踏み入れるのはレンの同居人である。金髪長身のその女性は寝起きのレンへと歩み寄ると、その隣へと腰を下ろした。
「この間の報告書、まだ提出されていないと私に苦情が寄せられているんだが」
「……あぁ」
「実際、墜落した資源衛星が船団から比較的近い座標だったから良かったものの、よく無事に生還出来たものだ」
「ヘリがもっと頑丈だったら、墜落せずに済んだ」
「……無理を言うな。これでも常に安全性や索敵機能については定期的に改良されているんだ」
「でも、同乗してた残りの二人は助からなかった」
「それはだな……」
並んでソファに腰を下ろしたまま、二人の女性は言葉を交わす。レンが任務に向かう途中で乗り合わせていたヘリがルイナーの攻撃によって不時着し、危うく遭難しかけたあの日から一週間が経過していた。
レンの態度は一見するとその女性を責めているようにも受け取れるが、実際の気持ちとは異なる。言ってしまえばこれは拗ねた子供のようなものだ。そうすることで相手の気を引きたいだけ。もっと言ってしまえば、レンがこのような物言いをするのは心許した相手だけだ。
「……レン、お前が悔やむことじゃない」
だから悩んだ末にそんな言葉を返すその女性もまた、レンの言葉の裏に隠されている本当の気持ちを理解しているのだ。
「まぁ、そうだな。今回のような事態がまた起こらないとは言い切れない。安全性を見直すべきという意見は私からもまとめておこう」
「ついでに私の分も書いておいて」
「……あのな。今日中にまとめるんだぞ、いいな」
小うるさく言われてレンは不貞腐れた表情を浮かべながら、ソファの肘置きに頭を置いて体勢を崩す。来訪者を知らせるチャイムが室内に鳴り響いたのはその時だった。二人は無言のまま顔を見合わせてから、レンが先に口を開く。
「イヴ」
女性の名前だけを口にして、顎で玄関の方を指し示す。イヴと呼ばれたその女性は溜め息をついてから立ち上がると、居間から玄関へと姿を消す。再び居間に一人きりになったレンは仰向けになってもう一度眠りに就こうと目を閉じかけてから――その名前を呼ばれた。
「レン、お前に来客だ」
僅かに開けた扉から顔を覗かせたイヴの言葉に、レンはゆっくりと目を開くと起き上がって玄関へと向かう。居間を後にし、廊下を少し歩いた先にある玄関にて立っていた人物はレンの姿に気づいた途端、嬉しそうな声を上げた。
「あ、レンちゃん~!」
澄んだ水色の髪に同じ色の左目、金色の右目というオッドアイ。それから額にある二つの小さな角。荷物を大量に抱えたまま、無邪気に笑みを浮かべてその場で飛び跳ねるのは先日の少女――アルスだ。彼女はTシャツにホットパンツというラフな格好をしたままのレンを前に目を輝かせて矢継ぎ早に言葉を投げ掛ける。
「大家さんにあれこれ言い訳したり荷物の支度したりで遅くなっちゃった! レンちゃん普段はそんな緩い格好してるんだね……あ、でも私はそういうの好きだから全然気にしなくていいよ! あとレンちゃんのお家ってこんなに広いんだね~ビックリしちゃった! せっかくだから私の部屋も個別で……あ、でもそうするとレンちゃんと一緒に寝られなくなっちゃうよね……やっぱりレンちゃんとは同じ部屋の方がいいのかな……」
「アルス」
「はい、レンちゃん!」
ひとまず名前を呼んでアルスの呟きを止めると、レンは眉間にしわを寄せながら尋ねる。
「……もしかして、今日からここで暮らすつもり?」
「え、ダメなの?」
無論、事前にそんな話は一言も聞いていなかった。それどころかアルスとはあの時以来、連絡さえ取っていなかった。不審に思ったレンが無言のまま視線を隣に立つイヴへと向けると、彼女は気まずそうに視線を逸らしてから控えめに答えた。
「いや、私はだな……どうしてもレンに挨拶がしたいからとお願いされて住所を教えただけだ」
「そうだよ~だってレンちゃん、なんで連絡しても出てくれないの!」
レンはその言葉に少しだけ悩んでから、ポケットに入っていた端末を取り出す。ここ一週間ほどの間に非通知からの着信が大量にあったのはそういうことだったのかと今になって納得する。
「知らない人から掛かってきても出ないことにしてるから……」
「えーなんで登録してくれてなかったの! ちゃんとイヴには伝えるようにお願いしたよね、ねぇ?」
今度はアルスの言葉の矛先がイヴへと向けられる。急に話を振られたイヴは視線を逸らしたまま、目を細めてこう告げる。
「いや……ちゃんと報告書の中に連絡先として記載しておいたんだ。だからあれほどちゃんと提出しろと言ったんだが……」
「イヴ」
レンはイヴの前に向き直ってから視線をじっくりと向ける。
「それは嘘。イヴがそんな大切な話を遠回しにしか伝えないはずがない」
「いや、決してそんなことは」
「どうせアルスに口止めでもされていたんでしょ」
「う……」
核心を突かれたイヴが出した声に、納得がいったレンは小さく溜め息をついてから視線をアルスへと向け直した。少しだけバツの悪そうな表情を浮かべて、アルスは控えめに口を開く。
「あの……その、せっかくだからレンちゃんの驚く顔が見たいなって……喜んでくれるかなって……」
語尾が段々と小さくなっていく中、レンはあくまでも無言のまま。その鉄仮面のような無表情を前に、アルスはあわあわと視線を泳がせながら必死に言葉を続ける。
「あ、あの! そういうわけで私、今日からこちらでお世話になろうと思ってたんだけど……レンちゃんはその……もしかしたら嫌かなって……思って……すごく不安になっちゃって……もし事前に聞いて断られたら嫌だなって……だからその……えっと……ごめんなさい」
なんとかして言葉を繋いでいたアルスだったが、観念して素直に謝罪した後にゆっくりと頭を下げる。玄関で頭を下げたまま、アルスは廊下に視線を向けたまま沈黙の時間だけが過ぎていくことにより一層の不安を覚える。
そうして顔を上げるタイミングがわからずにそのままでいると、やがて小さな溜め息が聞こえてきた。
「アルス、顔を上げて」
その言葉に従って恐る恐る顔を持ち上げる。するとそこにいたレンが浮かべていたのは穏やかな微笑みだった。
「言ったでしょ、私はアルスを肯定するって」
「それって……!」
「荷物をずっと持ってたら疲れるでしょ。早く上がって」
そう言って手を差し伸べるレンを前に、アルスは思わず目尻に涙を浮かべながら持っていた荷物をその場に投げ捨ててから勢いよくレンへと飛びついた。
「レンちゃん……嬉しい、大好き!」
アルスの身体を受け止めてから、レンはその背中へと手を回して抱擁する。それから思い出したようにアルスへと尋ねた。
「……その髪型は気に入ったの?」
今日のアルスはその髪を後ろで左右にまとめており、短いながらも先日のレンと同じツインテールに揃えていた。その問い掛けに大きく頷いてみせたアルスは威勢よく答える。
「この間のレンちゃん……かっこよかったから。レンちゃんこそ、普段は髪をまとめないの?」
「特には。でもアルスが望むのなら、私は別に構わないけど」
「じゃあ毎日ツインテールにして! お揃いにしよ!」
「わかった。お揃いにする」
「やったー!」
抱き合ったままの二人の間で会話が盛り上がっている中、一人取り残されたイヴは笑顔を浮かべて無言のままいつ会話に割り込むべきか、むしろこのままそっと居なくなるべきかに悩んでいた。尤も、このやり取りは始まりでしかなく、これからの生活の中で幾度となくイヴを困らせていくことになる。
押し掛ける形ではあるものの、こうしてアルスという少女はレン、そしてイヴと共に一つ屋根の下で暮らすことになるのであった。
――A.E.3258.6
新しい日常の始まりを知らせるかのように、季節はもうすぐ夏を迎えようとしていた。
Episode I 「そして少女は愛を識る」 fin.
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