第4話

 今、俺はガッチガチに緊張している。

 だって王女様だぞ、王女様だぞ!? とんでもなく偉い人だぞ!

 そんな人から直々の呼び出しって。こんな思いをするのは仕事で失敗した次の日に、仏頂面の上司に呼び出されたときぐらいなものだ。それよりかもしれない。


「……あの、大丈夫ですか?」

「ハイ、ダイジョウブデス」


 傍から見ても今の俺の状況は悪いらしい、王宮内にて案内してくれているメイドさんが、しきりに振り返っては心配してくれる。


「姫様はとてもお優しい方ですから、その、そんな怖がらなくとも大丈夫ですよ」

「いえ、ですが。当方粗忽もので……」

「大丈夫ですよ。招いたのはこちらなのですから、多少の無作法は多めに見てくださいます」


 能天気でいられれば、高値の華とお近づきになるチャンスだとか考えられるのかもしれない。

 ただな、冷静に考えてみて欲しい。一歩間違えれば斬首刑だぞ? 王族、王族相手だぞ? この間広場で反逆罪に問われてたやつが処刑されてたばかりじゃないか。

 はっきり言う。怖い。逃げ出したい。アルテシアちゃんの歌を聞いて癒されたい。


 アルテシアちゃん……アルテシアちゃん?

 そうだ、俺はアルテシアちゃんのファンだ。ファンである以上、恥ずかしい振る舞いは許されない。

 緊張のあまり基本のマインドを忘れてしまっていた。


「……すみません。ちょっと緊張しすぎてたみたいです」

「ええ、そのぐらい気を抜いてらしても大丈夫です。――そろそろ到着いたしますよ」


 絢爛豪華な廊下を進んできたが、たどり着いた先もまさしくといった風体。

 本当に凄いな。そこらへんに飾ってあった絵画一つでどれだけの額になるんだろうと思うのは、ちょっとばかり外聞が良くないか。

 こうしてみると、この国は繁栄しているんだなって実感する。日ごろはあんまり考えることはないが、王都も十分に活気に溢れているんだろうな。前世の都会とかを知っているから、なんとも思わないだけで。


「アルテミシア王女殿下。お客様であるタイラン様をお連れ致しました」

「どうぞ、お入りください」


 扉をノックし、メイドさんが室内に声をかける。

 帰ってきた声は、芯のある透き通った声だった。

 ――? どこかで聞き覚えがある気がするのは気のせいか? きっと気のせいだろう。王族と会う場面なんてないはずだ。

 王族が市井に顔を出すパレード? みたいなのにも俺は参加してないし。


「失礼いたします」


 メイドさんがゆっくりと扉を開けて、俺を招きいれる。

 唾をゆっくり飲み込む。この先に、王女様がいるんだよな。

 冷静に、冷静に。決して、失礼がない様に、だ。


「失礼いたします」

「――こんにちは。タイラン様」


 部屋に入って真っ先に目に入ったのは、俺でも分かるほど優れた佇まいの少女だった。一見して分かる。風格が違う。これが王族……っ。

 体つきやドレスで女性だとわかるが、顔はわからない。薄布で隠されている。

 そういえば、パレードの時とかもそうしてると聞いたことはある。理由は知らないが。


「どうぞ、お座りください」

「あっ、はい。失礼します」


 促されたので、示された椅子に座る。

 その間に、メイドさんが内側から部屋を閉じた。

 これで、この部屋にいるのは三人だけ。俺と、王女殿下と、メイドさん。

 ……ん?


「どうかされましたか?」

「いや、騎士の方とかが同席されないんだなと思いまして」


 部屋の前にもいなかったよな。

 言い方悪いが、冒険者なんて荒くれものと王族が一緒にいるのに、警護がなくてもいいんだろうか。

 今、仮に俺が暴れだしたらどうするつもりなんだ?


 訝し気に思っていると、クスリと笑い声が聞こえる。

 誰かと思えば、笑ったのは王女殿下だ。


「ご安心ください。警戒なさらずとも、王宮内ではそのような事にはなりませんよ」


 言いながら、王女は顔布をしながらでも優雅にお茶を飲む。

 ふむ。実は俺がわからないだけで騎士たちが隠れているとかだろうか。


「随分と信頼されてるんですね」

「それはもう。英雄様ですから」


 英雄! そんな呼ばれ方をするほどの人物が隠れてるのか。それは俺程度じゃわからなくても仕方がないな。


「それで、俺――私を呼んだ理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「ふふっ、実直な方ですね。さっそくお仕事のお話ですか?」

「すみません。その、こういう場は不慣れなもので」


 何話せばいいかわからないから本題に入ろうとしたら、やんわりとたしなめられた。

 わからん! こういう場で何をすればいいのかさっぱりわからん!

 いつの間にかに目の前に置かれてたお茶も、どう飲めば正しいのかわからない。くそっ、作法についてもっと勉強してくればよかった。


 そうやって迷い、視線を漂わせていると、顔布越しでありながら王女殿下と視線が合った……気がする。

 あっ、今笑ってるな。雰囲気が和らいだ。


「作法は気になさらないで、と申しても気になさってしまうのでしょうね。では、私の動作を良く見ていてください」


 わざわざゆっくりと、俺にも分かるように丁寧に。洗練された動作は何百回何千回と繰り返してきたものなのだろう。最初からできたという自然さはない。磨き上げられた美しさを感じる。

 ああ、この人は努力家なんだろうな。王族に産まれたからだとか、産まれの優れに驕ることはなく、努力を重ねてきた人なんだろう。

 何となく、すとんと胸の底に落ちたものがある気がする。


「――はい。どうぞ、同じようにやってみてください」

「はい」


 俺としたことが。思わず見惚れてしまっていた。アルテシアちゃんの初ライブの時のように、視線が離せなかった。

 ゆっくりと、恐る恐る真似をして――お茶を飲むところまで。


「――美味しい」


 思わずこぼれた一言は、心の底でわだかまっていたものを溶かすようだった。


「良かった! 独特の香りで評価が分かれるのですけれど、タイラン様にも気に入っていただけたらと――」


 ……ああ。今理解できた。

 俺は気を使われていたのか。王女様に。

 怖いだとか、そういうのではなく。純粋に、他人を気遣える人なのか。


 王族だから傲慢だとか、偏見ばかり持っていた俺が恥ずかしい。

 先入観だけで目の前の相手を蔑ろにした立ち居振る舞いをする。それこそ、失礼を働くよりよほど礼節にかける行為じゃないか。

 お茶のカップをテーブルの上に置き直し、両の手で思いっきり左右の頬を引っぱたく。

 メイドさんも王女殿下も驚いたのが伝わってくる。


「タ、タイラン様何を」

「すみませんでした。失礼を働いていました」


 頭を下げた後、ゆっくりと顔を上げて、顔布の向こうにある王女様の顔を見つめる。

 今度は、何かを思ったのか、視線を逸らされてしまった。


「ありがとうございます。目が覚めました」

「……はい。それは、よかったです?」


 本題に入ろうとしたところをはぐらかしたのは、俺が本調子でないのを見抜いての事なんだろうな。

 確かに、あのまま本題に入っていたら何もわからないまま二つ返事していたかもしれない。

 それを察しての行為だったんだろう。

 王女殿下。この人は、正しく人の上に立つべき人物だ。この短時間でそう思わされた。 


「もう大丈夫です。本題に入りましょう」

「よろしいのですか?」

「ええ。お気遣いありがとうございます」


 少しだけ間をおいて、王女殿下もカップを机の上に置いた。

 呼吸を整えて、話しかける。


「それで、私をお呼びになった理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「……実は」

「実は?」

「実は、ですね……」


 そんなに喋りにくいことなのだろうか。口をまごつかせている。

 だが、どんなことだろうとしっかり聞く準備はできている。さあ、どんとこい。


「そう、実は、市井で活躍されているタイラン様がどのような方なのか知りたくて、お呼びしたのです」

「…………はい?」


 思わず間の抜けた声が出た。


「タイラン様は長い時間放置されていた高難度の依頼や仕事を幾つも達成した冒険者として、王宮内でもとても名が通っておりまして。この国の王女として、是非一度お会いしたいなと思ってましたのです。それで、そう! 予定が空いておりましたので、是非お話相手にと……」


 凄い早口でまくし立てている。凄い肺活量だ。呼吸が続くことに驚いた。 

 視界の端で、メイドさんが顔に手を当てているのが見えた。


「……私との話は、退屈ですか?」

「まさか。そんなことはありませんよ」


 自信なさげに投げかけられた質問に、食い気味に回答する。


「とてもためになっております。何分、無学な身ですから。もし、よろしければ色々と教えてくださると助かります」


 なんだかな。この王女様は中々に放っておけない。

 庇護欲をそそられるというか、何というか。ああ、そうだな。

 やはり、頑張っている人には報われて欲しいからな。アルテシアちゃんが教えてくれた、俺の心情に従って。


「そうですね。話し相手となれば光栄ですが……まずは、見られても恥ずかしくない礼節から教えてくださいますか?」


 話し相手として、恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に着けるところから始めるか。

 ……王女様本人に教えを乞うのは、少し違うのかもしれないが。

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