旧・書留目録

タカマⅱ

第一章【書留目録/傲慢なるリリィ】

第1話

 ―――阿鼻あび叫喚きょうかん

 そんな言葉があるらしい。


 泣いても泣いても、

 叫んでも叫んでも、

 救いは訪れず、苦しみ続ける。


 それがその言葉の意味なのだと、彼女が教えてくれた。

 そして、その言葉こそが、この地に相応しい。

 広大なりて、壮大な地。

 あるいは、警戒なりて、一度降り立てば絶望するべき地。


 またの名を、


 幾度の死を経験し、数多な再生を体験しなければならない。

 酷い、惨い、と口にしても、誰もその営みを止めることは出来はせず、ただただ淡々と迎えるしかないサイクル。

 辞めてほしくば、最初からするな。

 これがこの地の獄のモットー。


 有無など言っても意味がない。

 誰も聞いてはくれない。

 皆んな自分のことばかり。

 隣を仰げば、自身と同じ罪を犯し、自身と同じ罰を受ける者。


 故に、わざわざ語っても意味がない。

 否――わざわざかたろうとも意味がない。


 所詮は、おなあなむじな

 姿形が違おうとも、犯した罪は同じ。

 もはや、そんなことをしていない――などという言葉は、何の整合性も取れやしない。

 ここに堕ち、ここに立っている。

 ただそれだけで、騙そうとする意思など見え透いた話なのだから―――。



 ―――の、はずだった。

 なのに、私の目の前には子供が遊んでいる。

 ここは地獄の南東の地の、さらに河付近。

 河原という場所で鬼ごっこをしたり、隠れん坊をしたり、けんけんぱをしたり。

 それなりに楽しそうな遊びをしている。


 で、その中で彼女――“シャビロッテ”も子供に混じって遊んでいる。

 いや、それはいい。

 彼女も地獄の者なのだと言っても、その容姿の通りに、年端もいかぬ子供。同じ子供が遊んでいれば、混ざりたくもなるというもの。


 私がここで筆を止め、唖然とも似た様子で、河原の岩に座り込み、そんな彼女達を眺めている理由は、他ならぬ、地獄という地であまり見ることのない光景だったから。

 もはや、語らう必要もないくらいに、この地の獄の象徴たるのは、確かに無意味な阿鼻叫喚だ。しかし、ここにはそんなモノはなく、聞こえるのは、甲高いはしゃぐ子供の笑い声と、河を流れる水のせせらぎ。

 今一度と私は疑ってしまう。

 ただでさえ、暗い赫と黒のイメージしかない地獄なのに、南東ここでは太陽が差し込み、どこまでも青く、どこまでも蒼い地が広がっており、そこで死体の一つもないというのは、かなりイメージとかけ離れている。

 そこに加えて、遊ぶ子供笑い声なども割り入っては、もはや地獄というより天国のようだ。


「………はあ、」


 ため息も出てしまうというモノ。

 期待して、待望した地獄が、まさかこんな明るい場所なのだとは思わなんだ。

 そんな私の声が聞こえ、私の様子を察したのか、シャビロッテが子供たちとの遊びを止め、河の流れと逆らいながら、こちらへと向かってきた。

 やがて、私の腰を据える岩の凹凸に指と足とを引っ掛けたら、よじ登り始めた。

 ただ、彼女の女児の如き小さな体躯では、その行為はとても危うい。

 だから、私は身を乗り出して、彼女に手を差し伸べる。


「―――え?」


 必死に登っていた最中に、目の前に現れたその手を気付いた彼女は、岩に張り付きながら天を仰ぎ、私を見上げた。


「ほら、掴まって」


 私がそう言うと、嬉しいという言葉の象徴の如し、愛らしい満面の笑みを浮かべた彼女は、差し出された手に掴まり、腕に抱きついた。

 それを確認してから、多少は重くなったと言っても、程度がある腕を引き上げ、シャビロッテを岩上に立たせる。


「ふふっ。アンタなりには良くやったわね。まあ、アンタはアタイのフィアンセだもの、当たり前よね?」


 自慢げに物を云うシャビロッテ。その様子は、どこまでもワガママお嬢様。

 その姿は確かに愛らしいし、頬擦りさえしたいと思うけど、その物言いは頂けない。

 彼女には、正して貰わなければならない所がある。

 特に、二人称の部分。


「こらこら……。アンタはダメだと、何度も言っているでしょう? せめて、アナタにしなさい」

「ふぅん。だから何度も言ってるでしょ? い・や・よ。アタイのアイデンテイテイが失くなっちゃうわ」


 今度は不満げに云うシャビロッテ。

 どうも、私の言葉に拗ねているらしい。

 しかし、ここで甘やかしては、彼女の将来が心配になってしまう。

 だから、まだ耐えるのだ。

 ひと呼吸を終えれば、心を鬼にして、続ける。


「アイデンテイテイじゃなくて、アイデンティティね。ほら、足がついたんなら手を離して?」

「それも却下。アタイは、アンタに触れていたいのよ」


 言って、シャビロッテは私の腕に抱きつく力を強めた。

 これは、彼女なりの離さないという意思の証明なのだろう。

 さてさて、ここまでされたら、もはや我慢など出来る筈がないというもの。

 うん。元から、この彼女を甘やかしたい欲を我慢するなど、到底無理な話だったのかもしれない。

 さながら、鬼の仮面の表情が、優しき微笑みだったみたいな話だ。


「………はいはい。分かりました。そこまで云うのなら、気が済むまで掴まっていていいですよ、シャビロッテ」

「ええ、言われなくても、最初からそうするつもりよ」


 そう語ると、シャビロッテは私の隣座り、河原で遊ぶ子供たちのことを眺め始めた。

 私のそれに促される形で、今一度とこの可笑しな光景を、視界に捉える。


 そうしていると、“なぜ彼らが笑っているのか”や、“なぜ彼女らが気ままに遊べているのか”などの疑問が、改めて湧いてきた。

 けれど、その解答は出ない。

 まあ、それは私が訊ねないからかもしれないが、それでもこの地獄にしては可笑しな割には、それなりに暖かな光景を見ていたいと、どこかしらで思っているからという要因が大きいだろう。


 しかし、それは全くもって知らぬ子。なんなら罪人である筈だ。

 それも地獄に堕ちるほどの罪。

 また、それは傲慢の罪である筈。

 でなければ、この『傲慢のリリィ』が収める南東の地に居る筈がない。


 だが、私の目に写っているのは、傍らに居て、同じ地を踏んでいる者を、対等な存在として認識し、なんなら友達と明言出来るほどの関係性を築けている“傲慢”などとはかけ離れた光景。

 ……もしかすれば、それ自体が傲慢だとしているのかも知れないが、それでも罪を犯したとは思えない程に、美しい光景であるのに違いはない。


 そんな子たちが、突如として騒ぎ始めた。

 暖かな雰囲気が、羨望から来る輝かしい空気に変わったのだ。


「うん。来るらしい!」

「どこで見たのー?」

「さっき、里の中で見かけたヤツが居るんだってー」

「ほんとっ!? やったーっ!」


 様々な活気に満ち溢れた声。

 誰かが来るというのを喜んでいるらしい。

 やがて、その眼差しが、一方に向かって集まりだす。


 それは河原を囲うようにある森の中で、人の通り道を作っている方向。

 度々、新たな子供が駆けながら訪れ、または駆けながら姿を隠していく場所。

 つまり、その道こそが、彼らの云う里へと繋がる道なのだろう。


 そこから人影が現れる。

 和洋わよう折衷せっちゅうの身軽な装い。

 洋紅ようこう色の布地に白い蓮華の模様があしらわれた着物に、黒のロングスカートを合わせている。

 あごにかかるほどの短髪と、丸く大きくも気丈さを失わない瞳が、太陽の光を浴びて、いっそう茶色を深めている少女。


 その少女が姿を見せた時、子供たちの足が彼女へと向いて、少女の周りに一人、また一人と集まりだした。

 やがて、その人集りが少女を囲うようになった頃。数人の子供たちが少女の背を押すようにして、河辺へと連れて行かせ、河の中で先回りして待ち構えていた子供が、少女に水をかけた。


 それが少女の着物を濡らすと、一つと驚いたように目を大きくさせた少女は、ニヤリと笑ってお返しだと言わんばかりに水をかけ返した。

 こうして、始まった水のかけ合い合戦。

 時に少女の味方をする者と、対してそれに対抗する者たち。


 その攻防は次第に激しくなっていき、殆どのかけ合い合戦の当事者の髪を滴らせる頃になると、中でも一番狙われていながらも、それを華麗に避けて、同時に攻撃をしていた少女が足を滑らせ、体勢を崩し、尻餅をついた。


「あいたっ!?」

「あははー! 姉ちゃんが転んだぞー! 今だーっ!」

「ちょっ! ちょっと、今はタンマ――ぶわっ!!」


 一時停止を呼びかける必死な声を無視して、無慈悲にも水の追撃を与えられる少女。

 それまで、他の子供たちと比べて、明確に濡れていなかったのが、今回の集中攻撃により、誰よりもびしょ濡れになった。


 で、その集中攻撃が終わり、攻撃した者たちが応酬が来るぞーと離れれば、側から見ていても、重たそうな衣服と髪を、ゆらりと持ち上げながら、少女が不適な笑みを浮かべ、


「ふ、ふふ、ふふふっ……」


 という恐怖を感じさせる笑い声を響かせ、濡れたことにより目元まで垂れ下がり、彼女の顔の前を覆ったために、その顔を中々見えなくなさせていた前髪の隙間から、少女の目が垣間見せ、その瞳が自分に背を向けている攻撃してきた者たちを捉えたかと思えば、


「――――」


 ―――その姿が消えた。

 瞬間に、水面が一気に跳ねる。

 まるで、がそこを通ったことを、遅れて世界に示し合わせるようにしてだ。


 それを確認して、私はその水が跳ね、幾つもの波紋を生んでいた所を辿るようにして、やがて見つけた。


 離れるために背に向けながらも、そこに居る者へと顔を振り返らせていた子供たちの進行方向の先で、手を横に広げている少女。

 つまるところ、子供たちが消えた存在に気付かずに、このまま走って来るのを、待ち構えているのであろうその場所に、少女は居た。


 つまり瞬間移動。

 いや、この場合なら、その場に転々として現れては消えるという意味合いを持つ“瞬間移動”というよりは、が正しいだろう。

 でなければ、水面に明らかに“誰か”が通った跡など残らないし、生まれない。

 だから、もっと正確に云うなら、それは『瞬間“的”移動』。

 それが、あの和洋折衷の少女のの原理を、最も言い表した言葉なのだろう。


 それも恐らく知らない子供たちは、案の定のとおりに、少女の元へと走り続け、そこに広げられた腕に引っ掛かかるようにして、遮られ目を見開いた。


「えっ!?」

「うおっ!?」

「なんでっ!?」


 と。駆けていた子供たちは各々のニュアンスで、背後に居た者が消えたことに驚き、走るのを遮られた衝撃に驚き、その消えたと思った者が自身を遮っているということに驚く声を上げた。

 それを聞いて、少女はしめたっ! と、腕に掛かった子供たちの勢いを難なく受け止め、逆に押し出し始め、子供たちを背中から水面に落とした。


 そして、見事に情けない声を上げて尻餅をついたその子たちを前に、少女は腹を抱えて、膝を叩いた。


「あははははっ!」


 一際目立つ笑い声。

 無邪気で、してやったりと喜ぶ姿。

 どこまでも少女らしく、どこか子供っぽい表情が、さっきまで髪が滴って隠れていた顔に浮かんでいる。


 これを見て聞いて、最初は尻を摩っていた子供たちも、恥ずかしがったり、ムッと少女を睨んだり、少女に感化されて笑い出したりの反応を見せる。


 やがて、目元を流れる涙を拭う少女の笑い声が、途切れ途切れになり始めれば、立ち上がり、次の攻撃の準備を整えた子供たちに、その手の平を向けて、横に振った。


「ムリ……。ごめん、ムリかも……。わ、笑い死ぬ……」

「えーー」


 少女の振り絞るように出された言葉に、これまで分かりやすいかと思うほどの落胆の声を上げる子供たち。

 しかし、今回はその一時停止の言葉を素直に受け取って、自分たちで水のかけ合い合戦を再開し始めた。

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