【BL】半分

一色あかり

第1話_葉山(1)

 上司だと紹介された男性は、なぜだか、思わせぶりに笑った。


 五月半ばの朝、ところどころに流れる薄い雲は少しの影も落とさず、オフィスの窓側ではまぶしい光の粒に目を奪われた。

 葉山はやまは、およそ一ヶ月間の集合研修を終え、人事担当に連れられて配属先のチームに足を運んだ。窓際の席でモニタを眺める男性の前に誘導される。

 男性のデスクは外からの日差しを強く受け、ハレーションを起こしたようなまぶしさに満ちていた。

 人事担当が新入社員として葉山を紹介すると、男性はゆるやかな動作で立ち上がる。細身のようだが上背があり、葉山は小柄な自分との身長差に目を奪われた。上司だと紹介されたが、思いのほか若そうな輪郭をしている。

「チームリーダーの村瀬むらせです、」

 落ち着いた、穏やかな声質で話す人だ。

 声の響きにとらわれていると、村瀬がわずかに目を細めて葉山の視線を捉えた。微笑むというよりも、何かを探すときのような細部を確認する目つきに感じられた。そんな目つきをしている瞳は切れ長で大きく、目尻の睫毛がとりわけ長い。

「よろしくね、」

 葉山は自らの挨拶のほうが遅れたことに気づき、早口で名乗って挨拶の言葉を口にした。村瀬はわずかに口角を上げて、愛想に気を配ったような顔つきをする。明らかに余裕を感じさせる場になじんだ彼の雰囲気に、葉山は少し気後れした。表立ってコミュニケーションを取れるような素養のある人間には、近寄りがたさを感じてしまう。

 聡明そうな上司の前でよそ行きの表情を保つよう努めていると、村瀬は葉山の足元に視線を落とし、ふたたびその視線を上げて、いたずらめいた含みのある笑みを浮かべた。どこか思わせぶりのように感じられ、葉山はこれまでの研修のなかで村瀬との交流があったのだろうかと記憶を辿ったが、思い当たることが無い。

 葉山が戸惑って村瀬の顔から目を離せずにいると、村瀬はすぐに表情を戻してチームメンバーの紹介を続ける。

「こちらは先輩の石丸いしまるさん。しばらくは葉山くんの指導係として業務をサポートしてくれます。石丸、いじめるなよ、」

「いじめませんよぅ。たぶん私、すごく良い先輩としてやっていけるはずだから。葉山くん、こっちにおいで、」

 石丸、と紹介された女性は、早くもデスクに向かって踵を返した。木の実のような艷やかな茶色のショートカットにゆるく大きめのパーカーとスニーカーを身に着けた、活発な少女のような出で立ちである。しかし、彼女のデスクは数冊の技術書が並べられただけの整然とした様子で、日頃の自立した仕事ぶりを想像させるものだった。


 葉山が配属されたのは自社開発システムのインフラ構築を担当するチームだった。比較的小規模なチームで、メンバーはマネージャーの村瀬、若手の石丸と、石丸よりいくつか先輩の佐伯さえきという男性社員のみ。下流工程の一部の業務はパートナー企業の人員に委託し、管理しているという。

 石丸の明るさと佐伯の穏やかさが場の空気を和ませ、わずかな緊張感をもって村瀬が全体を取りまとめている。葉山は、ひとまずは自分でも身を置けそうなチームのようだと安堵した。


 デスクや備品についての説明を簡単に受けた後、石丸によってチームの業務内容や役割分担についての説明が始まった。村瀬、佐伯、石丸の役割と分担する業務のあらましが伝えられる。葉山はパソコンで開いたテキストファイルへ懸命にメモを打ち込みながらも、"村瀬"という単語が出るたびに自分の指がかすかに止まるような心地がしていた。時折、先程のいたずらめいた笑みが頭をよぎりタイプミスをする。何が気に掛かっているのか自分の感情をとらえることができないまま、石丸から与えられる多くの新しい情報をメモし、整理してゆく。


 少し休憩しようね、と言って石丸が離席した際に、葉山は横目で村瀬の姿を捉えてみる。モニタ越しに見え隠れする村瀬は、薄いグレーのシャツのボタンを几帳面に一番上まで止め、同系色の細身のカーディガンを重ねて着ている。表情を観察しようとしたところ、村瀬は立ち上がって窓側に身体を向け、ブラインドを最下部まで下げた。その後ろ姿に着丈の長いカーディガンのゆるやかさが目立つ。裾が脚の付け根あたりまで掛かっているのにも関わらず、ひときわ目を引くようなかたちの良い長い脚をしていた。

 村瀬が再び振り返ったため、葉山は顔を背けた。

「葉山、」

 自分のモニタに視線を戻したばかりの頃合いで村瀬から声をかけられ、葉山は反射的に肩をすくめて顔を上げた。はい、と短く返事をするが、思いのほか小さな声しか出なかった。ひとつ奥のデスクの村瀬は、頬杖をついて顔を傾け、特に表情もつくらず葉山の方を凝視している。

「……なんでもない、」

 村瀬は真顔のまま頬杖をつくのをやめて、自身のモニタに視線を戻した。


 ほどなくして石丸が戻り、はつらつとした口調でレクチャーを再開する。石丸の歯切れの良い説明を受けながらも、葉山はかすかに散漫となり、石丸の声に集中するよう努めて意識した。

 穏やかな村瀬の声が、はじめて自分の名前を呼んだ。

 それだけのことが、妙に心に留まっている。

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