第7話 塩むすびと焼きおにぎり

 土鍋が吹きこぼれそうなほど、ふつふつしてきたら一気に薪火の調整を弱くする。


「あっぶなかった」


 カタカタ震えていた蓋が静かになって吹きこぼれそうだった泡がシュッと鍋の中に戻っていく。弱火にしてからあと10分。ちょうど鳩時計の鳩が飛び出す頃に火からあげれば良い。カウンターの中にはご飯が炊ける前のいい香りが漂っている。胸いっぱいに吸い込んで幸せな気持ちになった。



***



 おばあちゃまと私の出会いは、日中の児童公園だった。児童公園と行っても、子供たちは学校に行っている時間はほとんど人はいない。おばあちゃんは日課である散歩の途中にこの公園のベンチで読書をする。

 ベンチの目の前にある砂場がぱっと光ったかと思うと、私が転がっていたので思わずおばあちゃまは「大丈夫かしら?」と声をかけてくれた

 私が顔を上げると、そこには優しそうなおばあちゃまがいた。けれど、何を言っているのかわからなくて私はただ首を横に振った。


「あの……私」

「あらま、外国語ね。ちょっと待ってちょうだいね」


 おばあちゃまは私に向かって光る板のようなものを差し出した。


「少し話してみてくれる?」


 何か、語りかけてくれているけどわからなくて、私は


「あの、ここはどこですか?」


 私の言葉に反応して板が光ると、おばあちゃまはそれを確認して「これなら大丈夫ね」と笑顔になった。その言葉は理解できた。


「外国の子ね。大丈夫?」

「あの、ここはどこですか? 私、魔法で飛ばされて……」

「あらあら、大変。怪我はしてなぁい? 立ち上がれる?」


 おばあちゃまは、公園のベンチに私を座らせて話を聞いてくれたんだっけ。私が別の世界から来たであろうこと、魔女であること。そして、身寄りがないことをわかると私を家に迎えてくれたのだ。


 それから数日後、私はおばあちゃまと一緒に日課の散歩をしていた。日本という国の道は石畳とは違う硬い石のようなものを平らに舗装してあり完璧でとても歩きやすかった。けれど、車という鉄の塊みたいな乗り物がビュンビュン走っているのでちょっと怖い。

 その分、馬車は通っていないのでその辺にお馬さんの糞尿が落ちているなんてことはないから匂いは全くしない。

 一番びっくりしたのは、犬の散歩をしている人たちは犬の糞尿の後始末をしっかりしていることだ。だから、日本の外は嫌な匂いが全くしない。素晴らしい。


 公園のベンチに座ると、涼しい風か気持ちよかった。ベンチにかかる木の影が揺れて、木漏れ日がキラキラと光る。

 お天気はいいのに、昼間だからあまり人はいない。それがまた良くて、ここで本を読むおばあちゃまの気持ちはよくわかる。


「今日は、ちょっとしたピクニックね」

「ピクニック?」

「えぇ、おにぎりを握ってきたのよ。塩むすびに焼きおにぎり。美味しいお漬物もあるからね」

「お米?」

「そうよ。日本ではお出かけをする時に、お米をこうやって握って持ち運びやすくするの。手に持って食べられるからお箸もフォークもいらないし」


 彼女は白い方、塩むすびを手に取ってにっこりと笑った。それを私によこして水筒からお茶を淹れてくれる。


「いただきます」

「どうぞ、めしあがれ」


 塩むすびにかぶりつくと、しょっぱい断面が舌に触れ、咀嚼すると米から甘い味が溢れ出した。その塩加減が絶妙かつ、お米がふわっと握られているのか口の中で解ける食感がたまらない。まさか、これがお米と塩だけでできているとは思えない味わい深さ。あっという間にひとつ食べきってしまった。


「おいしいわ、おばあちゃま。これお塩だけ?」

「そうよ。でも、作る時にちょっぴり工夫をしているのよ」

「工夫って?」

「手を氷水で冷やしてからお塩を取って、お塩がついた手で握るの。そうすると、おにぎりの表面だけじゃなくて少し中にもお塩が入り込んでとても美味しいのよ」

「へぇ、お米にお塩をかけただけだと思っていたけれど、そんなに手間がかかっているのね。とっても美味しいわ!」

「よかったよかった。焼きおにぎりも食べてごらん」


 今度は茶色い方のおにぎりだ。塩むすびと同じ三角の形なのに、何か調味料が塗ってあって焦げ目がついている。

 大きく口を開けて一気にかぶりつくと、目を剥くほど香ばしく、先ほどの塩結びとは違った旨味が広がった。表面のお米が焦げた部分のポリポリした食感、調味料の甘じょっぱい味。どこか風味のある調味料は私の知らない味だったが、美味しいことは確実に保証できる。

 しょっぱいのに、深い部分にコクというか甘みがあるような不思議な味。


「お外で食べるおにぎりは美味しいわよねぇ」


 隣を見るとおばあちゃまもおにぎりにかぶりついていた。


「違うわ。お外でお友達と食べるから美味しいのよ」

「まぁ、ルーシアちゃんは素敵なことを言うのね。うふふ、でもそうだわね。一人で食べるよりも二人で食べる方がずっと美味しいわ」


 誰もいない公園で、楽しむピクニックの思い出。お天気が良い日はこうしておばあちゃまと素敵なランチを楽しんだ。



***



「塩むすび、焼きおにぎり。塩むすびは作り方を教わったことを思い出したから大丈夫ね」


 土鍋はシンクの隣の作業場に移され、炊けたお米を蒸らしている最中だ。確か、10分くらいでよかったはず。お米の炊き方もレシピ本に書いておこう。

 氷入れから氷を取り出していくつか削るとボウルの中に入れ、氷水を作る。それから塩を小皿に出して準備する。


「お待たせ」


 ドアベルの音と同時に店の中に入ってきたシロ助君は、走ってきたのか息を切らしていた。私はすかさず、お冷やを用意して彼の座っていたカウンター席に持っていく。


「ありがとう。はい、これ醤油としゃもじ」

「え?」


 彼が持ってきてくれたのは小瓶に入った醤油。それから、短い木ベラだった。


「しゃもじ?」

「知らねぇの? お米を混ぜたりよそったりする道具だよ。俺は使わないからやるよ。今、蒸らし中か? ならしゃもじでサクサク切るように混ぜてみな。ふわふわになるだろうからよ」

「いいの? 醤油までもらっちゃって」


 私が遠慮がちに聞くと、彼はまた少し頬を赤らめてそっぽを向く。


「別にいいよ。取引してくれんだろ。うちは万年閑古鳥で稼ぎなんかないようなもんだし。お前は大事な客だからそんくらい……その、サービスだ」

「ありがとう! ご贔屓に!」

「そりゃこっちのセリフだよ、馬鹿野郎……」


 どうやら、彼はちょっとシャイらしい。けれど、お祖父ちゃんが認めていた人だから根は悪い人ではないはず。


「で、シロ助君。焼きおにぎりの作り方知ってる?」

「あんま詳しくないけど、握り飯を作ったら醤油を塗りながら焼けばいいんじゃねぇの? 多分」

「そっか。じゃあ、パイに卵液を塗る刷毛を使って塗ったらやりやすいかな。とりあえず、先に塩むすびを作るね」


 土鍋の蓋をミトンを装着してから掴んで開ける。むわっと広がる水蒸気とお米の甘い香り。「うわぁ」と感嘆の声が私とシロ助君から漏れた。土鍋の中の白米は、ふかふかに炊き上がり一粒一粒が白く輝いているように見えた。もらったばかりのしゃもじ、シロ助君から「水をすこしつけな」というアドバイスをもらい、水をつけてからお米の中に差し入れる。サクサクと切るように優しく、お米を潰さないように混ぜ、底の方からひっくり返すようにして空気に触れさせていく。


「よし……もうちょっと待ってね」

「へいへい」


 氷水をいれたボウルに、両手を突っ込んで感覚がなくなる寸前で引き上げる。そのまま急いで右手に塩を刷り込み、適量の米を掬い上げる。熱々の米を両手の中で、三角を意識しながら握っていく。次第に伝わる熱を逃がすようにリズミカルに、お米を潰しすぎないようにそっと、でもお米同士がくっつくようにぎゅっと。

 手のひらの中で形ができてきたら、さっとお皿に乗せる。同じ要領でもうひとつ作れば塩結びプレートの完成だ。


「はい、塩結び」

「おっ、うまそう。ありがとな」


 シロ助は喜ぶ犬みたいにキラキラした目でお皿をカウンター越しに受け取ると、「アツっ」とか「うまっ」とか言いながら塩むすびを頬張った。お客さんの美味しい笑顔に安心しつつ、私は冷め始めたお米でおにぎりを二つ作り、今度は醤油の瓶のコルクを抜いて小皿に出した。

 フライパンに油を敷き温める。フライパンが十分に温まったら、おにぎりをゆっくりといれ表面を焼いていく。焼いていない方の面に刷毛で醤油を塗り込んでひっくり返せば一気に美味しい香りが広がった。醤油が鉄板の上で瞬時に焦げ、お米と相まって殺人的に美味しそうな香りが広がる。それを何度か繰り返し、徐々におにぎりの正面は茶色く、油も吸ってテカテカとしてきた。


「側面も、茶色かったわね」


 次はおにぎりの側面も同じように鉄板に当てながら、別の面に醤油を塗る行為を繰り返していく。時間と手間を掛ければ掛けるほど美味しそうになっていく小さな三角の悪魔が色づき、私はごくりと喉を鳴らした。

 全ての面が茶色く色づき焼き上がったおにぎりをお皿へ乗せると、背中で視線を感じた。


「それ、俺も食べていいやつ?」


 シロ助はすっかり塩むすびを完食して、こちらへ視線を向けていた。実は、こうなると思って二個作っておいたのだけれど。


「えぇ、もちろん。お米は貰ったものだし……お金はいらないわよ」

「おっ、太っ腹だね。ありがたくいただくよ」


 さっきまで不貞腐れた顔をしていたくせに、美味しい食事の前では白い歯を見せる彼。笑うと少し幼く見える。


「なんだよ、口に米でもついてるか?」


 じっとみてたら不満げな表情が戻ってきて、私は取り繕うように焼きおにぎりをひとつ、カウンター越しに差し出された彼の皿に乗っけた。もう一つは自分用の皿に。

 焼きおにぎりはまだ湯気が立つほど熱く、フォークを渡そうとしたが彼は器用に指先でおにぎりをつかむと、はふっとかぶりつき、必死で咀嚼する。

 その様子があまりにも美味しそうで、私も彼と同じように指先で熱々の焼きおにぎりを摘んで持ち上げ、急いでかぶりついた。


「どうだ? うまいだろ」


 シロ助君は私にそう言ったが、私はごくんと飲み込んで彼と目を合わせ


「違う……これじゃない」


 と言った。


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