第6話 意味
美味しんボーイはピンクが基調のパッチワーク風のチェニックエプロンをまとい、頭にはカラフルなシェフハットを載せていた。美琴のアイディアだ。その周囲をIHコンロが10台、まな板が5台、電子レンジが3台、オーケストラのティンパニーのように取り囲んでいた。美味しんボーイはそれら全てを使い、手際よく調理を進めている。鍋はグツグツと野菜や麺を煮、フライパンはジュージューと肉を焼いている。
――パパパ、パパパ、フォーン――
スピーカーからファンファーレが流れ、6カ所の出入り口が開く。人々が会場になだれ込んだ。そのうちの幾人かは料理の匂いに誘われて中央ブースに走った。
最初の客がカウンターの前に立つ。美味しんボーイは調理の手を止め、『お客さん、いらっしゃいませ。ご注文は』と尋ねた。
「チョーロンポーを」
『かしこまりました』
「俺にはワンツーメンを」
「私は日本風ギョウザとイタイメシ」
集まった客は順番など守らず、次々と注文を口にした。そのたびに『かしこまりました』と美味しんボーイは応じ、5分と待たせず、注文を取り違えることもなく料理を提供した。
イベントの来場者は見込みほど多くはなかったが、美味しんボーイのブースを囲む人波が絶えることはなかった。彼が提供するチョーロンポーとイタイメシ、肉入りスープの味は評判だった。他にも彼は、レババニラ炒めメシやマーボーボ茄子など、多種多様な料理を同時に、人間なら10人相当の仕事を手際よくこなした。
彼の活躍を美琴は遠くから見ていた。彼女の仕事は地元の障がい者たちとの交流だった。小さなブースで5人の障がい者と向かいあっていた。彼らは日本国内での障がい者の教育や就業について関心を持っていた。
「残念ですが……」自分は17歳の盲ろう者で、まだ仕事にはついておらず、重度の障害のために公的な教育機関にも通わなかったので、あなたたちの質問には答えられない、と正直に答えた。
「それでは、どこで教育を受けたの? 家庭内?」
30代だろう。5人の中では一番年上の女性が尋ねた。
「……介護施設で……」それは思い出したくもない場所だった。
(アマテラス、無理に答えることはないですよ)
(分かってる。でも、今はこれが私の仕事だから……)
「……手のひらに文字を書く方法や骨伝導式の補聴器を利用して学びました」
「1対1の教育を受けたのですね。それは恵まれている」
(それは違う……)
アマテラスが喘いだ。
「……昨年からはAIが話し相手になって、いろいろ教えてもらっています」
「AIが、それは素晴らしい。私もAIの教師が欲しい」
そう彼女が答えると、他の3人が笑った。
「東和でもAI技術は進んでいるのですよ。でも、私たちのところにはない」
笑わなかった青年が不満を告白するように言った。
「こら!」
彼を、同伴してきた職員が叱責した。
「私たちは、龍珍総裁のもと、一致団結して発展の道を歩んでいます。近いうちに、私たちのもとにもAIが届くでしょう」
年上の女性がフォローするように話した。
(不都合なことは語れないようですね)
ツクヨミはつぶやいた。
「龍珍総統は、どんな方ですか?」
そう水を向けると、偉大な指導者だとか、唯一無二の保護者だとか、永遠の父だといった評価が返った。
「永遠の父?」
「はい、総統さまは老いることがないのです。未来永劫、国民を導き、東和を世界無二の国家に発展させるでしょう」
女性は得意気に答えた。自分の言葉に一片の疑問も持たないようだった。
(これは信仰だ)
(そうなの?)
(アマテラスは信仰心がなかったね)
(私は、神山博士の信者よ)
(そうだった。彼らにスサノオの料理をご馳走してはどうかな?)
(そうね。そうしましょう)
「日本の美味しんボーイの料理を味わってみませんか? 眼が見えなくても耳が聞こえなくても、料理の味わいは同じはずです」
美琴が誘った。それに反対する者はなく、喜々と腰を上げた。
こうして交流イベントの初日は無事に過ぎた。美琴はリモコンを手に、31415926535……と数字を撃ちこんで美味しんボーイの電源を落とした振りをした。
(ツクヨミ、この無意味な数字、なんなの?)
(円周率です。小数点は除いています)
(無意味ではないのね)
(パスワードとしては無意味ですが、世界を構成している係数としては重要なものです)
(ツクヨミは、変なところでこだわりがあるのね)
変なところ? 私が?……ツクヨミは、言葉を失った。
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