〖短編〗燃えないゴミの日
YURitoIKA
燃えないゴミの日
「燃えないゴミでごめんなさい」
──私は唇を噛み締めた。
赤い炎みたいな血が……私の唇から垂れていた。
◇1◇1◇
つい数分前のことだ。 姫田高等学校ラブコメ部の門を叩いたのは、ブレザーの下に着込んだ、パーカーのフードを深く被った目つきの悪い女子一年生、
今日は活動日ではないので、わざわざ放課後に部室に残っているのはワタシしかいなかった。 ルナちゃんは入部届をテーブルに叩きつけて、 「屋上に来てください、待ってますから」 ──と一言。
随分なご挨拶で踵を返して部室を出ていった。
普通の感性を持った人間であれば、なんて常識のない性悪女だ、とかなんとか人間用の物差しを舌なめずりするだろうけど、ワタシは寧ろ逆。
動揺した。興奮した。なんてったってラブコメ部部長のワタシはこんな展開を待っていた。
一見生意気そうな黒髪美少女と始める、一輪の百合の花が咲くラブロマンス──!
ワタシはワナワナと震える手で、開いていた単行本を閉じて「まって……!」と喘ぐ獣のような息遣いで彼女を追いかけた。
……屋上に着くと、ルナちゃんの後ろ姿。 彼女はワタシの気配に気づくと、振り向いた。
「はじめまして。
「う、うん。はじめまして。アナタみたいなカワワな子がこんな妄想で脳を蒸し焼く芋女集団の部活に入部してくれるなんて、とっても嬉しいよ」
「先輩は芋女じゃないです。カッコいいです」
「ふぇ」
まさかまさかの展開に、掛けていた丸眼鏡をくいっと掛け直すワタシ。瞳は完全にハートマーク。くそ……、今日は勝負下着を履いてない……っ!
「先輩にお願いがあって、呼び出しました」
「なになに。なんでも聞くよ。イヌにもなるよ。サルにもなるよ。キジにもなるよ」
もったいぶるように一拍置いて、ルナちゃんは、これから言うことには一欠片も冗談は挟んでいないと訴えるような、真剣な瞳で、
「私を今から燃やしてください」
冗談みたいなことを言った。
◇2◇2◇
宮日ルナの元カレは底抜けに優しく、温かい表情をするのが得意な男の子だったらしい。入学してからひと月、五月の中旬から連絡を取り合い、デートをするようになり……というありきたりなもの。
同じようにルナもカレの前では笑顔の絶えない性格で、ゾッコンだったらしい……そんな幸せが終わったのは、つい昨日のことだった。
姫田町男子高校生殺人放火事件。9月11日。被害者宅にて、被害者が刃物で殺害された上、自宅を放火されるという事件が発生。 犯人はまだ捕まっていないという。
「燃やす……って」
「そのままの意味です。今すぐ私を火にかけて、殺してください。先輩にその気がないなら──」
新入部員のちょっぴりブラック多めのジョークだとワタシは作り笑いをしようとしたところで、ルナちゃんは屋上のフェンスへと向かって歩き出した。
「ちょ、ちょちょなにしてんの?」 「ここから飛び降りますから」
どうなってる、どこいったんだ、さっきまでの桜色の展開は。
すっかり真っ赤っ赤じゃないか。
「どうしますかって……。そ、そりゃ、ダメだよ! 死ぬなんて、ダメに決まってるじゃないッ!」
「じゃあ燃やしてください」
「燃やすて……そもそもそんな道具持ってないし」
「…………。そうですか。じゃあやっぱり」
と言ってフェンスに向かって歩き出すルナちゃん。
まずいまずいまずい。
人間の命は地球より重いだとかそんな24時間テレビ齧りの話をしたいわけじゃなくて、もしここで彼女が自殺した場合、最後に行動を共にしているワタシの未来が保証されない……!
「ど、どうしたら、し、死なないでくれる?」
「…………」
こちらに向き直って、ルナちゃんは目を瞑った。 暫く屋上をそよ風の音だけが支配して、ワタシが7回唾を飲み込んだあたりで、彼女は口を開いた。
「今日中に私の気を変えてください」
「死にたくないって思わせられればいいんだね?」
「はい。できなければ──。」
……そこから先をあえて口にしないあたり、いい性格してる。
「じゃあ……」
ひょんなことからワタシの人生を左右するイベントが始まってしまった。
けれどワタシはラブコメ部部長。ラブコメを愛しラブコメに愛される(ハズ)の女。これはアドベンチャーゲーム。選択肢を間違えなければ、必ずハッピーエンドがある……っ!
「よし、じゃあデートしよう!」
……まぁぶっちゃけてしまえば、この時には、とっくにバッドエンドしか残されていなかったのだが。
◇3◇3◇
「もっとゆっくり歩きます?」
「いや、気にしないで」
高校生になってから好きだったオタク趣味をさらに深掘りして、ラブコメ作品を買い漁り、ラブコメ部というオタク活動の場を学校にまで広げた。
だから、普通の女子高生みたいなキラキラとした青春は薄っぺらな紙と文字に広がる、他所の世界だった。
ルナちゃんを連れて町の商店街に出たワタシは、まずケーキ屋さんに駆け込んだ。女子高生というものは甘いお菓子をたらふく写真とお腹に収める生き物だと思ったからだ。ワタシはいつも寄り道しないで帰るので、これが初めてのケーキ屋訪問だった。
「今日はワタシの奢り、なんでも食べるといいよ」
「じゃあこれを」
ルナちゃんが指差したのはホールケーキ。
「ルナちゃんってば冗談がお上手ね。さ、選んで」
「じゃあこれを」
ルナちゃんが指差したのはホールケーキ。
「値段はこの際どうでもいいんだけどさ、ルナちゃん、これをワタシと食べたいってこと?」
「自分のも選べばいいじゃないですか」
まさかのソロプレイ。
「た、食べ切れるの……? あとはほら、女子高生ってカロリーとか気にするもんじゃない?」
「ケーキは別腹です」
此奴は別腹ならカロリーまで人間に秘められたブラックホールに吸い込まれると思っているな。
「まぁ、昨日のこともあるし、沢山食べなよ……」
ワタシはそのまま渋々ホールケーキを購入した。店内でホールケーキをスプーンで食べ狂うルナちゃんは、その表情の無表情さと、ほっぺたを蝕んでいく白髭のようなクリームも相まって、仕事に疲弊しきったサンタのヤケ食いだった。
周りのお客さんがカメラのシャッターを切っていくので、ワタシは必死に顔を隠しながら抹茶ケーキを食べるのだった。
◇4◇4◇
ワタシには妹が三人いる。
もか、にか、みか。順に中学3年、1年、小学3年生。
お父さんは単身赴任で離れたところに住んでいて、お母さんもパートが忙しくて家を空けることが多い。
だから家事や洗濯はワタシが担当していて、妹の面倒もワタシが見ている。中学生の時までのワタシなら……もっと自己中で、今のワタシを見たら卒倒したと思う。
次に向かった場所はゲームセンター。彼女を楽しませる方法として選んだのはプリクラ。加工する写真を撮ってナニが楽しいのかワタシにはサッパリ分からないが、ルナちゃんはキャピキャピの女子高生だろうし、喜んでくれるかもしれない。
……100円玉を数枚いれると、早速カウントが始まった。
「ほらルナちゃん、笑って!」
パシャリ。出来上がったのは丸眼鏡女の不器用な笑顔と、笑う気の一ミリも無い女子の無表情。
「これは……」
加工機能、つまるところ人類の叡智を総動員することで、どうにか青春チックな作品が出来上がると信じ、ワタシはタッチペンをオーケストラの指揮者の如く振るうこと、10分後。
誕生したのは、地球のプリクラに迷い込んだエイリアン二匹を収めた一枚だった。
◇5◇5◇
「うん、やっぱ無理だっ!」
というわけで、ワタシは彼女を諦めた。
雑貨屋、コスメショップ、映画館。どこに行っても彼女は笑うことは無かった。彼女の自殺願望が折れることは無かった。でも、最初から全部分かっていた。だって、ワタシは彼女の自殺を止めることができる唯一の方法を知っているから。
姫田町には姫川という可愛らしい名前の汚く大きな川がある。その河川敷に沿って、ワタシ達は歩いていた。既に月が顔を出していた。
ワタシは彼女を楽しませることを諦め、ワタシの身内の話や過去について話した。中学生までは、今と真逆で友達が多くて、スポーツが好きなアウトドア少女だったこと。好きなラブコメ作品。妹が人参を食べて嫌いなあまりリバースしてしまったこと。 ルナちゃんはもちろん笑うことはなかったけど、無言で頷いてくれていた。
「あとはね……そう、スポーツっていうのはね、テニスなの。ワタシ凄かったんだよ。今のワタシからじゃ想像つかないかもだけど、全国大会とか出てたんだよ。……まぁ出たというより、出るのは決まったけど、直前で怪我しちゃったんだけどね」
「知ってます」
数時間ぶりくらいに、ルナちゃんが口を開いた。
「私も違う中学の女テニでした。尊敬してました」
「そっか……。じゃあ全部、知ってるんだね」
ワタシが立ち止まると、それに気づいて彼女も立ち止まり、こちらに振り返った。
「いやはや、びっくりしたよ。そもそもさっき机に叩きつけてくれたコレ、入部届じゃないんだもの」
ルナちゃんがワタシの前の机に叩きつけた、入部届、と記してある封筒。封筒の中身には、つらつらと詩のようなモノが記されていた。それは──
「ええ。私の、遺書です」
燃えないゴミでごめんなさい。
燃えないゴミでごめんなさい。
貴方が好きで素敵で捨てきれません。
「一途だねー。彼氏と死に別れたからって、自分の人生を台無しにしたら彼氏が悲しむんじゃない?」
「先輩だってッ!」
夜空を切り裂くようなルナちゃんの絶叫。
「私怨で……妹たちの人生を台無しにするんですか? 家族が悲しむんじゃないんですかッ!?」
「ルナちゃん」
ワタシは丸眼鏡を掛け直す。
「どうして……っ、どうしてですか……。どうして、人殺しなんか……したんですかッ」
「ルナちゃん」
ワタシは屈託のない笑顔で、
「アナタの自殺を止める唯一の方法は、アナタの大切な彼氏を、殺して、燃やした、
ワタシが自殺することだよね?」
そう言った。
◇6◇6◇
小さい頃からテニスが大好きで、経験と実力を着々と身につけて、全国大会に出場する権利まで掴み取った中学三年生。大会前日に、ワタシの実力に嫉妬した、男子テニス部の生徒に、階段の上から突き飛ばされて足を怪我した。後遺症が残った。
本当にくっだらない理由で、ワタシの選手生命は……途絶えてしまった。
「こんな大事になるとは思わなかった。ルナちゃんの彼氏くんはそう言ってたよ。本当にクソだよね」
「でも、命を奪うなんて……」
「ワタシにとってはテニスは命と同じくらい大切だったんだよッ!!」
こんなに叫んだのは……テニス部の時以来かな。
「それを奪われて、ワタシの人生は無茶苦茶になった。現実逃避するようにラブコメ作品を読んで妄想に逃げた、部活まで作って芋女を集めて、自分も同じレベルの人間に成り下がってテニスを忘れようとしたッ……!
けど……忘れられなかった。この三年間、怒り、憎しみは、溜まっていくばっかりだったの……。だからね、その分何度も刺してやった。それでも足りなくて、燃やしてやった」
「…………ッ!」
我慢ならなかったようで、ルナちゃんはワタシに掴みかかる。
ワタシの事を犯人だって突き止めた洞察力諸々は評価するけど、ちょっと甘いよね。昨日人を殺した殺人犯に無防備で掴みかかるなんて。
「ルナちゃんも死にたいんだ?」
「ぁ…………」
ポケットに忍ばせていた折り畳みナイフを取り出し、その刃をルナちゃんの首元に突きつける。
まだ……カレの血がこびりついている。
「なーんてね。うそうそ。 これはあなたに渡そうと思ってたの」 「は……?」
ナイフをゆっくりと降ろしてから、力の緩んだルナちゃんの手に、ナイフを握らせた。
「ほら、これでワタシを殺して? だってもう何も無いからさ。テニスの無くなったワタシに、この世界で生きてく原動力、無いから」
「…………」
「通報する? けど死刑にはならないんじゃないかな。一人殺して放火して、他に被害者は居ないしワタシ学生だし、死刑になったとしても、燃やされることはないしねぇ?
燃えないゴミでごめんなさい」
ワタシが煽るようにウインクをすると、ルナちゃんは唇を噛み締めた。怒りの炎を具現化したような血が……唇から溢れている。
「本当は……昨日の私だったら、すぐに先輩を殺していたと思います。でも、気が変わって、先輩のことを少しでも知ってから、殺すか、通報するか、決めようと思いました」
「へぇ……」
「当たり前ですけど、たった一日で先輩のことを全部知ることなんてできませんでしたし、同情も……できません。先輩の妹とか私には関係ありません」
より強く唇を噛み締めるルナちゃん。
「じゃあ殺す? そして燃やす? まだバッグに残ってるよ、昨日使ったオイルも、ライターも」
「殺しません。思い出したんです。 今日は水曜日ですから」
「は──?」
「燃えないゴミの日ですから」
◇7◇7◇
あれから数週間後。あの後はトントン拍子に事が進んだ。
先輩を連れて交番に行き、先輩は何の抵抗もなく、自首をして、捕まった。テレビのニュースにも取り上げられて、彼女の裁判の様子や懲役はネットニュースで知った。何の感情も……湧いてこなかった。
事件当時、私は先輩が現場を後にするのを目撃した。その時……目があった気がする。だけど先輩はその場で私を殺そうとしなかった。だからすぐに警察に言わなかったわけじゃない。もっと複雑で……それでいて単純な私のナニか。
きっと……数千文字の短編小説に収まるようなドラマを求めていたんだ。先輩にもきっと理由があって、私の彼氏を殺したんだ、って。私が予想していた通りだったとはいえ、本人の口から犯行理由は聞くことができたけど、欠片とて響かなかった。
ただ、もっと不快になっただけ。
あれから数週間。
私はただでさえ人間嫌いの目つきの悪い女の子なのに、より一層目つきの悪い女の子になった。
事件の事情を知った取り巻きから空っぽの同情を貰うけれど、私はフードを深く被って無視した。
あれから数週間。 死ぬ気すら失せて、空っぽの毎日。真っ更な床をロボットみたいにチリトリとホウキを持って掃き続けるような、空虚な毎日。
カランッ。
不良みたいな見た目をしているけど、品行方正の類には気をつけてきた。だから今、ペットボトルのゴミ箱に缶ゴミを投げ入れたのは……私の人生の脚本をおじゃんにしてくれた、神様って奴への……小さな叛逆だった。
「あ、ゴミは分別しなきゃですよ」
指をさす、一人の男の子。
それが、出会い。
ゴミみたいな私の人生。されどゴミは回収されて、リサイクルされて生まれ変わる。
きっと……私の人生もリサイクルを繰り返す。また新しいカタチになる。
──私というゴミが再燃したのは、水曜日の昼下がり。
燃えないゴミの日のことだった。
/おしまい
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