第6話 はじめての買い物
朝ごはんが終わって、母さんが食器を下げたころ、父さんが新聞をテーブルに置いて僕の方を見た。
「さて……昨日の話だけどな。何が必要なんだ?」
待ってましたとばかりに、僕はノートを開いた。
昨晩のうちに、頭にある限りの道具や材料を、びっしり書き出しておいたのだ。
「まず、道具から。電圧計と電流計、それから調整できる抵抗器。導線とか、端子とか、絶縁できる素材も要る」
父さんは少し眉を上げて、「ふむ」とうなった。
「だいぶ具体的だな。錬金術に必要な道具とは全然違う。」
「道具が揃わないと話にならないからね。それに――素材も必要なんだ」
「素材?」
「うん。シリコン、それにリンとホウ素、ヒ素、アンチモン。ごくごく微量でいい。でも、どうしてもいる」
「ホウ素……それも、お前の言う“電子の石”を作るためか?」
「そう。シリコンに、別の元素をほんの少し混ぜると、性質が変わるんだ。
たとえば、リンを混ぜると“電子が余る”構造になる。逆に、ホウ素を混ぜると“電子が足りない”状態になる。
その違いを使って電気の流れ方を制御できるんだよ」
父さんは黙って聞いていたけど、たぶん半分もわかってない。
それでも、僕が真剣に話すのを止めずに見てくれている。
「この操作は“ドーピング”って呼ばれてる。素材にほんのちょっとだけ、性質の違う元素を“混ぜる”。それだけで、電子の流れ方が変わるんだ」
「“ドーピング”……妙な言葉だな。意味は分かるが、聞き慣れんな」
「まぁ、時代的に使われてないだけで、僕の世界では一般的だったよ。
シリコンだけじゃ、何の変化も起こせない。でも、そこに“わざと不完全さ”を入れると、急に働き出すんだ」
父さんは、少しだけ笑った。
「お前、面白いな。不完全な方が役に立つなんて、まるで人間みたいじゃないか」
「たしかに。そうかもね」
僕もつられて笑ってから、ノートを指さした。
「今すぐ全部は無理だと思うけど、手に入る範囲で探してみてほしい。測定器と、可能なら元素……少しだけでいいんだ。実験ができれば、それでいい」
父さんは腕を組み、天井を見上げながら考え込んだ。
「うちに材料を卸してくれてる錬金問屋が、最近“電気工作”にも手を出してるって話は聞いた。測定器や部品くらいなら、どうにかなるかもしれん」
「ほんとに?」
「期待しすぎるなよ。まだ新しい分野だ。商会の人間だって、何を扱ってるか全部は分かってないこともある。
それに、そもそも“ホウ素”や“リン”ってのが、どんな姿で出回ってるかも分からん。錬金術の材料として見たことはあるが……」
「わかってる。可能な範囲でいいんだ。無理はしないよ」
父さんはふと、視線を工房の奥の棚へ向けた。
「……シリコンなら、うちにもあったはずだ」
「えっ、本当?」
「10年くらい前に、ガラスの強度を上げる研究をしていた時期があってな。
そのときに結晶状態のものを少し取り寄せた記憶がある。どこかに仕舞い込んだままだが……」
父さんは立ち上がり、棚の奥を軽く叩いた。
「ちょっと探してみるよ。見つけたら声をかける。
じゃあ、全部まとめてリストにしておけ。あとは俺が動く。ついでに商会にも顔を出してくる」
父さんは少し目を細めたあと、ゆっくりと言った。
「うん、ありがとう」
「ただしな、レオン」
父さんは声を少しだけ低くして、続けた。
「この先、思ったようにいかなくても、焦るな。材料が手に入らないこともある。装置が壊れることもある。失敗は当然だ」
「……わかってる。でも、やってみたいんだ。この技術を使って、うちの仕事を次の段階に進めたい」
僕はまっすぐ父さんを見た。
「錬金術を捨てたいわけじゃない。だからこそ――この手で、もう一度錬金術を輝かせたい」
父さんはしばらく黙っていたけど、やがて口元をほころばせた。
「そうか。なら、やってみろ」
そう言って立ち上がった父さんの背中は、少し頼もしく見えた。
ーーーーーーーーーー
工房の扉を閉めると、外の光と音が一気に遮断され、空気が変わる。
ほんのりと燻る炉の匂い。磨かれた作業台。整然と並んだ器具たち。
ここは、僕にとって最も落ち着く場所だ。
父さんが探し出してくれた、ひとかけらのシリコン結晶。
十年ほど前、ガラスの強化法を試すために取り寄せたものらしい。
布に包まれたそれは、灰色がかった不透明な鉱石にしか見えなかったけれど、僕にとってはまぎれもない“未来の鍵”だった。
(……問題は、純度だ)
僕は静かに手をかざし、錬金炉に火を灯す。
指先に意識を集中させると、微かな共鳴が結晶に伝わった。
感覚としてわかる。――不純物が、多すぎる。
(やっぱりな……)
この時代の“高純度”が、現代の基準に届いているはずもない。
体感では、せいぜい99.5%。それでも錬金術試薬としてはかなり良質だと思うけど――
(おそらく、最低でも、イレブンナインが必要なんだ)
99.999999999%、つまり小数点以下に“9”が11個並ぶほどの純度。
現代のシリコンウエハーでは、それが当然だった。
原子レベルで不純物を避けなければ、トランジスタはまともに動作しない。
(……ゲルマニウムがあれば、なぁ)
思わず独り言が漏れる。
点接触トランジスタはゲルマニウムがかなり精度が低くても動作し、フォーナイン、つまり99.99%程度の純度で動作する。
面接触でもエイトナイン、99.999999程度の純度で良いはずだ。
周期表の14族――シリコンのすぐ下に位置する元素。
僕は父さんにその場所を見せて、商会に聞いてもらうよう頼んでいた。
まだ見つかっていない未発見元素。それでも、もしかしたらどこかの鉱山で“無名の鉱石”として出回っているかもしれない。
けれど、それを待っている余裕はない。
「……やるしかないか」
僕は、結晶の表面をなぞるように術式を重ねていく。
不要な元素――酸素、鉄、カルシウム、時には硫黄――それらを抽出して、排除する。
微細な変化を感知する感覚。錬金術が最も得意とする、“選り分け”の技術だ。
本来なら、こういう作業こそ錬金術の真骨頂だ。
でも、ひとつだけ問題がある。
(キリがない……)
錬金術は、原子を見分けることができる。
だが、対象物が不純物だらけであればあるほど――その作業量は加速度的に増えていく。
たとえば、99.8%を99.9%にするのはまだいい。
けれど、99.5%を99.9%にするのは、5倍かそれ以上の時間がかかってしまう。
(そりゃあ、産業で巨大な精製炉を作るよな……)
額の汗をぬぐいながら、僕は軽く苦笑した。
(……簡単な構造のくせに、なんで発見があんなに遅れたのか。やっと分かった気がする)
トランジスタの原理は単純だ。
それでも、最初に動作したのは第二次世界大戦の終わった後――つまり、僕の記憶にある20世紀の半ばだ。
それまで誰も作れなかった理由は、まさにこの“精度”の壁だった。
当時は、ここまで高純度な素材を必要とする用途が、他にほとんどなかった。
だから、素材を精製する技術も、そもそも求められていなかったのだ。
文献を調べた限りでも、チョクラルスキー法のような純半導体用の精製法はこの時代にはまだ発明されていないようだった。
それまで、誰も“そこまで純粋な結晶”を必要としなかった。
必要とされなければ、技術は生まれない。――それが、歴史というものだ。
数日間、僕は工房にこもりきりで作業を続けた。
母さんには「顔がやつれてるよ」と心配される始末だった。
それでも、手応えはあった。
少しずつ、結晶は澄んだ光を宿しはじめた。
炉の炎にかざせば、淡い反射が刃物のように鋭く返ってくる。
(……あともう少し、いける)
僕はもう一度、術式を組み直した。
呼吸を整え、静かに、集中して、最後の仕上げにかかる。
この結晶が、トランジスタの材料になるためには、あとわずか――
あとわずかに不純物を分離すればいい。
そう信じて、僕は両手に力を込めた
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