第24話 夜月の誓い
湯を上がって簡易脱衣所に向かうと、脱衣所の管理をしていたハイマンの女から渡されたのは一着のローブのような衣類だった。見たことのない形状に戸惑っていると、「エルフの方は見慣れませんよね。着付けますので、お任せを」と、女に
全身に巻きつけるように布地を当て、それを腰帯で結んだだけの簡素な衣類。女はこれを温泉浴衣と言う。なんとも頼りないが、羽のように軽く、シルクとはまた違う、けれど柔らかな素材で出来ている。
「お似合いですよ、パメラさん」
「すっごく素敵」
大きなたんこぶを頭にこさえたサラメアとカティが、慣れた様子で自分の腰帯を巻きながら誉め言葉を投げかけてくれるので、パメラも「ありがとう。貴女達も素敵ですよ」と返した。見事に着こなしている二人は、本当によく似合っていると思ったのだ。
サラメアとカティとは脱衣所を出たところで別れ、支給された木のサンダルでパメラは辺りをふらふらと散歩してみる。長い間、獣の皮のブーツを履き続けていたから、風が足をくすぐるサンダルが心地いい。まだ少し足の裏が痛むが、歩く分には問題なさそうであった。
「あ、パメラー」
不意に呼ばれて目をそちらへと
「さっき何があったの? すっごく大きな光の柱が見えたんだけど」
「なにがあった……は、こちらが聞きたいことですが……」
「あー、これ? 気にしないで、うちのお姉ちゃんは頭が良いけどバカなんだ」
そう言いながら、タヌライは扇子を少し強めに動かして風を送る。ごにょごにょとクレバシが何かを呟いているようだが、何も聞き取れない。もはやまともに話すだけの力も残っていないのだろう。風呂に入ったはずなのに、えらく酒気を帯びているから、何となく状況を察することも出来た。
「そうだ、パメラ。あの大樹の町に宿を用意してもらっているから、パメラも案内してもらうと良いよ。こんな場所だけど、意外とふかふかのベッドがあるんだ」
「まぁ、嬉しいですね!」
ふかふかのベッドと聞いて、胸が高鳴るのを感じる。旅の間、硬い馬車の木床に寝転ぶか、野営の見張りで土や砂、夜露の湿り気を帯びた草の上に座り込んで、身体に毛布を巻いた状態で無理やり寝る程度で、とてもではないが満足いく睡眠を取れているとは言えなかった。
風呂にベッド、なんとも贅沢な町である。今までの苦労が一気に解消される気分だ。
「うん、初めてここに来た冒険者はだいたいすぐ寝ちゃうんだけどね……ちょっと頑張って起きててくれないかな?」
「え?」
「あとで、うちのクレバシがパメラと話しをしたいんだって」
「………」
うーん、うーん、と唸り倒れ伏すその姿。何かを話せそうな気は到底しなかったが、タヌライが言うのだ。きっと、何か大事な話があるのだろう。クレバシは夜、わざわざ話の場を設けることなど今までなかったのだから。
「わかりました。お待ちしていますと、クレバシに伝えておいてください」
「うん。ありがとう」
問題は、本当に話す気があるのか疑わしいほど、
○
タヌライから教えられた宿に向かい、所属の紹介とチームを組んでいるタヌライとクレバシの名を告げると、えらく歓迎されて、部屋へと案内された。
道中、案内係の少女はタヌライとクレバシの活躍の話を興奮気味にしながら、彼女らが如何にハイスピードに出世していったかを語りつつ、最初にこの町を訪れた時は右も左も分かっていない、可愛らしい新米冒険者だったと熱く語った。
(あの二人にも、初心者の時代があったのね)
当たり前と言えば当たり前だが、あの二人にも
案内係曰く、何度も出発と出直しを繰り返し、多くの失敗を重ねながら少しずつ前へと進み続けていたという。失敗していたのか、という新鮮な気持ちも生まれた。今の二人からは想像がつかないが、どうやらかなり長い間、失敗を重ねる日々だったらしい。
そうして案内された部屋は、なんと言うのだろう。まさに木の中をくり抜いた部屋としか言いようがない。そも町自体も樹をくり抜いた天然自然の木材の廊下、階段、という造りであり、そこかしこに埋め込まれたランタンが照らしてくれたこの町は、いっそ自分が虫になったのかと錯覚するほどである。
そして室内には木製のベッドとテーブル、椅子。そして隅に
「それでは、御用がありましたらいつでもお呼びくださいませ」
可愛らしく一礼をしてから去った少女に——作法はいい加減だが——丁寧な対応に心が温かくなる。衣類は明日の朝、届けてくれるらしい。
ベッドの上には、弾力のあるクッションと、キレイな……というには多少の汚れが目立つが、十分に清潔なシーツが敷かれている。このまま寝転んで、明日の朝まで寝たい程度には疲労感があった。
しかし、クレバシの用件もある。パメラは眠りたい気持ちを抑えながら、しばし、うとうととまどろみながら窓辺で夜風を浴びてクレバシを待つこととした。
○
そんな過去の自分に、気にせず寝ても良いと言ってやりたい気持ちである。
「いやー、あははは。お待たせ、待った?」
「クレバシ。今はいつですか?」
「あー……月がちょっと西に傾いているわね?」
「………っ!」
思わず、怒鳴りたい気持ちになった。もういっそ、無視して寝てやろうか。そんな気持ちになる。結局クレバシが来たのは、夜も深まり、霧が立ち込め、月が頂点から落ちるほどの時間が経ってからのことである。
パメラと同様に温泉浴衣を身に纏い、しかしどこかだらしなく着崩している、ワインの瓶と二つの木杯を手に持ちながら、愛想笑いのクレバシの姿。
「いや、ほんとごめんなさい。ほらこれ、良いワイン分けてもらったから、一緒に呑みましょ?」
「そのせいで寝ていたんじゃないんですか?」
「あはははー……」
「クレバシ。貴女、物静かでしっかり者だと思っていたのですが……結構、ずぼらな人なのね」
「うぅ……」
返す言葉もないとばかりに、クレバシは肩を落とした。
「声が他の部屋に響きます。入ってください」
彼女を招き、椅子を用意して、テーブルを挟んで二人は座り合った。クレバシが持って来た二つの木製の杯。それぞれワインを注ぎながら互いに杯を手に、小さく乾杯と打ち合って、ワインを飲む。
その鮮烈な味わい。故郷アルテトの
「美味しい。エルメルの大地でこんなに美味しいワインを飲めるなんて」
「ワインはフランカ王国が世界一ってのは、酒通なら誰でも知ってることよ。けれど、エルメルワインだって、今や注目を集めつつあるくらいには良いワインが生まれ始めているわ」
「ええ、本当に美味しい。すっきりして、飲みやすくて、ほんのり甘味が強いかしら」
木杯を傾けながら、パメラは夢見心地の気分だ。ワインは故郷において、水以上によく飲まれている飲料である。少しだけ、故郷の味が恋しくなった。
「帰りたくなった?」
その心を見透かしたかのように、突然、クレバシが呟く。
「多少のイレギュラーがあったとは言え、これが塔の旅の中でも最も難易度が低いわ。本来なら戦闘なんてほとんど起こらず、ただただひたすら歩き続けるだけ。そして、これからも続くわ。足のマメが潰れて、空腹で腕に力が入らず震えて、
「クレバシ……」
「食料が尽きて、水が腐って、惜しむ心を抑えながら捨てて。何でもいいから食べられる物を探して、それでも見つからず、飢え死にしていく人たちは後を絶たない。
「………」
「聖人のように気高い心を持ちながら、僅かな食料のために仲間を裏切った人もいた。団結力が試される場にあって、仲間を信じ切れず自分だけが助かろうとして、一人だけ死んだ人もいた。ほんのささやかな報酬を自分だけが手に入れようとして、仲間から信頼を失って追い出され、地上に戻ることが無かった人もいたわ」
クレバシがぽつりぽつりと、寂しそうに話す言葉を、パメラは一言一句聞き逃すまいと、しっかり心に刻み込む。クレバシが塔に挑戦して以来、何度も見た、人々が裏切っていく話。
そう。
極限まで追い込まれた人は、どんなに信じていても、裏切ると。
どれほど素晴らしい人でも、余裕が無くなれば人を信じられなくなると。パメラもそうなり、クレバシたちを裏切る可能性があると。愛する民たちを切り捨ててでも、自分だけが生き残ろうとするかもしれないと。今の気高い心を失うかもしれないと。
クレバシはそう言っているのだ。
「パメラ。何度も言うけど、どんなに誇り高く心が強い人でも、心身が限界に達した時、自分を守るために動き始めるわ。それは悪じゃない。生存本能から来る、自分自身を生かそうする行為。あたしはそれを否定しない。けれどその結果、パーティ全体が追い込まれ、信じあうことが出来ず、最後にはお互いを恨み、憎しみ合い、信頼関係が崩れて、別れる」
「……貴女達も?」
「ええ。あたしたちが助かろうとして行動した結果、パーティは壊滅。蘇生できなくなった人もいたし、かつてのリーダーや仲間からも
こくり、とワインをゆっくり口に含み、
金の瞳がほのかに、寂しそうに揺れるように見えるのは、月の灯りとワインの香りの魔力のせいだろうか。
「パメラ。引き返しなさい、優しい貴方には、ここは似合わないわ」
「クレバシ……」
「行動を共にして分かった。貴方は優しくて、高潔で、意志の強い人。民を想い、自らの行動で示す、誇り高い人。そこに嘘偽りは一切なかった」
彼女は、パメラの手を取る。小さく、弱々しく、優しく。
そして。
「貴方のような人がいなくなったり、心を歪めてはダメよ。他にも方法はあるはずだから、それを模索した方が良い。こんなおかしな場所にいたら、どうなるかなんて、わからないわ」
どこか、寂しそうに、手を握る。
「……クレバシは」
……。
いや、栓無きことだ。彼女の言葉の真意、解らぬほど子どもでなければ、飲み込めるほど大人でもない。
パメラの心は、当に決まっているのだから。
「ですが、貴女達は、姉妹で想い合うことを失ってはいません」
「……っ」
「誰もが純粋な心を失うのなら、貴女達だって、互いを信頼できず、離れ離れになっているはず。私には、貴女達には高潔な精神を腐らせる瘴気を浴びてもなお、輝きを失うことがない、真実の姉妹の愛を感じずにはいられません」
「パメラ……」
「私たちを思い、守り、優しくしてくださった二人の気持ち。きっと、いえ、偽りはないと、このパメラ・ロズ・クロエルド、断言致しましょう。この迷宮は、決して貴女達の輝く心を挫くことはないでしょう」
ならば。
確かに、強い絆を守り抜いた人が目の前にいるのならば。
「ならば、この私とてその心を失わず、先に進んで見せます。貴女達との友情。そして、故郷への想い。決して、
「………」
これは、ずっと考えていたことだ。
塔の環境、旅の辛さ。自分の身で歩き続け、戦いの中で無力を感じ、悔しさとみじめさに、静かに泣いた日々。これが、先に進むための試練。己の身も心も削る、人の心を飲む魔境。
これからさらに悪化していくこの環境をしかし、パメラは進むことを決めた。
今ならばまだ引き返せる。成果は得られなかったと言って故郷へ帰っても、父母も民も受け入れてくれるだろう。ひょっとしたら、クレバシの言う通り、自分が気づいていないだけでまだ故郷を救う方法は他にあるのかもしれない。
だが。パメラは進むのだ。
この心がどれほど
これは神から与えられた——いや、己の手で掴んだ、最初で最後のチャンスだ。
「クレバシ、誓いましょう。私たちの友情は、例えどれほど暗黒の海の中に流されても、決して錆びることなく、腐ることなく、穢れることなく、互いを信じ合うと」
「………ふはっ」
強い心で、確かな意志で、決意を固めた瞳でクレバシを見つめ、そう告げると、クレバシは笑った。
「ははは……っ、なにそれ、ちょっとキザ過ぎない?」
「こういうのは、気持ちを込めて大袈裟に言うくらいがいいのです」
「それが貴族流?」
「いいえ。私たち流です」
もう一度、クレバシは笑った。声を押し殺しながら、くつくつと。どこか、無邪気そうに。嬉しそうに。馬鹿馬鹿しそうに。
窓から入る月光に照らされた彼女の顔が、この時ばかりはいつもより幼く見えた。いつも被っているハットもなく、普段は少し跳ねている髪が大人しく落ちているから、余計そう見えるのだろうか。
リーダーとしての彼女ではなく、一友人としての彼女に、ようやく出会えた気がする。
「いいわ。その代わり、この先は修羅の道よ。何があっても、生き残ることを考えなさい」
「もちろん、みんなで、ですよね」
「……死んで欲しくない人を、久々に見つけたかもね」
「きっと、人はそれを友と呼ぶのです」
互いにワインを注ぎ合い継ぎ合い、木杯を手に取った。この瞬間、二人の未来は結び合い、固まった。
「なら、敬愛すべき我が友よ。あたしたちの友情に永遠の輝きあらんことを」
「永遠の穢れ無きことを」
かつん、と乾杯を交わし、二人は同じワインを飲んだ。
どれほどの絶望が待ち受けていようとも支え合おうと、ここに友情の誓いを立てたのだ。
○
「……ふぅ」
タヌライは、一息を吐いた。
クレバシが余計なことを言い出すんじゃないか。はたまた、パメラを騙したりしないか。あるいは喧嘩になるんじゃないか。
そんな可能性がよぎって、部屋の前で聞き耳を立てていたが、思わぬ方向に着地して、ようやく
パメラがこれからも一緒に進んでくれる。それだけで、タヌライは嬉しくなった。
何よりも、信頼できる仲間が今一番欲しいものである。パメラはそれに応え、クレバシも受け入れることを認めた。まずは、一歩前進である。
だが、懸念もある。
クレバシの狙い。
タヌライの願い。
パメラの願い。
願いを叶えられるのは一人だけ。一つだけ。そう、言い伝えられている。
クレバシにもタヌライにも、譲れぬものがある。だが、パメラの故郷を聞いて、捨て置くことも出来ない。苦しむ多くの人たちを、見殺しなんて出来ない。
「キミはどう思う、コリン?」
胸に手を当て、タヌライは独りごちる。誰かに、あるいは何かに、語りかけるように。優しく、穏やかに。
クレバシはどう纏めるのだろう。それだけが、唯一の懸念点であった。
「ま、あとはクレバシに任せよっと」
元より、タヌライは考えるのが得意ではない。頭脳担当は姉に任せ、タヌライは部屋に戻ることにした。
「タヌライ」
その時、離れの戸が開いて、中から現れた人物が、不安そうにタヌライの名を口にした。
「テット君……」
パメラの弟、テットだ。
「お前に、聞きたいことがある」
「えっ」
テットは、不安そうな、つらそうな、悔しそうな……けれど、はっきりとした口調で、真っすぐにタヌライを見つめ、口火を切った。
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