第25話 吸血鬼編
「いらっしゃいませ」
気がかりなことがあっても、毎日は進んでいく。私は人間なので、衣食住を確保するためにも働いて稼がなければならなかった。
山本くんも、一緒にカフェで働いてくれていた。
常連さんたちはみんな、カゲハさんが体調不良でお店を休んでいると言っても、心配しつつも変わらず通ってくれている。
山本くんと二人でお店を回すのも、少しは慣れてきたところだ。
「ふぅ。寒いなぁ。あずみ、ちょっと炭取ってくるから、中はよろしく」
季節は初冬になっていた。松本の冬は厳しい。すでに雪もちらちらと降り始めている。
カフェ・玉手箱には、奥のお座敷席に囲炉裏もあった。夏場はただの風情ある飾りに過ぎなかったそれは、今の季節は暖房として大活躍だ。古民家は隙間が多く、いくらストーブをつけてもやっぱり少し寒いのだけれど、炭火の力強い遠赤外線は、あっという間に店の中を温めてくれた。
「あずみちゃん。あの席は空いているかい?」
「空いてますよ。今ちょうど追加の炭を持ってくるところなので、温まりますよ」
囲炉裏端の座敷席はこの季節に大人気だった。みな思い思いに座布団に座って、本棚から借りてきた好みの書籍を読んでいる。
福富曰く、こうやってゆったりした時間を過ごす人が増えれば、少しずつカゲハさんも回復していくだろうとのことだった。
自在鉤で炭火に当てていた鉄鍋から、お汁粉をお椀に掬い取る。これはこの季節の大人気商品。「炭火炊き上げのお汁粉」だ。カゲハさんはいないけれど、福富が作り方を教えてくれた。
いろんな人やあやかしに助けられながら、このお店は継続している。
心配事はあれど、穏やかな日々を送っていたある日。
百合絵さんが、失踪した。
「事務所からの頼みで、定期的に様子見に行ったりはしてたんだけどさ。家にもいないし、連絡もつかないんだ」
「どうしたんだろう。吸血鬼だから滅多なことはないと思うけど、心配だね」
「俺らのことで色々頭を悩ませちまってたからなぁ」
探そうにも、どこに行っているのかもわからないのでなかなか難しい。なにせ300年もの年月を生きている百合絵さんだ。こう言う時に突発的に訪れるようなゆかりの地なんていくらでもあるだろう。
「もしかして、このままもう会えないのかな」
「流石にそうはならないと思いたいけどな」
カゲハさんが居なくなった今、私たちにとって百合絵さんが頼れる先輩だった。このカフェには、人間のお客様もそうでないお客様もやってくる。時にはあやかしの困りごとを解決する何でも屋のようなこともやるのだ。そんな時に、先人のアドバイスがあるのとないのとでは大分違った。
けれどもある日、ひょんな所から、百合絵さんの情報が入ってきた。
週刊誌だ。
突然の休業宣言をした三枝百合絵らしき人物を、初デビュー作の撮影の地で見かけたと言うのである。30年前、百合絵さんとカゲハさんが出会うきっかけとなった場所。長野県が南信地方、今は寒風吹きすさぶ諏訪湖のほとりに、やけに美しい女性がゆったりと歩いていたと、週刊誌には写真付きで書かれていた。
「百合絵さんだ」
「やっぱり、百合絵さんだよな」
私たちは週刊誌を前に頷きあう。その写真に写っている女性は、スタイルの良さといい、放っているオーラといい、どう見ても百合絵さんだった。
帽子とマスクで顔は隠してあるが、彼女の持つ生来の華やかさまでは隠しきれていない。
「……会いに行ってみるか?」
「うん……。このまま喧嘩別れみたいになるのは、いやだもの」
松本から諏訪までなら、車で日帰りでも行ける。
朧車に乗って、高速を走る。山々は雪に覆われて、針葉樹の緑を覆い隠している。
本来、大分古い旧車である朧車には暖房が付いていないけれど、彼女は非常に気合を入れて車内をあったかく保ってくれていた。
「でも、無事に会えたとしてどうしようなぁ」
「百合絵さんにとっては、もう私たちと関わりたくないかもしれないものね。でも、このまま終わるのはやりきれないわ」
そうなのだ。百合絵さんにとっては、私たちの姿はかつて夫と過ごした幸せな記憶を思い起こさせて、辛い思いにさせるものなのかもしれない。もう二度と三枝敏之さんがこの世に帰ってくることは無い以上、私たちの存在は徒に百合絵さんを傷つけるだけなのかもしれなかった。
それでもやっぱり、私たちのことを認めて、見届けて欲しい気持ちがある。何よりも、この先恐ろしく長い年月を生きるであろう山本くんに、同じ時間の長さを共有できる仲間を失ってほしくなかった。
「でもさ、俺は中学生で吸血鬼として覚醒してから、ずっとお世話になってたんだ。吸血鬼としては右も左もわからなくて困っていた頃も、吸血衝動のやり過ごし方や、人を傷つけずに血を手に入れる方法もわからないままだった頃に、百合絵さんに助けてもらった」
山本くんにとっては、大事な大先輩でもあるのだ。
「こんな風にして、もう会えないなんてなったら受け入れらんねーよ」と山本くんは車窓の外を眺めながら呟く。その横顔は、寂しそうな、少し怒っているような、複雑な表情だった。
諏訪湖のインターで降りて、湖まで車を走らせる。週刊誌の写真に載っていた場所はすぐに見つかった。
そこに今は人影も見当たらない。ただどんよりと湿った雲が、湖面に反射して映っているばかりだった。
「ここまで来たはいいけど、どこにいるんだろうね。見つかるかな」
「とりあえず百合絵さんの映画に出てきたシーンの場所を、巡ってみようぜ。さながら聖地巡礼ってところか」
百合絵さんのデビュー作である映画は、病で余命いくばくもない青年と、それに寄り添う女性の切ない恋物語だった。それは、人間の男に恋をして遥か英国から日本にまで渡ってきた吸血鬼への、ラブレターにも思える話。
自分が死した後も幸せに生きて欲しいと、そんな願いの込められているような内容だった。
「あの映画、今こうなってから見たら身につまされるんだよね」
「あの監督、百合絵さんが吸血鬼ってこと最初から知ってたみたいだしな」
一体二人の出会いはどんなもので、どうやって恋に落ちたのやら。私たちはある意味、普通の人間と変わらないような出会いと進展だったが。一方彼らは、人間同士でだって大恋愛と言えるような国を越えて結ばれた二人。その二人が寿命の違いに引き裂かれた時、百合絵さんは何を思ったのだろう。
湖畔に人影はなく、映画の撮影場所にもなっていた諏訪大社へと向かう。
大社の本宮に着くと、辺りを散策しながら百合絵さんを探すことにした。
週末だからか観光客らしき人影はあるけれど、寒い上に曇り空だから、全体的に閑散としている。
観光客向けのおやきのお店や、土産物屋の周囲にばかり人が集まっていた。
木々で日差しが遮られた本宮は、ひっそりとした空気感に包まれている。あたりは暗くはあるけれど、重苦しくはない。どこか清廉で、ほっと息をつけるような軽やかさもあった。それは、私が視える人であるが故に、普段から気を張っている部分があるせいかもしれない。
「あっ」
映画の地に出てきた木陰のベンチに、美しく華やかな女性がぽつねんと座っていた。目深にかぶった黒の女優帽に、顔を覆うように深く巻いたワインレッドのマフラー。白のコートは高級感に満ちていて、カシミヤのような滑らかな艶がある。
百合絵さんだ。
向こうも私たちに気付いたようで、ふと顔を上げた。
「百合絵さん」
「あなたたち、来ちゃったのね」
百合絵さんは、どこか困ったような顔で苦笑した。怒ってはいないらしい。
「急にいなくなっちゃったから、心配しましたよ。今すぐ私たちのことを認めてくれとはいいませんけど、こんな風に居なくなっちゃうのは寂しいです」
情の深い百合絵さんに対して、情に訴えかけるような話し方をするのは少し卑怯かもしれないけれど、それでも私はやっぱり寂しかったのだ。
百合絵さんとの繋がりも、あっさりと切れてしまうようなものだとは思いたくなかった。
「バカねぇ、あなたたち。私のことなんか放っておいて、二人で幸せに暮らせばいいのに」
なぜか百合絵さんは、自嘲するように口元を歪めた。
「俺は十四歳の時から百合絵さんのお世話になっているんだ。人間としての親は両親だけれど、吸血鬼としては百合絵さんこそ親みたいなものだと思ってる。だからこそ認めて欲しいって思うのは、おかしなことですか?」
「っ……。本当に、バカな子。そんなんだから、私みたいなのに付け入られるのよ」
百合絵さんは声を詰まらせながら、そう言った。
「付け入る?」
「言ったでしょう。私は、人間を愛したことを後悔していると。夫が病で亡くなった時、未練もなく幸福に逝くはずだった夫の魂を、私は無理やり繋ぎ止めようとしてしまった。他の吸血鬼の体を夫の魂の受け皿として器に使い、同族に転生した夫と一緒に生きていこうと、そんな悍ましいことを考えてしまったの」
「他の、吸血鬼……」
嫌な予感がする。山本くんも同じことを考えていたのか、顔が青ざめていた。
「この先の長い人生を、あの人なしで生きて行かなきゃいけないと考えたら、狂わずにはいられなかった、歪まずにはいられなかった。……そのためにまだ幼いあなたに近づいたのよ、翔吾」
決死の覚悟で告白したのであろう。百合絵さんの表情は、これで絶縁されても仕方ないと諦めているかのようだった。
けれども、それを山本くんは一笑に付した。
「百合絵さん……。露悪的すぎっすよ」
「……え?」
「だって結局百合絵さんは、俺を旦那さんの器にはしなかったじゃないですか。それに、なんでわざわざ俺たちの関係に反対したんです? 結局そうやって、自分が苦しんだから心配だったんでしょう?」
「それは……」
百合絵さんは苦しげに呻いた。赦されるなら赦されたい。でもそんな風に思うことすら自分を自分で赦せない。そんな表情だ。
「……やっぱりあんたは、俺の親がわりだ。親には認めてもらいたいもんですよ」
「本当に、バカな子ねぇ。翔吾」
仕方がないな、というように、百合絵さんは苦笑した。
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