第二章:鏡像の行方
パイドンの敗北がもたらした重い沈黙を破ったのは、ソクラテス自身だった。
「……パイドンの試みは、我々が立っている荒野の不毛さを教えてくれた。しかし、荒野に立ち尽くしていても、都市は建たない」ソクラテスは、弟子たち一人一人の顔を見渡し、静かに、しかし力強く語り始めた。「私も、一つの同性愛の理想像を、長らく胸のうちで温めてきた。今こそ、それを諸君の吟味に晒す時だろう」
その言葉に、弟子たちの顔が上がる。師が、自ら規範を提示する。牢獄の空気が、再び緊張と期待に満ちた。
「私が提唱する規範の名は『鏡としての他者』。それは、男同士の関係とは、相手を自己の魂を映し出す『鏡』とする営みである、という考えだ。一般的な自己心理学における『他者を鏡として自己を知る』という考え方を、男性同性愛という文脈に応用したものである。異性愛が『異なる性』との間に『補完』や『調和』を求めるのに対し、我々の愛は、『同じ性』の相手との間に、魂の『反響』と『対峙』を生み出す。その価値の核心は、相手という鏡を通して、自分自身の『男らしさ』とは何か、社会から与えられた役割とは何か、そして個としての本質とは何かを、根源から見つめ直すことにある。この強烈な自己発見と、それに伴う魂の変容のプロセスそのものに、何にも代えがたい価値があると、私は考える」
その言葉を聞き、弟子たちは思わず唸った。なんとソクラテスらしい規範だろうか。恋人という他者を、自分自身を深く知るための『鏡』と見なすこの考え方は、師が座右の銘とする『汝自身を知れ』という言葉を、濃密な人間関係の中で実践しようとする試みに他ならない。さらに、関係の目的を快楽や安らぎだけでなく、『魂の変容』に置くことで、恋愛そのものを『魂への配慮』という哲学的な営みへと昇華させている。この規範は、ソクラテスの哲学の核心と、見事に響き合っていたのだ。
希望の光が差し込んだかのように見えた、その時。再び、シミアスが静かに立ち上がった。その目は、師への敬愛と、しかし真理の前では一切の妥協を許さないという、冷徹な光をたたえていた。牢獄の空気は、一瞬にして引き締まる。誰もが固唾を飲んで見守っていた。ソクラテスという、アテナイ最強の論客。そして、その師の論駁の技術を最も深く受け継いだ、若き無敗の哲学者。新旧の王による、真理を賭けた一騎打ちが、今、始まろうとしていた。
「師よ、その規範は、あなたの哲学の結晶のようです。」シミアスの声は、あくまで冷静だった。「『鏡としての他者』においては、性別が同じであること、すなわち『同質性』が価値の源泉となっているようにお見受けします。我々が鏡として同性を求めるのは、おそらく、同質性が高い方が相互理解に必要な認知コストが低く、心が通じやすいからでしょう。しかし、それは我々が定めた第二の条件『価値の提供』を、本当に満たしていると言えるのでしょうか?」
シミアスは、一呼吸おいて続けた。
「この規範には、負担を減少させる側面と、利益を減少させる側面の両方があります。相互理解が容易だと言っても、それは支払う対価が少ないということに過ぎません。ある品物が半額に値引きされていたとして、その品質が粗悪になっていたのでは、何の得もない。同質的な者たちが容易に理解し合えるのは当然のことであり、そこに特別な価値はありません。むしろ、大きな差異を持つ者たちが、困難を乗り越えて理解し合うからこそ、その関係からは、予期せぬ発見がもたらされる。そうではありませんか?」
「鋭い指摘だ、シミアス」ソクラテスは満足げに頷いた。「だが、君は少し誤解しているようだ。『鏡としての他者』において、同質性による相互理解の容易さは、目的ではなく、あくまで手段に過ぎない。考えてもみよ。相手への理解がなければ、その鏡は曇り、歪んでしまうだろう。歪んだ鏡に映るのは、互いの真の姿ではなく、自分自身の思い込みや偏見の『投影』でしかない。相互理解という手段によって初めて鏡は磨かれ、曇りのない『完璧な鏡像関係』という目的が達成されるのだ。そして、そのクリアな鏡に映る自分と向き合うことこそが、真の価値なのだ」
「その『完璧な鏡像関係』こそが、極めて危ういと私は考えます」シミアスは、間髪入れずに反論した。「同質的な者たちの鏡像関係は、自己理解を深めるどころか、かえって歪めてしまう危険を孕んでいます。分かりやすい例が、街角の広場での会話です。似たような意見の者たちが集まれば、その声は互いに反響し合い(エコーチェンバー現象)、些細な偏見が正されることなく、やがては酷い差別心へと変貌していく。同質的な者たちの対話は、結局のところ自問自答に近く、思考の袋小路に人を追いやるのです。自己を真に理解するには、多角的な視点が不可欠です。異質な他者との出会いこそが、新たな視点を与え、自己の新たな側面を発見させてくれる。以上から、あなたの規範『鏡としての他者』は、第二の条件『価値の提供』を満たしていないと結論します」
シミアスの論理は、非の打ち所がなく見えた。弟子たちの間に、再び失望の空気が流れ始める。だが、ソクラテスは、まるで待っていたかのように、静かに笑みを浮かべた。
「シミアス、君は『鏡』というものを、あまりに素朴な『同質性を映すだけの平面鏡』として捉えているようだな。私が提唱する『鏡』とは、そのような単純なものではない」
ソクラテスは、その目を細め、言葉に一層の力を込めた。
「君の批判の核心は、『同質性は自己理解を歪める』という点にある。全くもってその通りだ。もし私の規範が、完全な同質性を求め、差異を排除するものであるならば、それは有害でさえあるだろう。しかし、この規範の本質はそこにはない。『鏡としての他者』の真の価値は、『自分と似ている』という安心感にあるのではなく、むしろ、『自分と似ているはずなのに、決定的に違う』という、驚きと発見にこそあるのだ」
ソクラテスは、ゆっくりとかみ砕くように説明を続けた。
「異性愛において、相手との間に存在する無数の差異は、『性差』という、便利で巨大なブラックボックスに吸収されがちだ。『彼女は女性だから、そう感じるのだろう』『彼は男性だから、そういう行動をとるのだろう』と。こうして、相手の個性を『性』という属性に還元し、深いレベルでの自他の対峙を回避できてしまう。
一方で、我々の関係においては、その『性差』という言い訳が一切通用しない。同じ『男』として生まれ、社会から似たような『男らしさ』を期待され、似たような身体構造を持つ。この強固な『類似性』という土台があるからこそ、そこに立ち現れる個人の価値観、感性、思想の『差異』が、無視できないほど先鋭的に、そして極めてクリアに浮かび上がってくるのだ。『同じ男なのに、なぜ彼はそう考え、自分はこう考えるのか?』『同じ身体を持ちながら、なぜ彼はそれを喜びと感じ、自分はそう感じないのか?』
この問いは、似た者同士が傷を舐め合う行為(エコーチェンバー現象)とは真逆の働きをする。むしろ、『類似性』を基準線とすることで、自己と他者の『差異』を最も正確に測定し、その意味を深く考察させるための、いわば精密な測定装置として機能するのだ。
したがって、私が提唱する『鏡』とは、自分とそっくりなものを映して悦に入るためのナルシシズムの道具ではない。それは、『同性』という共通項を持つ他者を通して、自分がいかにユニークな存在であるかを知るための、最も痛烈で、しかし最も誠実な『自己発見の道具』なのだ。このプロセスがもたらす『魂の変容』は、同質性による安易な相互理解とは比較にならない、極めて希少で偉大な価値を提供する。そして、この価値は『同性であること』を不可欠の前提とする。この反論をもってすれば、君の鋭い批判にも耐えうるのではないかな?」
ソクラテスの反論は、見事だった。シミアスの批判の前提そのものを覆し、規範をより深く、強固なものへと昇華させてみせたのだ。弟子たちの顔に、再び光明が差した。しかし、シミアスは少しも揺らいでいなかった。
「なるほど。『同性』という類似性を土台に、互いの差異をこそ映し出す、と。それは、『差異』が価値の源泉になる、という考えに立脚しており、見事にエコーチェンバーの危険を回避しています。第二条件の『価値の提供』を満たしていることを認めます。ですがソクラテス、そのように『性別』だけを特権化する理由はどこにあるのですか? たとえば、『彼は世代が違うから、そう感じるのだろう』『彼は貴族の生まれだから、そういう行動をとるのだろう』というように、相手の個性を『年齢差』や『階級』といった他の属性に還元し、分かった気になることも可能ではありませんか? なぜ『性別』という属性だけが、他の無数の属性よりも、決定的な地位を占めるのですか? もし『同性』以外の属性でも類似性の土台になるのであれば、この規範は異性愛にも開かれたものとなり第一の条件『同性の必然性』を満たせなくなるのではありませんか?」
「良い質問だ、シミアス君」ソクラテスは頷いた。
「我々があらゆる属性を『相手のことを分かった気になる』ための言い訳に使う、その点では同列に見えるかもしれん。しかし、『性別』には、他の属性とは決定的に異なる、二つの根源性がある。
第一に、抗いがたい『身体性』だ。年齢や職業は、我々の身体の基本構造を規定しない。だが『性別』は、解剖学的な構造、ホルモンの働き、そして生殖機能という、変更困難な身体の事実と分かちがたく結びついている。我々の『鏡』とは、観念の鏡である以前に、まず『身体という鏡』なのだ。
第二に、自己認識における『原初性』だ。我々は物心ついた時から、『男の子だから』という形で、自己認識の最も深い核に『性別』を埋め込まれる。『自分は何々世代だ』という認識は、それより後天的で表層的だ。
この『身体性』と『原初性』により、『性別』は他の属性とは質的に異なる特権的な地位を占める。だからこそ、『同性』という鏡は、他のどの鏡よりも深く、我々の魂を映し出すのだ」
ソクラテスの答えは、明快だった。だが、シミアスは、その論理の僅かな隙間を見逃さなかった。
「ソクラテス、『性別』が最も重要な差異であることを認めます。その上で、私の根本的な疑問は消えません。人間が、相手を理解する認知コストを下げたい、不可解なものを減らして安心したい、と願う限り、『分かった気になる』ための言い訳探しは終わらないのではないでしょうか?」
シミアスは、ソクラテスを真っ直ぐに見据え、渾身の一撃を放つかのように、言葉を続けた。
「あなたは、同性の関係では『性差』という言い訳が使えないと言った。しかし、言い訳をしたいという心がある限り、人は『性別の次に重要な差異』、たとえば世代差などを持ち出してきて、それを言い訳に使うでしょう。結局、相手を真に理解しようとする『意志』がなければ、同性愛も異性愛も大して変わらない。そして、もし意志の力が同じだとすれば、初めから実際の差異が大きい異性愛の方が、価値の源泉たる『差異』を、より有利に活用できることになりませんか?」
「……まさしく、その通りだ」ソクラテスは、シミアスの言葉を、一語一語噛みしめるように繰り返した。「君の指摘から、目を背けることはできまい。人間性の弱さ、そして意志の重要性は、君のおっしゃる通りなのだ。しかし、それでもなお、私は同性愛の関係性には、『意志を持たざるを得ない状況へと人を追い込む力』があると考える」
「と、おっしゃいますと?」
「人間が使う言い訳には、抗いがたい力の序列、いわば『格』があるからだ。『性別』は、身体性と原初性に根差した、極めて強力な『第一級の言い訳』だ。人生において出会う広範な差異を『まあ、男だから/女だから』で思考停止に追い込む、万能の切り札だ。異性愛には、常にこのカードが手元にある。だが、我々の関係には、この最強のカードが最初から存在しない。もちろん、『第二級、第三級の言い訳』を使おうとはするだろう。しかし、それらは脆弱で、すぐに使い果たしてしまう。言い訳のカードが尽きた時、そこには、どの属性にも還元できない『剥き出しの個としての差異』が、否応なく立ち現れる。異性愛よりも頻繁に、そしてより不可避的に、その瞬間に直面せざるを得ないのだ。その逃げ場のない状況こそが、個人の『意志』を強く喚起するのではないかね? 価値は『差異の絶対量』ではなく『一つ一つの差異と、いかに誠実に向き合うか』、すなわち『差異の解像度』にあるのだから」
ソクラテスは、精緻な論理で砦を築いた。だが、シミアスは、その砦を根底から崩す、恐るべき槌を振り下ろした。
「ソクラテス、私は、言い訳のカードは尽きることがない、と考えます。そもそも、科学的な分析によれば、『性差』よりも『個人差』の方が大きい。つまり、『性差』を万能の切り札にすること自体が、すでに『本当は還元できない差異を、無理やり還元している』という、非合理な行為なのです。その非合理な行為が許されるなら、『第二級、第三級の言い訳』で同じことをするのも、容易なはずです」
砦の防壁は崩された。だが、ソクラテスに動揺はない。実は、防壁は二重に築かれていたのだ。
「『性差』よりも『個人差』の方が大きい、それは反論のしようのない事実だ。だが、シミアスよ、忘れてはおるまいか。性別には生物学的側面だけでなく 社会的側面があるのだ。我々の社会は、他のどの属性よりも深く、そして普遍的に『性別二元論』を構造的基盤として築かれている。法(婚姻制度)、言語(彼/彼女)、家族、神話、労働分業など、社会のあらゆる階層に「男と女」という区分が浸透し、その秩序を形成している。このような社会の構造が『個人差』よりずっと小さかったはずの『性差』を途方もなく大きく見せかけているのだ。このことが、『本当は性差に還元できない個性を、無理やり性差へと還元する』という力技を可能にし、個性の真相は性差の靄に隠れて見えなくなる。『性差』という万能の言い訳がある異性愛では『鏡としての他者』は歪められてしまうのだ。それゆえ、この規範は同性同士でしか実現できない、同性愛に固有のものである、と私は改めて主張しよう」
. . . 沈黙。
シミアスは眉を寄せ、ソクラテスの言葉を反芻していた。しばらくの思索の後、彼は率直に認めた。
「……あなたの論は、鉄壁です、ソクラテス。『性別二元論』という社会構造が個人の実相を歪めるというご指摘、そして、その影響下から距離を置いた我々に相互理解の優位性があるという点、私は完膚なきまでに論駁されました。ですが、それでもなお、私の心には一つの大きな疑念が残るのです……」
シミアスは一呼吸置き、最後の力を振り絞って攻勢に出た。
「動機の観点から見ると、相手と誠実に向き合うことを要求されるのは異性愛の方だと思うのです。『異性愛規範』は生物学的子孫が生まれてくる可能性を前提にして編まれています。20年以上にも及ぶ子育てという、逃れがたい共同事業は、パートナーと誠実に向き合い、その『差異』を高い解像度で理解せざるを得ないという、極めて強いインセンティブを生み出します。関係に飽きたからといって、簡単にリセットすることは許されない。その『不自由さ』が、逆説的に、関係を深化させる構造的圧力となる。
人間関係を動かす極めて現実的な力、すなわち『長期的なコミットメント』と『子育てという共同事業』が、『性差』という靄の中で相手の姿を何度も見失おうとも、それでも愛する人の真実の姿に到達しようと努める動機と時間を提供する。この点からすると、『差異の解像度を高め、結果として他に代えがたい自己変容の価値を提供する』のは異性愛なのではありませんか?
さらに、我々人間という存在は、男らしさだけでできているわけではありません。その魂には、社会が男性的と呼ぶ側面と、女性的と呼ぶ側面の両方が含まれているはずです。人間の全体性を映し出す「完全な鏡」を求めるならば、その鏡は、男性性と女性性の両方を映し出す能力を持たねばなりません。
その点、『同性』を基準線とする鏡は、いわば『男らしさ』の差異を精密に測るための専門的な鏡です。それはあまりに専門的すぎて、人間が持つもう半分の側面を映し出すことができない。真に全体を映すには、自分とは質的に異なる『異性』と向き合うことで、基準線を『人間』そのものにまで広げる必要があるのです。
男性が女性という鏡に向き合う時、そこには「性差」という巨大で朧げな差異があります。この「性差による差異」と、それを超えた「個人としての差異」の両方を的確に見極める努力の中にこそ、男性性・女性性も含めた「人間としての自分の全体像」を映し出すことができる、より完全な鏡像関係が生まれるのです。
それゆえ、ソクラテス、あなたの提示した規範、『鏡としての他者』の究極形は異性愛においてこそ実現されます」
牢獄の空気は、勝敗が決した時のそれとは全く違っていた。二人の論客は、互いに相手の懐深くまで剣を突きつけながらも、どちらも最後の一突きを繰り出せずにいる。ソクラテスとシミアスの弁論は、どちらも否定しがたい説得力を持っていた。
この知的な膠着状態を破ったのは、ソクラテス自身の、ふっと肩の力が抜けたような、穏やかな声だった。
「……どうやら、見えてきたようだ」
「何がです、師よ?」とパイドンが尋た。
「我々の過ちだ」とソクラテスは言った。「私は、『鏡としての他者』が、それ単独で成立する、独立した規範だと考えていた。シミアスは、その規範が異性愛規範に比べて無力だと論じた。だが、我々は二人とも、前提を間違えていたのかもしれない」
ソクラテスは、ゆっくりと弟子たちを見渡した。
「シミアス君は、極めて重要な点を明らかにしてくれた。すなわち、長期的なコミットメントを強いる構造的な動機がなければ、『差異の解像度』を高めるための真摯な対峙は生まれにくい、という事実だ。異性愛には、子育てという形で、その動機が自然に(あるいは強制的に)用意されている。だが、我々にはそれがない。それこそが、私の理論の致命的な欠陥だった。美しい宮殿の設計図は描いたが、その宮殿を支えるための、強固な土台を築く方法を示していなかったのだ」
彼はそこで一度、言葉を切った。
「ならば、結論はこうだ。『鏡としての他者』は、我々の愛の『基礎となる規範』にはなり得ない。なぜなら、それ自体は、関係の継続性を保証する力を持たないからだ。基礎となるべき規範は、まずこの問いに答えねばならない。『我々は、子育てという絆なしに、いかにして二十年、三十年と続く、揺るぎない関係を築くことができるのか?』と」
弟子たちの間に、なるほど、という合点が広がっていく。ソクラテスの理論は、敗北したのではなく、そのあるべき場所へと位置づけられようとしていた。
「では、師よ」とシミアスが尋ねた。「『鏡としての他者』は、規範の星座のどこに位置付けられるのですか?」
「それは星々の一つではない」ソクラテスは、穏やかに微笑んだ。「『鏡としての他者』は、我々にとって、重要な意味を持つことになるだろう。ただし、それは基礎としてではない。我々が、先ほどの問いに答える、何か別の、強固な規範を構築できた暁に得られる、最高の『宝玉』としてだ」
ソクラテスは、弟子たちの目に、新たな希望の光が灯るのを見ながら、結論を語った。
「考えてもみよ。もし我々が、新たな規範の創造によって、子育てにも匹敵するほどの長期的で真剣な関係を築けたとする。その時、我々にもまた、相手の真実の姿に到達しようとする動機と、十分な時間が生まれる。そして、その強固な土台の上でこそ、私の『鏡としての他者』理論は、比類なき輝きを放つのだ。新しい規範により結びついた者同士が、互いの魂を、他の誰にも見ることのできない高い解像度で映し出す…。それは、規範の目的ではなく、規範を誠実に生きた者たちにのみ与えられる、珠玉の報酬なのだ。」
ソクラテスの言葉は、牢獄の冷たい石壁に染み渡るように、弟子たちの心に深く浸透した。敗北ではない。破壊でもない。依然として困難ではあるだろう。しかし、より希望に満ちた道筋が示されたのだ。『鏡としての他者』という輝く宝玉は、我々がこれから築き上げる規範を、比類なきものへと高めてくれるだろう。
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