第四部

第30話 クーデター開始

 物心がついたときには、もう少年はその施設にいた。


 外の世界のことなんて、何一つ知らなかった。

 施設は「孤児院」と呼ばれていた。

 そして少年もまた、両親に捨てられたらしかった。


 少年は「普通」が分からなかった。

 笑うタイミングも、泣くタイミングも、人との距離感も。

 だから少年は、周囲の誰かのまねをして生きていた。

 みんなが笑えば笑い、黙れば黙る。ただの影のような存在だった。


 ただ、その孤児院は特殊だった。

 そこにいた誰もが、ただの孤児というわけではなかった。


 ある日――物心がついたばかりの頃――友達の一人が、少年の目の前で腕をぐにゃりと伸ばして見せた。


「見て見て、こんなに伸びるんだよ!」


 いま考えれば異常だとわかる。ただ、そのときの少年は、驚きよりも先に、「それが普通なんだ」と思った。

 外の世界を知らない少年にとって、それは“その子の個性”ではなく、“人間としての仕様”のようなものに見えたのだ。


「俺もできるかな?」


 そう言って、まねをして手を伸ばした。すると――少年の腕も、ぐにゃりと伸びた。


 その子は目をまんまるにして驚き、そしてすぐに大笑いして、

「すごいじゃん! 一緒だね!」と喜んだ。


 少年たちは笑いながら、寮母さんに腕を見せに行った。


 だが――

 寮母さんは、笑わなかった。

 驚き、何も言わずに少年だけを連れて、知らない場所へと連れて行った。


 階段を下り、鉄の扉を抜けると、そこはまるで病院のような白い部屋――実験室だった。


 それから、一か月。


 少年はそこに閉じ込められ、

 次々と友達の「能力」を見せられては、同じことができるかと聞かれ続けた。


 火を出す子、空中に浮く子、物を破壊する声を持つ子。

 そのたびに少年は、まねをした。触れて、想像して、模倣した。


 そう、少年の能力は「模倣ものまね」だった。


 ただし、それには条件があった。

 その相手を「友達」として親しく思っていること。

 そして、触れること。

 この二つがなければ、力は発動しなかった。


 だが、力を知った友達たちは、次第に少年を避けるようになった。

 模倣は、奪うことと同義だった。

 力は、カーストだった。

 誰よりも自分が強くありたい子たちは、少年を敵視した。


――だから、少年は逃げた。


 遠くの中学に進学した。そこでは、少年のことを誰も知らなかった。

 少年はなるべく目立たず、なるべく普通に生きるよう努めた。


 そして、やっとできた。

 “普通の友達”。


 能力なんか持たない、ただの、少年と一緒にバカな話をして笑ってくれる、普通の親友。


 だが――

 その普通の親友は、ある日突然、能力に目覚めた。


 その力を、初めて見た瞬間――

 少年は、心の奥が震えるのを感じた。


 その親友の能力は、間違いなく最強だった。

 炎でもない、雷でもない。

 それはもっと根源的で、もっと原始的な、破壊そのもの。

 あらゆるものから自分を守りながらも、周りをすべて潰していく「終わりの力」。


「これだ」

 ずっと、探していた。

 人脈を広げて、自分の能力が模倣だとばれないように気をつけながら、能力者の集まる噂の街や、インターネットの裏フォーラムを渡り歩いていた。

 

 さっき、少年と彼――唯一無二の親友とは、喧嘩をしてしまった。

 少年がその最強の能力を使って、行おうとしている計画を話した。


 ついてきてくれると思った。けれど彼は拒絶した。


 そして、少年たちは――絶縁した。


 また、少年は一人になった。


 だが、ここで止まるわけにはいかなかった。


 普通の暮らし。

 笑い合う日常。

 親友との時間。


 すべて捨てる。

 あの日、少年を「道具」としか見なかった施設の研究者たちの顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 少年の能力を知って、恐れ、閉じ込め、実験動物のように扱ったあの人間たち。

 その全てが、“政府”の下部組織だった。


 この国は、能力者を人として見ていない。

 生きた兵器としか思っていない。

 少年は、もう誰かの武器にはならない。

 ならば――俺自身が、すべてを壊す兵器になってやる。


 少年は、カメラの前に立った。

 占拠したテレビ局、そこの局員たちを脅し、ライブ配信を開始した。

 顔も名前も隠さず、すべてを曝け出して。

 少年が選んだ、最後の“普通ではない生き方”だった。


「俺は、高木真司。あらゆる能力を模倣し、使いこなす能力者だ」


 息を整え、迷いをすべて断ち切った。


「昨日の八王子の森林エリアを荒野にしたのは、俺の能力。

 この世界を蝕む、非人道的な能力者開発機関――日本政府のすべての極秘施設を、

 これから、ひねりつぶす。」


 目を細め、カメラの向こうの“世界”に向けて、少年―高木真司は微笑んだ。


「――クーデターを開始する」

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