第十五話 闇の魔術
ザーミーンが、宙を舞う。
軽やかな動きが戻り、華麗に黒衣の剣がかわされる。
呪詛の影響は、もはやない。
逆に、戦いの歌が力を与えてくる。
だが、魔術師の持つ剣は要注意であった。
先ほどと違い、黒い呪詛が渦巻いている。
あれは、
ザーミーンの
着地するザーミーンに、追撃が迫る。
髪の毛の上を、刃が通り過ぎる。
身を沈めたザーミーンを狙い、矢継ぎ早に剣が突き込まれる。
それを回転し、回避。
黒衣の者の剣の腕は、かなりのものであった。
女神の力で身体能力が上がっているザーミーンでも、反撃の隙がない。
「ちょこまかと」
「おい、あれで動きを止めろ!」
「承知」
連撃を繰り出しながら、黒衣の者が会話する。
仕掛けてくるか。
ザーミーンも、警戒を強める。
黒衣が剣を振りかぶった。
予備動作が、大きい。
振り下ろしの斬撃を回避するのは、ザーミーンには容易かった。
だが、この斬撃の狙いは、ザーミーンの身体ではなかった。
「
大地に残るザーミーンの影に、黒衣の刃が食い込む。
同時に、ザーミーンの背中から血しぶきが上がった。
「きゃうっ!」
ザーミーンの口から、悲鳴が漏れる。
背中が、灼けるように熱い。
斬られた?
影を斬ることで実体を斬る魔術があるとは知らなかった。
もんどり打って倒れる少女に、もう一人の黒衣が追撃をかけようとする。
──刹那。
黒衣の足下の影から、手が伸びる。
その手には、黒い刃の短剣が握られていた。
「なに!」
影から飛び出した男が、黒衣の男の喉を斬り裂く。
赤黒い血が噴き出す。
目の光が消え、黒衣は操られたかのように一歩前に出る。
そして、崩れるように倒れた。
男の口角が上がる。
「
血しぶきを浴び、ティグヘフが
黒衣の魔術師が、目に見えて狼狽した。
「きさま……なぜ、闇の魔術を……!」
「知る必要はないだろう? どうせ死ぬんだからさ!」
黒衣の刃が突き出される。
剣身は、敵のほうが長い。
だが、攻撃が届くより早く、ティグヘフの身体が影の中に沈んでいく。
「逃がすか!」
黒衣の刃が、影を斬る。
血しぶきは、倒れた仲間から上がった。
すでに、ティグヘフの姿はない。
「
後ろに飛び退き、黒衣が左右を見回す。
その足下から、再び手が現れる。
咄嗟に跳躍する黒衣。
だが、ティグヘフの動きの方が速い。
空中で、ふたつの影が交錯する。
回転し、ティグヘフが大地に降り立った。
その後方に、胸から血を噴き出した黒衣が落下する。
ちらりと黒衣を見たティグヘフの目には、憎悪の光があった。
「──ハダスめ。まだ東でうろちょろしているのか」
そう呟いたティグヘフの声は、ぞっとするほど冷たかった。
黒衣の絶命を確かめると、ティグヘフはザーミーンに駆け寄った。
「大丈夫か?」
身を起こしたザーミーンが、痛みに顔を歪める。
深くはないが、まだ血は止まっていなかった。
「──動けはします。でも、まさか影を斬って実体を傷つけるなんて」
「嬢ちゃんは、ハダスの部下とは戦ったことがなかったか。マージドの部下は、正面からぶつかってくるやつが多いからな」
ティグヘフが傷を確認し、悪かったと頭を掻いた。
「もう少し、おれが早く来ればよかったな。砦の偵察に行っていたんだが、嬢ちゃんが斬られて慌てて戻ってきたんだ」
以前、嬢ちゃんの影に潜ったときに、感覚を繋げておいたんだ、と申し訳なさそうに言う。
影斬りで異常を感じたのだろう。
潜入していた砦から、影渡りで移動してきたのだ。
「ザーミーン、あんた、大丈夫?」
キミヤーが、ボルールと一緒にやってくる。
ザーミーンの傷を見て、ボルールは青ざめた。
だが、キミヤーは落ち着いて傷を検めると、安心したかのように息を吐く。
「大丈夫。見た目よりひどくはないわ。ボルール、あれを」
キミヤーの指示で、ボルールはアルコールを取り出す。
キミヤーは、遠慮なくそれを傷にぶちまけた。
「ひゃああ!」
傷の痛みに、ザーミーンが悲鳴を上げる。
「大丈夫、この程度で死にはしないわ」
腰に付けた袋から軟膏を取り出すと、ザーミーンの傷口に塗る。
塗布を終えると、ボルールと協力して手早く包帯を巻き終えた。
「す、すみません。ティグヘフ様は砦内への潜入任務を命じられていたのに……」
「いや、もともとおれたちはザーミーンの警護が主任務だからな。気にするなよ」
ティグヘフが笑う。
ザーミーンには、その笑顔が本物には思えなかった。
彼の笑顔は、いつも目が笑っていない。
それだけに、どこか怖さも感じる。
「──べバール様は大丈夫でしたか?」
「ええ。べバールなら大丈夫よ。暗闇に閉ざされたまま、蟲人を一人倒していたわ」
「意味わかんねえですよ。あの人、見えてなくても斬れるんですぜ」
「まあ、べバールだから」
二人のべバールへの深い信頼が感じ取れる。
痛みに顔をしかめながら、ザーミーンは立ち上がった。
ちょっと痛むが、動けないことはない。
「筋は斬られてなかったから大丈夫だけれど、もうじっとしててもいいのよ。ティグヘフの代わりに、べバールが砦の中に向かったわ」
「いえ、そういうわけにもいきません。本番は、これからですけん。マージアール様にも、申し訳ないです」
「まあ、副神殿長だったら、
「そういうことを言うもんじゃないわ、ティグヘフ。あれで彼も真摯に職務を遂行しているのよ」
副神殿長は、かなり現実的な考え方の人のようだ。
それに、物事を数字で判断していそうでもある。
確かに、ここで脱落すれば、彼の中でザーミーンの存在が軽くなりそうな予感はあった。
「──行きますよ、大丈夫です。アレイヴァの女は、このくらいじゃへこたれないですけん」
力こぶを作って笑う。
キミヤーは、目を瞬かせた。
優等生のお嬢さんだと思っていたのかもしれない。
だが、ザーミーンは田舎育ちだ。
根性で、都会者に負けたりはしない。
「──わたしが駄目だと言ったときは、引き返すのよ」
キミヤーはそう言うと、ザーミーンの従軍の許可を出した。
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