やさしいお話(短編集)

桶底

①泥んこの少年

 少年は、もう長いあいだ泥まみれでした。どこまでが自分の身体なのかさえ、わからなくなってしまっていました。


 重たい足取りで道を歩いていると、ぴょんぴょん跳ねるウサギさんがやってきました。


「やあ、どうしたんだい? 元気がないね」


「うまく歩けなくてさ。ウサギさんみたいに跳ねられたらいいのに」


「じゃあ、跳ねてごらん! 僕がその足を作りかえてあげよう」


 ウサギさんは、少年の足についた泥を取ったり付け足したりして、自分のような丈夫な跳ね足を作ってくれました。


 けれど、少年は跳ぶことができませんでした。それはまるで、自分の体じゃないような違和感があったのです。


 また一人、ぽつりぽつりと歩いていると、空をパタパタ飛ぶトリさんが降りてきました。


「やあ、どうしたんだい? 浮かない顔をしてる」


「うまく歩けなくて……。トリさんみたいに飛べたらなって思って」


「だったら、飛んでごらん! 僕が君の腕を作りかえてあげよう」


 トリさんは、少年の腕についた泥を取ったり付け足したりして、大きくて立派な翼を作ってくれました。


 でも、やっぱり飛ぶことはできませんでした。慣れない翼は動かすこともままならず、少年にはただの重荷にしか思えなかったのです。


 少年は川へ向かって歩き出しました。自分の身体があまりに不自由で、本当にこれは自分の体なのか、確かめてみたくなったのです。


 川べりに立ち、水面をのぞきこもうと身を乗り出したとたん、泥の重みに耐えきれず、どぼんと水の中に落ちてしまいました。不格好な体であがきながら、あっぷあっぷしていると、サカナさんが泳いできて言いました。


「ずいぶん重そうだね。しばらく流されてごらん。溺れないように、僕がそばにいるからさ」


 少年は、川の流れに身を任せました。ごうごうと流れる水の中で、身体にこびりついていた泥が少しずつ剥がれ落ちていきます。そして、すっかり本来の姿になるころ、サカナさんは少年をそっと岸へ送り届けてくれました。


 地面に立ったそのとき、少年は気づきました。身体が、驚くほど軽くなっていることに。


 もう、自分の姿を確かめる必要なんてありませんでした。軽やかに地面を踏みしめる足取りが、何よりも「自分らしさ」の証だったのです。

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