第9話 能力ガールズバー
禁欲七日目。午前十時。
昨日と同じ広い実験室の中心に、俺は立たされていた。
部屋の四方には、分厚い強化ガラスが張られ、その向こうで白衣を着た研究者たちが固唾を飲んで俺を観察していた。
その中には、例の女性職員の姿もあった。今日も冷静な表情でマイクに向かって話しかけてきた。
「蓮くん、能力を発動してみて」
その声を聞いて、俺は深く息を吸った。
昨日の“万有引力”らしき力の暴走を思い出した。
正直怖い。もし今日、もっと強い力が発動して、それを制御できずに何かを壊してしまったら――
(とにかく、できるだけ弱く……)
俺はゆっくりと手を前に出して、意識を集中した。
力を入れた、でも本当にごくわずかに。指先に神経を集中させ、呼吸を整えながら。
すると、手の下の床に、何かが浮かび上がってきた。
淡い光を放つ、複雑な模様――魔方陣だった。
(えっ……!?)
思わず声にならない息を漏らした。
魔方陣は徐々に明るさを増し、中心に青白い光が集まっていく。
そこから、ふわりと――昨日夢で見たあのお姉さんが、現実に現れたのだ。
「………………」
研究者たちは一斉にざわめいた。
ガラスの向こうで、誰かがコーヒーを落としたような音が聞こえた。
「会いたかったよ、蓮くん……」
お姉さんは俺を見つけるなり、にっこりと笑って、そのまま抱きしめてきた。
柔らかくて、温かくて、優しい。
まさしく、夢で感じた感触そのままだった。
「え、え、え……?」
俺の脳がパンクしかけた。
お姉さんは俺の頭をなでなでしながら、まるで子どもをあやすような声で囁いてきた。
「蓮くんは、ほんとによく頑張ってるね。えらい、えらいよ」
(おいおい、これマジか? 夢が、現実に?)
パニックになりかけた俺の耳に、スピーカーからの女性職員の声が届いた。
「蓮くん、もう一度能力を発動できる?」
その瞬間、お姉さんの顔がぴくりと動いた。
笑顔は消え、代わりに鋭い視線がガラス越しの職員たちに向けられる。
「私の蓮に、命令しないでくれる?」
声が甘くても、その中に込められた怒りは本物だった。
研究者たちがどっとどよめいた。
「ま、待って! 大丈夫だから!」
慌ててお姉さんをなだめる俺。なんとか気を逸らしながら、再び力を入れてみた。
だが、何も起きなかった。
何度か試したけれど、魔方陣も、雷も、引力も、なにも現れなかった。
さっきの召喚で全ての力を使い果たしたみたいだった。
「発動しません!」
俺はスピーカーに向かってそう伝えた。
「了解。じゃあ、10分後にもう一度お願いします」
スピーカー越しの女性職員の声が、少し緊張気味に返ってきた。
その背後では、研究者たちが何やら騒がしく議論を始めていた。
そんな中、お姉さんはまた俺に微笑みかけて、頭をなでてくれた。
「頑張ったね、蓮くん。ほんと、偉いよ」
その声に、俺の胸の奥の不安が、少しだけ、ほぐれていった。
それから、何度もやってみたが、魔法陣は二度と現れなかった。
それでも、夜にかけて、10分おきに「試してみよう」と言われ、俺は何度も手に力を込めた。
そのたびに、結果は変わらなかった。
けれど、そのたびにお姉さんは毎回、満面の笑顔で俺を褒めてくれた。
撫でられて、抱きしめられて、優しく甘い声で囁かれる。
悪い気は、全くしなかった。
けれど……問題もあった。
お姉さんはどんどん距離を縮めてきた。
俺にご飯を「あーん」としてくれたり、
「汗かいたね、一緒にシャワー入ろっか?」と誘ってきたり。
当然、俺は全力で拒否したけれど……それでも、常に香るあの優しい匂いと、やわらかくて温かい感触。
そんな存在が四六時中そばにいれば、禁欲どころの話じゃなかった。
しかも、部屋の外にいる研究員たちや職員の冷たい視線が、どこか突き刺さってきた。
「あの女、なにやってんだ」
「過度な接触を……うらやまけしからん」
そんな声が、聞こえる気がして気まずかった。
夜になると、お姉さんは当たり前のように布団に入り、添い寝してくれた。
(これは夢だろうか……)
と思いながら、その日も眠りに落ちた。
――翌朝。
目を覚ますと、隣にいたはずのお姉さんの姿は、どこにもなかった。
起きた瞬間、嫌な予感が胸に広がった。
慌ててあたりを見回しても、柔らかい微笑みも、優しい声も、ぬくもりも、なにもなかった。
あとから研究員に知らされた。
「ちょうど、君が禁欲を始めてから7日が経過したちょうどの時刻に、彼女は消滅しました」
それから8日目、9日目と続けて実験は行われたけれど、俺の能力はもう出なかった。
全力で、祈るように力を込めても――沈黙が返ってくるだけだった。
そして、ついに。
「未成年をこれ以上拘束するのは法的に問題がある」との判断が下され、俺は施設から解放されることになった。
けれど、解放される直前。
俺は研究棟の奥の会議室へと連れていかれた。
会議室の中に入ると、重苦しい空気が漂っていた。
スーツを着た中年の男性が二人、そして、あの女性職員もきちんとしたスーツ姿で椅子に座っていた。
中央のテーブルには分厚い書類の束と、黒いフォルダが並べられていた。
「座ってください、蓮くん」
言われるがままに椅子に腰を下ろすと、向かいに座っていた男性が、重々しく口を開いた。
「君はこれから、日本政府専属の特殊事案解決戦力者として契約してもらう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます