第11話 血の洗礼

 薫風くんぷうが、肌を撫でた。


 風に乗って届く、微かな湿り気を帯びた青葉の匂いは瑞々みずみずしい土の香りを孕み、爽やかなそよ風となって一団を包む。


 夜明け前に入ったはずの塔の中には眩しいほどに輝く黄金の光が世界を抱き締め、その優しさを、匂いと風が届けてくれる。


「あ、あぁ……っ!」


 生きた大地が、ここにはあった。


 西の大陸、エルフの国。フランカから十年以上失われた、命が強く生きる大地が、ここにはあった。もはや郷愁きょうしゅうの想いの中にしか無かったあの日の光景が、匂いが、呼び覚まされ、思わずパメラは泣きじゃくりそうになってしまう。


 夜明けを待たずして号令が放たれ、順に馬車が塔へと入った。開かれた大門の先には目が痛くなるほどのまばゆく白い大きなフロアが。幾十本もの大理石の柱と、黄金の像の数々はそれだけで財宝に見えるが、誰もそれに手を付けた様は見られない。そこいらに腰掛け、絨毯じゅうたんを広げ、まるでバザーのように商品を並べたてる人々で溢れ返っている。


 そんなフロアの奥には巨大な赤と金の装飾そうしょくいろどられた門が鎮座ちんざしていた。一団はバザーには目もくれず、真っすぐに進む。タヌライとクレバシ、そしてテットと共に馬車の横に付きながらパメラが塔を潜った先の光景は、生命力に溢れた草原の地であったのだ。


「しっかりしなさい」


 呆気にとられていたパメラの肩を小突き、クレバシが先導する。我に返ったパメラも慌ててテットの手を引き、テットも正気に返った。無理もない。この地の匂いは、どこか故郷、アルテトの地と似ていたのだ。


「ね、姉さま……」


「惑わされてはダメよ、テット。ここは私たちの地ではないわ。私たちが取り戻すべき場所の追憶に、惑わされてはダメ」


「は、はい……!」


 それは自分自身にも言い聞かせるように、パメラはテットの手を引きながら、強く、言葉にする。


 それでも。


 嗚呼、それでも。


 この匂いが——優しい太陽と土と青草の匂いが、心をかき乱すのだ。


「パメラ、テット君」


 幻想の中にある故郷への想いを振り切ろうとしていると、タヌライが優しく声をかける。


「ここは安全だからね、肩の力を抜いてくれてもいいよ。でもね、一つだけ約束してほしいことがあるんだ」


「約束、ですか?」


「うん。絶対に、何があっても、この商隊キャラバンの列から離れちゃだめだよ」


「それだけは約束してほしいんだ」と、タヌライはにこやかに笑みを向ける。


 今、商隊の一団は大規模な行列を成して真っすぐに草原の中にある、踏み鳴らされて整備された、もはや街道にも思える場所を進んでいる。時折、辺りには人工物の石柱が建てられ、いくつもの布を巻かれている姿も見えた。


「タヌライ、あれは?」と尋ねると。


「あれはね、次の町への目印さ。等間隔で石柱が建てられてるでしょ? 最初の調査団がああやって目印を作りながら先に進むルートを作ってくれたんだ。巻かれてる布は、その時に参加してた調査団のものだよ」


 そう解説してくれる。


 目線を先の方へ向ければ、確かに石柱が道を指し示すように等間隔で並んでいるのが見えた。これを辿って行けば目的の町へと辿り着けるらしい。


「最初の町までは一週間ほど、でしたか?」


「うん。まあ、長めに見てそのくらいかな。特に何も起きなかったらもうちょっと早いかもね」


「何か起きるとは、具体的に何がだ?」


「えっ。うーん……魔物が襲ってくることはまずないと思うから、例えばどこかの馬車の車輪が壊れたりとか」


「馬車の車輪が壊れると、そいつらはどうなる?」


「その場合は予備の車輪に切り替えるまでみんなで止まるよ。基本的にはみんなお金を払ってこの商隊に参加してるからね、置いてけぼりにはしないんだ。もしなかったら、有料で他の人が譲るかな」


「随分と手厚い保護だな」


「まあね。あとはまぁ、無いとは思うけど、誰かが馬車の列からはみ出したりしたら大変なことになっちゃうなー。なーんて」


 あははは、と笑うタヌライの横をまさに今、車輪が回る大きな音を立てて小さな馬車が追い越して行った。


 あ、とパメラが零した時には全速力で馬を走らせた一台の馬車は、馬車の列を大きくはみ出し、踏み鳴らされていない草原を強引に突っ切ってさらに先の石柱を目指す。


「こんなトロトロ走ってられっか! 俺たちが先に着けば高値で売れるんだ!」


 そんな言葉を吐き捨てながら爆走する数人の男たちを見つめていると「た、大変だ……!」とタヌライが慌てた様子で「全員、戦闘態勢に入って!」と大きな声を上げ、同行していた護衛たちも急いで武器を抜き放つ。


「クレバシ!」


「もう無理よ」


 タヌライの声に、しかしクレバシは呆れ気味に返すだけだ。状況が読めないパメラとテットは呆けながらその光景を見ていたが、すぐに理由が分かった。


 どこからか現れた狼のような魔物たちが大軍で押し寄せ、あっという間に列から離れた馬車を襲った。馬を食い千切り、喉を食い破り、爪は帆を破った。護衛についていた二人の男は防戦しようとするも次々と襲い来る獣を爪と牙を前に成すすべもなく、絶叫をわずかばかり残すばかりで、あっという間に血の中に沈む。


 その光景に思わず声を失ったパメラとテットだが、恐ろしいのはそれだけではない。


 魔犬たちが死肉をむさぼっていると、今度はそれよりも体躯たいくの大きい獅子のような獣の群れが飛び出し、魔犬たちを食い千切っていく。それに対し魔犬たちも抵抗を試みるが、多くはあっさりと爪に切り裂かれ、噛みつかれ、投げ捨てられ、あっという間に死屍累々ししるいるいといった様子が繰り広げられた。


 だが、そんな魔獣の群れは一瞬で姿を消す。とてつもない騒音と共に地面が揺れ、自身かと思った瞬間、大地が轟音を立てて割れた。そこから飛び出したアンコウにも似た巨大な魚が地面から飛び出し、獣も、馬車の残骸ざんがいも、何もかもを飲み込んだ。


 巨大魚が宙を舞った一瞬で、その体が真っ二つになった。どこからか飛翔した大きなくちばしを持つ、鷹のような魔物が巨大魚を貫き、さらに落下するその身体の下半身を爪で掴み、奪い去っていったのだ。


 巨大魚の頭は地面に叩きつけられるや、血と肉片と砂塵さじんをまき散らして辺り一帯に大地震を起こす。砂を巻き上げた暴風が馬車の一団を襲い、あわやこれまでかと思われたその瞬間、クレバシが片手をかざした。すると淡い光の壁が、長い長い馬車の列を——遥か先から塔に入ったばかりまでの全てを——砂塵の大津波から守る。


 煙が晴れ、ようやく混乱は終わったのかとパメラは興奮にはやる呼吸を落ち着けながら、砂の嵐が収まるのを待った。


「パメラ! テット君! 二人とも、構えて!」


 しかしタヌライはまだ落ち着くなとげきを飛ばす。その隣ではクレバシも両手を広げていた。既にクレバシの全身を魔力が包んでいるのが判る。重く、冷たく、グラグラと視界が歪みそうになるほど、濃い魔力。クレバシもまた、とてつもない魔法使いなのだと、直感的に理解できた。


 何が起きるのかと身構えていると、巨大魚の頭を狙って幾百、あるいはそれ以上の魔物の大軍がどこからともなく、四方八方から現れて飛び掛かっていった。数え切れぬほどの、種類さえバラバラな魔物たちが、巨大な死骸しがいに群がる。巨大魚の頭は骨と肉をむき出しに血を流し、獲物を貪り喰らおうと、獣たちが肉を食い破り、その群がる獣たちをさらに喰らおうと、別の魔物が牙を、爪を、突き立てる。


 そのグロテスクな光景はまるでこの世の終わりかのようだ。


「来るぞおおぉぉぉっ!!」


 耳をつんざくほどの大声を、タヌライが上げた。


 その瞬間にはもう魔物たちがこちらを新たなターゲットとして目掛け、走り出している。それを迎え撃とうとタヌライが誰よりも速く速く飛び出し、さらに護衛隊たちも後に続いた。


「おおおおぉぉぉっ!!」


 裂帛れっぱくの気合と共にタヌライが斧を薙ぎ払えば、飛びかかって来た魔物の波が、タヌライの放つ衝撃で撃ち返され、次々と身体を真っ二つにさせて吹き飛ぶ。それでもタヌライを乗り越えた魔物たちは、護衛隊が迎え撃った。剣が、槍が、斧が、魔法が、次々と襲い掛かる魔物の群れを打ち払い、その奥、魔物たちがまだまだ押し寄せる先でタヌライは風よりも迅く、彼女が斧を振るう度、瞬きする度、数十という魔物が一瞬にしてバラバラに消し飛んでいく。


 血と肉と骨がぶち撒けられる戦場の中にあって、彼女は誰よりも力強く、素早く、たくましく、その動きは華麗でさえあった。


 フードが外れ、灰色の髪が血風の中で踊る。巨大な鉄塊が暴れ回る度に、黒鉄くろがねの斧が陽の光を反射して、瞳の蒼の中に太陽が昇った。


 他の護衛隊が五、十と首を跳ねている間に、タヌライはその十倍以上は仕留めている。まるで血と刃の竜巻だ。恐ろしく無駄のない、一瞬の体捌きだけで効率的に仕留めている。まるで動きが読めているかのように、最小の動きで全ての攻撃を回避し、かすめ、一切の遠慮なく力の限り斧を振り回せば、群がる周囲の魔物たちはズタズタに切り裂かれていく。


 これが本来のタヌライの実力。


 外の街にいた時はどれだけ制御していたのだろう。下手に本気でやれば周りを巻き込むことになるから、タヌライは街で本当の力を発揮することが出来なかったに違いない。しかし塔の中にいる今、建物はなく、そして自分から離れて魔物の波の中心に立つことで、誰にも気兼ねなく、本当の力を発揮しているのだ。


 たった一人で、魔物の津波を一人でき止めるほどの実力が、本来のタヌライ。


「ぼさっとしてるんじゃないわよ」


 クレバシに背中を叩かれて、パメラはハッとする。遠くに見えるタヌライの戦う姿に見惚みとれていたがとれていたが、魔物たちは群れを成して馬車を襲ってきているのだ。近づいてきた獣たちはクレバシのバリアで弾かれ、燃え尽きていくが、数が多すぎる。


「言っとくけど、あたしバリア系の魔法ってそんな得意じゃないから、ぼさーっと見てたらすぐ効果なくなるわよ」


 これほどの効果を持ち、さらにこんな長蛇の列の馬車を守っておいて、得意じゃないとは恐れ入る。


 パメラは矢筒から矢を抜き、弓を構え、矢じりに弦を当てて引き、狙いをつける。大地を疾駆しっくし、牙を剥く魔物。微かに足に力が籠る。跳ねる気だ。もう少し引きつけ——今だ!


 パメラは矢を放つ。真っすぐ飛んだ矢は、まさに今、跳躍し、最大地点にまで跳ねた獣の口を射貫いて、大地に落とした。撃ち落とされた獣はたちまち走り抜ける魔物たちに踏み砕かれ、絶命する。


「よし……っ!」


 次々に矢をつがえながら、前方で応戦する護衛隊の後ろから魔物を射貫き、パメラも援護射撃を撃つ。


「オ、オレだって……!」


 姉の戦果を見て飛び出そうとするテットをしかし、首根っこを掴んで静止させたのはクレバシだ。


「な、なにをする!」


「あんたが前に行って何できるのよ。あそこは戦い慣れてる人たちに任せて、あんたはマルドーン協会の馬車にまで迫ってきたら盾になりなさい」


 と、クレバシは言うが、実際あの護衛隊のバリケードを飛び越えて襲ってくる僅かな魔物たちはと言えば、クレバシがちょいと指を捻るだけで飛び出す岩の槍に串刺しにされ、一瞬で絶命している。


 つまるところ、役立たずだから見ていろ、とクレバシは暗に言っているのだ。


「おい、あねさん! このまま逃げなくて大丈夫なのか!?」


 手綱たづなを握る馬車の荷主が、不安そうにクレバシに言う。抜け駆けした馬車を狙って大量の魔物が姿を現した際に、馬たちは怯え、混乱に陥って走りだそうとしていたが、バリアを張ると同時に魔法で強制的に落ち着かせたのだ。今はどの馬車も動き出す様子は見せない。けん引する馬や牛や魔物たちが動かないのだ。


「ええ、問題ないわ。むしろ下手に動かれると魔物の動きが散って面倒になるから、大人しくしてなさい」


 淡々と答えながらクレバシは魔物たちを適切に処理していく。これだけの大規模なバリアを維持しながら、さらに別で攻撃魔法を次々と使うそのでたらめさは、きっと魔法を使う者にしか理解できない感覚だろう。


 こんな彼女でも、未だ聖冠グランド・クラウンには遠いという事実に、恐ろしくなる。


「うーん……」


「く、クレバシ……?」


 そんな彼女が、あごに手を当てながら、パメラの射撃を見ている。よそ見をする余裕はあるようで、数体の魔物が飛んできても即座にクレバシの魔法で命を落としていく様は怖い。


 じーっとパメラが遠くの得物相手に矢を撃ち続ける姿勢を見ているクレバシの眼は不満そうだ。はぁ、っと大きな溜め息を吐きながら、帽子越しに頭を掻く。


「パメラ。あんたのその撃ち方じゃこの先……どころか、もう通用しないわよ?」


「え?」と答える間もなく、クレバシはパメラの傍に来ると弓を奪い取り、少しばかり引き心地を確認すると「こんなもんか」と納得。


「あ、あの、クレバシ……?」


「弓なんて使うの久しぶりねぇ。ここに来た時ばっかりの頃くらいかしら。見てなさい」


 そう言ってクレバシはバリアの外に出る。追いかけようとしたが「あんたはそこにいなさいよね」と、トコトコとゆっくり歩いていく。まるで散歩にでも出るようだ。矢筒どころか、矢の一本も持たずに。


「おいクレバシ、何をするつもりだ」


「何って、手本を見せるのよ」


「おい、後ろ!」


 テットが声をかけて振り向いた刹那、まさに今、獣が牙を剥いてクレバシに襲い掛かった。


 無防備で、無警戒で、無策な女。


 あっけからんとした表情で振り向いて、まるで戦の最中とさえ思えないほどに能天気な顔をした女を、獣の牙が襲う——はずであった。


 獣の顔が弓と弦の間に挟まり、その勢いのまま止まることがままならない。鋭い弦は獣の皮を、肉を、骨を断ち切り、鮮血を噴き出して地面へと転がっていく。


 血のシャワーを軽やかなステップでかわしたクレバシは、一言。


「ま、見てなさいな。パメラ、あんたにはこれくらいやってもらうつもりだから」


 さらに襲い来る獣たちを、クレバシが振り返ると同時に顔面を射貫く。青白い矢。物理的な矢ではない、魔法の矢マジックアローだ。


 獣の死体が大地に落ちるよりも速く、クレバシは飛び出した。弓に矢を番えながら撃ち、襲い来る爪を、牙を、魔法のブレスを踊るように避けながら、ダンスのステップでも踏むように、次々と矢を放ち、的確に急所だけを射貫いていく。


 跳んで、撃って、走って、撃って、躱して、撃って、すり抜けて、撃って、撃って、撃って、撃って、撃ち続ける。


 一度弦を放つだけで、五体も十体も魔物が一度に倒れ伏していく。遥か遠くから回り込んで馬車を襲おうとする魔物ですら、バリアに到着するよりもずっと前にクレバシに撃ち落とされていく。空を飛ぼうが関係ない、そこはクレバシの独壇場どくだんじょうだ。


 回りながら、走りながら、飛びながら、あらゆる動きが全て攻撃に繋がる。全ての回避行動が攻撃に繋がっていく。タヌライの豪快な戦技とは違う、洗練された華麗な技術。


 何よりも一切の動きを止めることなく、瞬時に射貫いていく素早さは、息を呑むのもであった。


 灰色の髪を振り乱し、流麗に、苛烈に、壮絶に、凄烈に、矢の嵐を放ち続ける。


 いつ弓を引き、いつ矢を放っているのかさえ見えないほどの連続高速射撃。


 たった一人で数百の弓兵部隊にも匹敵するほどの射撃術だ。


 クレバシはそのまま護衛隊を飛び越えていった。空から飛ぶように撃ち抜き、着地前にも撃ち抜き、着地と同時に撃ち抜き、走り出すと同時に撃ち抜く。


 クレバシの矢が止まらない。圧倒的な速射は一切の接近を許さず、またたく間に敵を無力化していく。


 やがて後方の魔物たちを討伐しきったタヌライも駆けつけ、二人の姉妹による本格的な殲滅戦せんめつせんは、ものの数分で終わりを告げた。


 タヌライの強さに度肝を抜かれたが、クレバシの強さも、パメラの想像の遥か上を行っていた。


 “灰の姉妹”とはどちらかが凄いのではない。


 どちらも凄いから、あの二人が“灰の姉妹”と呼ばれたのだと、今はっきり理解できた。


       〇


「こいつらをしょっ引け!!!」


 蘇生術で復活させられた商人と二人の護衛隊たちは、目を覚ますとガタガタと怯えていたが、そんなことは関係なく、今回の商隊を率いる代表者に何度もげん骨を食らい、護衛隊の中から彼らを護送するためのチームが作られ、契約違反として街に連れ戻されることになった。クレバシ曰く、二度と塔に挑む権利を失くしただろう、ということだ。


「まぁ、被害を諸々考えれば三百年は牢屋暮らしかしらねぇ」


「そ、そんなに……そこまでしなくても……」


「あのねぇ。今回はあたしとタヌライがいたから被害が最小限で済んだけど、もしあたしたちがいなかったら、三割くらいは被害が出てたわよ」


 三割。


 言葉にすると呆気なさそうだが、この規模の三割だ、想像するとどれほどの大損害か、口にするまでもないだろう。パメラも、それ以上何も言えなくなってしまう。投げて返された弓を受け取り、パメラは口をつぐんだ。


「列を離れちゃダメって言うのは、こういう理由だよ」


 トコトコと無傷で帰って来たタヌライは、手拭いで返り血を拭いながら、重々しく言う。


「パメラは、小魚がどうやって生きてるか、知ってる?」


「……いいえ」


「群れをつくるんだ。大きな群れを作ったら、それが大きな魚だと思われて、そうそう襲われることはない。ボクたちも同じだよ。これだけ大きな規模を作っているのは、不用意に襲われないためだ。これだけ長く、大きな群れを作っていたら、凶暴なドラゴンだって怯えて近づいて来ないよ」


 でもね、とタヌライは続ける。


「少しでもこの列から離れたら、今見た通りにあっという間に食べられちゃう。そうすると、そいつを狙った別のモンスターが出てきて、また次も出てきて……って、あとはさっき見た通りさ。興奮したモンスターたちは、臆病な心も忘れてこっちに飛び掛かって来るってわけ」


「タヌライが言っていた言葉の意味、よく理解できました」


 百聞は一見に如かずとは、まさにこのことだろう。


 貴重な体験をすることで、パメラとテットにはどれほど危険な行為であったかは、痛いほど理解できた。そして——。


「だからテット君、君もそんなに悔しがらなくていいよ。本当ならする必要のない戦闘だったんだから」


「う、うるさい……オレをあわれむな!」


 この戦いの中、何もするなと言われ、バリアの中で戦いを見守ることしか出来なかったテットはプライドを傷つけられ、悔しさに歯噛みをしていたことを、タヌライは優しく励ました。


「仕方ないでしょ、あんた何もできないんだし。飛び掛かってくる魔物相手にちゃんと剣振れたって、自分で思う?」


「く、クレバシ……! 言い方ってものが……」


「うるさい、わかっている!」


 庇おうとするタヌライの言葉を打ち消して、テットは弱々しく零した。


「わかっているさ……半端に剣を振っても空ぶって、オレが食われていたことくらい……」


「テット……」


「ならよろしい。未熟を痛感することも、失敗することも学びよ。不貞腐れるだけじゃなく、それを学びに替えられたなら、少しはマシな男になるわ」


 馬車が動き出した。


 クレバシはそれ以上テットに興味を示すことも無く歩き出し、パメラもテットの手を引いて、馬車に続く。


 テットが顔を伏せるので、パメラは先に進むタヌライとクレバシに目を向けた。男が涙を流すことを恥だと思うことくらい、パメラにだってわかっている。


 それに、パメラだって悔しかったのだ。クレバシの弓術。あれほどの体捌きを見せられて、自分が如何ほどに未熟か、思い知らされて。


「……これが、塔の第一層」


 魔物の死骸で満ちる丘。優しさに満ちていた風は今や冷たささえ感じるほどに冷酷で、この世界がどれほど過酷かを、風に乗る血と鉄の臭いが教えてくれる。馬車が動く少し横には、幾千もの魔物死骸と、それを鮮血に染める血の海が広がっているのだ。


 パメラの挑戦はまだ始まったばかりだ。


 だが、それ故に、この挑戦が如何に困難であるかという現実を、まざまざと見せつけられたのである。

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