第20話 カニフェス in ダンジョンタウン②

 さっそく塩焼きの蟹にかじりつく男は、その濃厚な蟹と塩の香りを口の中いっぱいに満たし、ぶちぶちと小気味良い食感の身を噛みながら、梅の果実酒でぐびぐびと流し込む。その爽快感たるや、軽やかな春の風のように涼やかだ。実に美味い!


 その隣では女が塩茹でした蟹の身をポンソースにつけてむしゃぶりつき、エールで合わせている。その甘く、酸味のある酒と、ポンソースの清涼感溢れる味わいは真夏に刺す陽の光のように強烈かつ爽快だ。これもまた美味い!


 一方でほぐした蟹の身をパオズに包んで蒸しあげたものには東の大陸の米とこうじで造られた酒がよく合う。パオズに被りつき、ハイマンの酒で流す。優しくも濃厚な味わいと風味のパオズを、少し辛口の酒が刺激を与え、さながら涼風の中に、時折冬を思わせる寒さを感じさせる秋の涼風のようではないか。絶品であることは言うまでもない。


 さらにこちらは器の中に蟹の身を入れて、ホワイトソースとチーズと共に焼き上げたグラタン風の料理だ。熱々なのに優しい味わい、とろりと零れるまろやかさの中に蟹の旨味が広がり、それをワインで流し込むのが良い。まさに冬の暖炉のような温かさ。その旨さ、もはや語るまでも無いだろう。至高である。


 老若男女問わず、目の前にある料理に夢中になって喰らいつきながら、出されている酒を片っ端から飲んでいく。その光景に圧倒されながら、パメラは老婆に渡された料理を手に持った。カニチャーハンという言うらしい。


 いや、しかし。


 先ほどまで自分たちを襲い、この村の人たちを食べていた蟹である。食べるのか、それを……。


 戸惑いが無いと言えばウソだ。というより、食べられたはずの村の人たちの方が嬉々として蟹を食べている光景の方が恐ろしい。蟹という食材に馴染みが無いのもあるが、人を食べたばかりの魔物を食べる、というその感覚の方が薄気味悪く、食事に手を付けることをためらわせた。


「おや、どうしたんだい?」


「あ、いえ……」


 皿を渡してくれた老婆が不思議そうに首をかしげる。その手には、同じカニチャーハン。老婆はもぐもぐと咀嚼そしゃくし、特に何も思ってい無さそうである。


「あの……自分たちを襲ったり、町の人たちを食べた蟹を食すことに、嫌悪感とかは覚えないものなのでしょうか……?」


「えっ?」


 老婆の所作に違和感を覚えて、パメラは勇気を出して尋ねてみることにした。


「あっはっはっは。なんねぇ、そんなこと気にしちょったんか。お嬢さん。こんなところに住んでるとね……いや、この町に住んでなくても。どんな生き物だって、他の生き物や、人間を食べて生きているんだよ」


「は、はい……」


「あたしら人間だって、他の動物は殺して食っちょるし、無防備にしてたら他の動物に食われる。自然ってそういうもんさね」


「そういう、ものですか」


「そうさぁ。人間が食われたからって、そいつを食いたくないってのは贅沢すぎる話じゃないかい。食わなきゃ死ぬんじゃ。じゃあ、美味しく食った方が良か」


 老婆の言い分は、確かにそうなのだろう。何を言い返したところで、屋敷の中でぬくぬくと暮らし、与えられた物を食べて来た自分と違って、彼女は大自然の中で生き抜いてきたのだ。その言葉が、正しくないはずがない。


 だが、生理的な嫌悪感はまた別の話だ。


「それにさ、食えるのに殺してそのまま捨てる方が、よっぽど罰当たりさね。意味のない殺しに何の価値もないよ。食える奴を殺したなら、ちゃんと食べなきゃ」


「そういうもの、なのでしょうか……」


 これはハイマン独自の考え方なのだろうか。食べなきゃ勿体ない。老婆の言葉が、パメラにはピンと来なかった


「そうさ。命を粗末にしちゃいけないよ。食べられるところは食べて、使えるところは何かに使う。命を“頂く”っていうのはそういうこと。死者への敬意を払わなきゃいけない。それは人だけじゃないよ、あらゆる命全てに対してだ」


「命への、敬意……!?」


 それは意図せず、パメラ自身が“屍肉漁りハイエナ”のマッシュに向けて放った言葉だった。


 確かにパメラはマッシュに向かって言った。だがそれは、人に対してのものであった。死者の中に、仕留めた獲物は含まれていなかったことに、今初めて気づかされる。衝撃を受ける。自分は、倒された魔物や動物、これまで食べて来たものに対して、敬意を持っていなかった。その現実に、痛烈な痛みを覚えた。


「だから、うちの国じゃご飯を食べる前にこういうのさ。『いただきます』ってね。これはね、貴方の命を頂戴します、その命を無駄にしません。っていう意味なのさ」


「い、命を、いただきます……っ!?」


「そう。お嬢さんもやってみんしゃい。こうやって、手を合わせてね。頂きます」


 老婆のやった通りに、パメラも両の手のひらを合わせる。エルフの国の祈りのポーズと似ていて、でもどこか違う。


「い、いただき、ます……」


 命をもらうという覚悟。命を貰うという敬意。


 今、パメラの中で新しい概念が生まれた。試しに蟹肉の入った米をスプーンで掬い、口の中に入れる。


「お、美味しい……」


 言葉にならないほど、美味しかった。


 老婆は満足そうに頷くと、次々に来た客たちにカニチャーハンを振舞い、人々はそれに美味しいと満面の笑みを零した。その中にはハイマンだけではない。ビーストも、エルフも、色んな人が美味しいと口にしていた。その光景に、自分の視野がどれほど狭かったかを気づかされ、パメラは恥ずかしさ共に感謝の念を抱きながら、カニチャーハンをもう一杯、口の中に流し込んだ。



  パメラも食べる手を止められない。白く大きなスプーンのようなもので熱々のチャーハンをすくい、口の中に運んでいく。蟹の芳醇ほうじゅんな香りと、卵のふんわりとした、しかし強さを感じさせる味わいと匂い。米のパラパラ感も新鮮で、香りつけは醤油だろうか。複雑かつ強烈な旨味が口の中に爆発する。油っこいのにくどくない、不思議な感覚だ。そしてハイマンの辛口の酒を飲むと、油でいっぱいになった口の中がさっと洗われ、途端に爽やかな心地になる。


「おー、食べてるじゃない」


「クレバシ」


 一口、また一口とチャーハンを味わっていると、既に酒をかなり飲んで来たのか、顔を真っ赤にして足元はふらふら、顔はへらへら、手にはいくつもの酒を持ったクレバシが上機嫌に語り掛けて来た。言うまでもなく、酒臭い。


「あら~、お嬢様は庶民流の食べ方をご存じない~?」


「庶民流、ですか?」


「そうよー。良い? チャーハンはね、上品に食べるんじゃないのよ。こうやって」


 言いながらクレバシの入った杯をテーブルのあちこちに置くや、皿の上にチャーハンを盛ると、スプーンを手に、口の中に流し込むように掻っ込む。ガツガツと、彼女のクールな様子からは似つかわしくない、その乱暴で粗野そや、しかし旨そうな食いっぷりに、パメラは開いた口が塞がらなかった。


 そしてリスのように頬を米で膨らませると、もぐもぐと米を噛みながら、ハイマンの酒でぐびぐびと一気に流し込む。ぷはぁ! 気持ち良さそうに息を吐きながら、さらに赤くなった顔でニヤリと笑って、クレバシは肩を組んでくる。なんて迷惑な酒乱だろう。


「どう、わかった~? こんな野蛮人しかいないところで上品に食べる必要なんかないのよ。美味しく食べる、これ一番大事ね?」


「は、はぁ……」


「口の中いっぱいに旨味を広げるのよ。美味しいってわけ。それをお酒でごくー、これが庶民流なわけよ」


「はぁ……」


「ほら、あっち見てごらんなさいよ」


 そう言ってクレバシが指さした方向には、次々と料理に手を伸ばし、空になった皿を重ねていく灰色の頭が見える。


 チャーハンを食べながらスープを飲み、グラタンを食べながら蒸し焼きを頬張り、蟹の燻製くんせいに噛みつく。お酒を流し込んで口の中を空にしたら、次は塩焼きに手を伸ばして、反対の手でクリスピーらしきものを掴んで同時に味わっている。かと思えば、茶わん蒸しに手を付け、カニサラダで口の中をさっぱりさせ、シチューをスープのように飲み、パオズに被り付く。そして鍋に張った出汁に蟹の身を潜らせて火を通したら口の中に放り込み、さらに鍋の中の野菜を掬ってポンソースにつけてパクリ。そしてフルーツも合間合間に口の中に放り込んでいく。


 なんて、なんて幸せそうな顔で食べるんだろう。


 タヌライはこれ以上ないほど至福と言わんばかりに全身で幸せのオーラを放ち、満面の笑みで次々料理を食べ、周囲の皿を空っぽにしていく。それでも手は止まることなく、さらに料理を求めて、近くにある物をありったけ頬張っていく。


 その様子に周囲も驚いていたが、やがてあまりの食いっぷりの良さに、別のテーブルにあった料理を持ってきて、これも食え、あれも食えとタヌライの傍に置き、その度にタヌライは笑顔で「ありがとー!」と嬉しそうに応え、それを口にしてまた瞳を輝かせて美味しそうに食べるのだ。


「……あれはちょっと、庶民的にも食べ方が汚いけど」


「ああ、やっぱりそうなんですね……」


「でも、あれくらい食べることを楽しめばいいのよ。ここは貴族のパーティー会場じゃないんだから」


 そう言って、クレバシはさらに酒を飲み、また別の酒を飲み、ついでにここまでの短い会話の中でも既に五回は酒を飲み……ハイペースに色んな酒を飲みながら、恍惚の笑みで次々酒瓶を空けていく。


 クレバシはタヌライの食べ方が汚いというが、パメラから見たらクレバシの飲み方も同じレベルで汚いと、さすがに感じざるを得なかった。


 だが、それが庶民流。それが探索者テイカー流。


 今ここにあるものを全力で楽しみ、五感全て味わい尽くす。


 舌も、鼻も、目も、耳も、手も。全てを料理や酒を味わう食べに全力を尽くすことが、今ここにおけるマナーなのだと、パメラも何となく感じ取った。離れたところで熱心に食べ歩いているテットも、きっと同じことを感じたのだろう。屋敷にいれば厳しく注意されるような粗野な食べ方をしながら、彼も彼なりに今を楽しんでいる。


 ならば自分も目一杯味わうのが礼儀のはずだ。


 パメラは蟹のから揚げに被り付きながら、カリカリの衣と、スパイスと塩で味付けされた蟹肉を存分に堪能する。


「そうそう、そうやって恥も外聞がいぶんも捨てて楽しんだほうがいいわよ?」


 酒が入った杯を寄越すクレバシに、パメラも笑みを浮かべてその杯を受け取って流し込み、「そうですね」なんて返して見せる。口の中に料理が入ったまま、酒を流し込むなんて破廉恥な食べ方、きっと母が見たら卒倒するに違いない。


 カニの粥も優しい味わいだ。疲れた身体が暖かな粥によってほぐされていくような心地になる。その一方で、タヌライも食べていたクリスピーのような、金色の衣がついた物も手に取ってみる。


「これは何という料理ですか? クリスピーに似ているようですが、少し違いますね」


「ああ、それ天ぷらよ。天つゆか、塩で食べるのがベストね。えっと、天つゆ、天つゆ……あ、あった。ほら、これに浸して食べるのよ」


「どうも」と、茶褐色の液体が入った器を受け取る。熱々の出汁が入っているようだ。クレバシはこれに浸して食べろというので、衣のついた蟹を天つゆにつけ、口の中に入れてみた。


「……っ!」


 するとどうだ。少し湿りながらもサクッとした軽い歯ざわりの後には、出汁の強い味が口の中いっぱいに広がる。少し塩っ辛い。だが不快ではない。むしろ味つけがされていない淡泊な蟹にはこの強めの味の出汁がよく合う。


 何よりこの衣、さくさくとした歯ごたえはクリスピーよりもずっと軽い。思わず食べる手が止まらず、あっという間に一つを食べきってしまった。


「お、美味しい……っ!」


「うんうん、お口に合ったようね。はい、次は抹茶塩」


 次は緑の粉が混ざった塩だ。それを衣にちょいとつけると、ただの塩なのにこれまた美味い。天つゆの時と違って、衣のサクサク感が損なわれず、口の中で楽しい食感に浸れる。そしてふんわりと、そしてさりげなく感じるお茶の香り。塩辛さに反して、存外優しい味わいである。


「はい、大根おろしとおろしショウガ入りの天つゆ」


 そして再び天つゆにつける。大根の甘辛さが混じり、ショウガの清廉な爽やかさが一気に口の中に突き抜けた。そろそろ口の中がくどくなってきたところに、この清涼感は驚愕の一言! 衣が湿ることで、逆に食べやすい気さえしてくる。


「はい、もみじおろし追加」


 今度はピリ辛さが激烈に高まる! 口の中が火にあぶられたような辛さにびっくりして酒を飲みこんだが、その強烈な辛さがなぜか背筋をぞくりと快感が走り抜けた。これは、大根おろしと辛みの香辛料を混ぜたものか。いや、唐辛子だ。すりおろした唐辛子に違いない。辛いはずである。そして、辛いのに爽やかだ!


「ここらで味変、レモン汁」


 レモンを絞っただけの果汁がなぜこんなに美味いのだ。油っこい天ぷらに、レモンの果汁がこんなに似合うなんて思いもしなった。美味しいけど油っこさに口の中が疲れて来たと思ったら、レモンの酸味と爽快感がそれをかき消してしまった!


「じゃあ、またお塩ね」


 そして塩に立ち戻ることで、一層塩気を強く感じ、天ぷらの衣と塩の相性の良さを思い知らされる。


 単純ながら、一つの料理に対してこんなにもたくさんの食べ方があることにパメラは驚愕を覚える。恐るべし、天ぷら……!


 新たな味の扉を開いたパメラが感動に包まれ、町の人たちはそんなことなど露知らず、テーブルの上の料理を全部食い尽くさんとばかりに飲み、食い、歌い、笑って、宴会はまだまだ続いていくのであった。

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