第16話 トランジスタラジオ

 鉱石ラジオはその後も、地味ながらも着実に売れ続けていた。僕はすでに二度、シメイの雑貨屋に商品を補充しに行っている。


 ……とはいえ、このペースでは到底、銀行からの融資を返済するには及ばない。けれど、それも想定済みだった。

 事業計画の時点で、鉱石ラジオだけでは大きな利益が出ないことは織り込み済みだ。


 今日は、近くにある都市シャルルロワに来ている。雑貨屋を巡って、二軒の店舗に置いてもらうことに成功した。もちろん、例によってスピーカー付きのデモ機を一台ずつ店頭に設置し、湿電池も5個ずつ一緒に渡してきた。販売促進費としては妥当なところだろう。


 意外だったのは、シャルルロワの雑貨屋でも反応が悪くなかったことだ。やはり“音が出る木の箱”は、それだけで目を引くらしい。シメイの雑貨屋のおばちゃんは、店頭に設置されたラジオの宣伝を日々してくれているようで、その評判がここまで届いているのかもしれない。本当に頭が上がらない。


 雑貨屋の用事を終えたあと、僕は指物屋に向かった。数週間前に注文していた、特別なケースの仕上がりを見に行くためだ。


 このところ、鉱石ラジオとは別に“高級機種”の設計を始めていた。トランジスタを使用した、スピーカーから音の出る本格的なラジオだ。だが、トランジスタの歩留まりは信じられないほど悪い。だから販売価格は最低でも200フラン。日本円に換算すると30万円程度だ。鉱石ラジオが“布教用”の廉価モデルだとすれば、これは利益を出すための“本命”となる機種だ。


 微細な信号を増幅できるので、シャルルロワの何倍の人口があるリエージュやランスまで電波が届く計算になる。


 もしゲルマニウムが手に入れば、この状況は大きく変わるだろう。高純度を求められるシリコンに比べて、ゲルマニウムは要求精度が緩く、それでいて性能は非常に優れている。

 ベルギー南部の鉱山から取り寄せたサンプルを棚に並べ、日々解析を進めているが、まだ発見には至っていない。分析には錬金術を使う必要がありが、工房の炉はメッキとシリコン精製でフル回転状態なので進むわけがない。


 僕が棚の上に各地から取り寄せた鉱石を並べていると、ある日、母が誕生日に紫水晶の結晶をくれた。「鉱石好きでしょ?」と、少し得意げに笑っていた。綺麗だし、嬉しかったけれど、本当のことは――なかなか言えなかった。今では文鎮として、ありがたく使わせてもらっている。


 ――さて、本題に戻ろう。


 200フランする高級機種の外箱は、流石にチーズ箱ではまずい。そこで僕は木工職人に専用ケースの製作を依頼していた。扉を開けると見習いの青年が迎えてくれ、やがて職人が奥から出てきて完成品を見せてくれた。


 仕上がりは見事だった。


 ダークオーク風に深く染められた木肌。幾重にも塗り重ねられたニスが艶を与え、手触りはなめらかだった。四隅の縁には真鍮の飾り金具が施されており、後ほど父が金メッキを施す予定になっている。「金メッキなら任せろ」と、父は張り切っていた。

 上面には二つの黒いツマミ。選局とボリュームだ。

 この機種は選局もできる仕組みにしている。


 正面には、真鍮細工であしらわれたワロンの鶏と錬金炉を組み合わせたロゴ。そこには飾り文字で「C.A. Wallonne」の文字が入っている。Compagnie Alchimique Wallonne――ワロン錬金術有限責任会社の略称だ。


 このロゴと飾り文字は、リエージュで絵を学んでいるかつての同級生に依頼して描いてもらったものだ。悔しいけれど、紋章学にもとづいた完成度の高い意匠で、文句のつけようがなかった。


 ――僕はそのケースを眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。


 これが、ラジオという技術を“製品”に変える第一歩になる。今の鉱石ラジオが市場を耕し、この高級機が未来を拓いていく。そのイメージは、確かに僕の頭の中に描かれていた。


 ーーーーーーーーーー


 鉱石ラジオはシメイの街に少しずつ普及し始めていた。


 街の人々から、ラジオ放送について感想や要望を言われることも増えてきた。

「あのチェロの曲、また聴きたいなあ」「日曜日も放送してくれないか?」――安息日だけは、家族の手前、ラジオ業務を控えていたのだが、どうも一部には不満もあるようだった。


 演奏担当のお爺さんは最近、少しウキウキしながら社屋に来る。

「いやあ、また話しかけられちゃってさ。あんたのところのラジオ、聴いてるよってな」

 嬉しそうで、演奏はもはや無償でも構わない、とまで言ってくれている。


 視聴者の声をもう少し聞こうと、僕は街のいくつかの家を訪ねて回ってみた。

 すると、意外なことが分かった。


 ラジオの主なリスナーは、若い女性や主婦層だったのだ。

 家事をしながら、流れてくる聖書の朗読やチェロの音に耳を傾けているという。

 雑貨屋の前にたむろしている男たちーー明らかに仕事をサボってる がメインの客層だと思っていた僕にとって、これはかなりの発見だった。

 このワロンだけでなく欧州全体に言えることだけど、女性の教育は十分ではない。特に僕より少し上の方は文字が読めない方が殆どだった。


 聞いて回った結果、一番人気の番組は神父さんによる説諭と聖書朗読だった。

 正直、僕には良さがあまりわからなかったが、それを伝えると神父さんはとても喜んでいた。

「平日のミサに、前より多くの人が来てくれるようになったんだ」と微笑んでいた。


 一方で、僕の番組――電気解説のコーナーはというと、不評の極みだった。

「難しすぎる」「あれが始まると、電源を切る合図だと思ってる」など、かなり辛辣な意見も届いている。

 ただ、これは未来を担う番組だ。教育は地道に、じっくりやるものなんだから。……いや、意地になってるわけじゃないけど。


 ともかく、番組の編成を見直す必要があった。

 特に女性リスナーに向けて、もっと楽しめるような内容を加えなければ。


 そこで、僕はある人の顔を思い浮かべた。


 ――カリーヌ先輩だ。


 話が上手で、何気ない日常の会話もどこか柔らかく、明るく聞こえる。

 あの声がラジオから流れてきたら、きっと聴いている人たちも温かい気持ちになるはずだ。


 僕は新社屋の事務室に向かった。


 先輩は、いつものように机に向かって忙しく書類をさばいていた。インクの染みついた指先が書類の上を軽やかに滑る。


「見て見てー!」先輩が顔を上げて、明るく言った。

「バンジュの商会で、鉱石ラジオの取り扱いを始めたいんだって!」


 バンジュ。シメイと同じくらいの規模の町だ。

 しかも山を越えた向こう側だというのに、ラジオの電波はしっかり届いているらしい。

 早速先輩に商会との契約をお願いすると、頼もしげに「任せて」と笑ってくれた。


 ひとしきり雑談を交わしたあと、僕は少しだけ緊張しながら、本題を切り出した。


「先輩……ラジオに出てくれませんか?」


「えっ? 私が? どうして?」


「ラジオを聴いてくれてる女性向けの番組を作りたいんです。やっぱり僕が考えるとどうしても男性向けになっちゃうんで。えっと、ミネットちゃんの話とか、近所で見かけた面白いこととか、そういう話を仕事しながらでいいから、2時間だけ――ほんと、緩くていいので。お願いします」


「……うーん」


 先輩はじっと僕を見つめてくる。思わずドキッとする。

 足元では、ミネットちゃんが僕のズボンをよじ登り、ポケットに頭から突っ込もうとしていた。

 いやいや、無理だって。どう考えてもサイズが合ってない。


「……もう、仕方ないわね」


 先輩は笑いながら言った。


 新しい番組が始まる。きっと、それはこの街にまた新しい風を運んでくれるだろう。


 ーーーーーーーーーー


 ラジオ局には、視聴者の声が必要だ。


 僕らの鉱石ラジオ受信機は、今やシメイの町だけに留まらず、周辺地域にも少しずつ広がりつつある。ときどき、ブリュッセルで使えなかったという苦情が届くこともあるが……さすがにそれは無理だ。50キロも離れていれば、鉱石ラジオでは届かなくて当然だろう。

 電波の仕組みや限界について丁寧に説明すれば、多くの人は納得してくれる。「このリストにある町での使用を想定しています」と見せれば、返事はたいてい丁寧なものになる。


 けれど、実のところ――どこまで届いているのか、正確には僕たちにもわからない。


 なぜなら、みんな自由にラジオを持ち歩くからだ。


 町から町へ、親戚の家へ、時には市の市場へ。受信環境も、使う人もバラバラで、実態が見えにくい。


 だからこそ、ファン層の傾向や地域の分布を少しでも把握するために、「ファンレター募集」という企画を始めることにした。


 それぞれの番組で、番組の最後にこう読み上げるようにした。


「ご感想は、シメイ町〇〇番地、C.A. Wallonne 放送局までお送りください。抽選で素敵な粗品をプレゼント!」


 視聴者にとっては楽しみになるし、出演者――特に神父さんやチェロのおじいさんには、やりがいにも繋がる。みんながウィンウィンになる仕組みだ。


 ……ただし、町外れにある新社屋に毎日何往復も郵便を運ぶことになる配達員のカイパーさんだけは、一人負け状態かもしれない。


 けれど、大丈夫だ。


 いつも応対に出る先輩に対して、彼は終始デレデレしているし、帰り際に手渡されるお菓子も楽しみにしているようだから。よしとしよう。

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