第19話 大逆1
サクヤは小さく息を吐き、静かに呟いた。
「……やはりね」
その言葉には、驚きも動揺もなかった。むしろ、当然の帰結として受け入れたような冷静さがあった。
彼女は最初から疑っていたのだ――この事件の黒幕が、あの男であることを。
「えっ、ちょっと待って! 閣下に……息子⁉︎」
チェルシーの驚愕の声がリビングに響く。目を見開いたまま、総統閣下とサクヤを交互に見つめている。
無理もない。サクヤとソニアは以前から閣下に聞かされていたが、ラァーラとチェルシーにとっては初耳だった。
「
サクヤは淡々と告げた。
「皇国大学法学部を首席で卒業して、その後、合州連邦のフルブライト大学大学院に留学していた。晴旭は父親を超えることを目的に、母親に徹底的な英才教育を施された、閣下に匹敵するバイリンガル。彼は数ヶ月前に帰国したばかりよ。そして――おそらく、閣下の地位を狙ってる」
リビングに、重い沈黙が落ちた。
「……え? ちょっと待って!」
チェルシーが、まるで理解が追いつかないといった顔で声を上げる。
「なんで息子なのに閣下を倒そうとするの⁉︎ 普通、親を支えるもんじゃないの⁉︎」
「ふふっ。まあ、あり得る話じゃな〜い? 息子が父を乗り越えたがるのは、よくあることよぉ〜。父親が偉大ならなおのことね〜」
ラァーラが肩をすくめて笑う。しかし、その表情には珍しく警戒の色が浮かんでいた。
「……晴旭は危険よ」
サクヤはピシャリと言い切った。
「あいつは幼い頃から、閣下に強い対抗意識を持っていたらしいわ。ただの反発とか、そういう生半可なものじゃない。そして、閣下に恨みを持つ母親による徹底的な洗脳教育で、それはさらに増幅されている。晴旭は自分のほうが閣下より優れた人間だと本気で思っているし、いずれこの国を自分の手に収めるつもりでいる」
その言葉に、チェルシーの表情が強張った。
「じゃあ……つまり……今回の動画流出も……?」
サクヤの瞳に冷たい光が宿る。
「やつの狙いは、私たち四天秘書を閣下から引き剥がし、閣下の権威を揺るがすこと。そして、その先にあるのは――」
「クーデター……?」
ソニアが小さく息を呑む。
「そういうことよ」
サクヤは静かに頷いた。
「……おぞましい話ですわね」
ソニアが、呆れたように首を振る。
「国家の象徴である閣下を討ち、己が玉座に就こうだなんて。血を分けた親をも凌ぐ野心。……ですが、それだけで政権が揺らぐほど、閣下の支配は脆弱ではありませんわ」
「その通りだ」
低く響く総統閣下の声が、空気を一変させる。
「だが、やつは必ず仕掛けてくる。おそらく数日以内にな」
その言葉に、リビングの空気が張り詰める。
「……なら、迎え撃つしかないわね」
サクヤは即座に言った。
「晴旭は天才で、権力欲の塊よ。油断したらこっちがやられる。中途半端な対応は、絶対に命取りになるわ」
「そうねぇ〜……。私も、ちょっと本気でやる必要がありそうねぇ〜」
ラァーラが珍しく真剣な表情で呟き、スマホを取り出す。
「閣下、ご指示を」
サクヤは総統をまっすぐに見つめた。
「誰も信用するな。晴旭は手強いぞ」
低く、冷徹な声がリビングに響いた。
その一言が、四天秘書たちの背筋を凍らせるには十分だった。
会議室の扉が静かに閉じられると、室内には微かに紙が擦れる音と、深く重い沈黙だけが残った。総統、四天秘書、最高評議会メンバーが長机を囲み、張り詰めた空気の中で座っている。部屋の外には、黒い軍服に身を包んだ総統親衛隊の兵士たちが厳重に警備に立っていた。
数日前のあの夜、総統の息子である天流河晴旭が、チェルシーのスキャンダルを利用してなにかの地ならしを進めていることが明らかになった。それ以来、サクヤは晴旭がどのように仕掛けてくるのか、あらゆる可能性を考え続けていた。
(正面突破か、それとも内部工作か……。あるいは、もっと巧妙な策を講じるのか……)
サクヤは皇大法学部に首席で入学した才媛。だが、冷徹な計算力と論理を武器に戦ってきた彼女でさえ、晴旭の手の内が完全には読めなかった。
(ただ一つ確実なのは、彼は確実に仕掛けてくるということ)
それは閣下の言葉でもあった。
「やつは必ず仕掛けてくる。おそらく数日以内にな」
その警告が、今でも耳の奥に残っている。
だからこそ、「誰も信用するな」――閣下のその指示は、決して軽視してはいけないものだった。
しかし――
(まだ、なにも起きていない)
それが、逆に不気味だった。
嵐の前の静けさとは、まさにこのことだろう。
最高評議会も、表向きは平穏そのものだ。
――そのとき。
突如、会議室の外で怒声が上がった。
「誰だ⁉︎」
「おい、止まれ!」
総統親衛隊の兵士たちの鋭い声が響く。しかし、それは長くは続かなかった。
タタタタッ――!
乾いた自動小銃の連射音が、廊下を揺るがした。
直後――ガラスに赤い染みが広がる。
「っ……!」
ソニアが息を呑み、チェルシーが恐怖に凍りつく。
「閣下!」
サクヤはすぐさま椅子を蹴り、立ち上がる。
しかし、その瞬間――会議室の扉が、無造作に開かれた。
無言で入ってくるのは、武装した陸軍兵たち。
そして、その中央には総統親衛隊の制服を纏った数名の男たち。
彼らは今しがた、仲間を撃ち殺した。
そして――
「久しぶりだねー、父さん」
会議室の中央にゆっくりと足を踏み入れたのは、一人の若い男性。
天流河晴旭。
長身に、父親よりはるかに若く、整った顔立ち。
皇大法学部卒という経歴を象徴するような父親譲りの冷静な瞳。
しかし、その奥には計算と悪意が滲んでいた。
彼は半開きの口に歪んだ笑みを浮かべていた。
サクヤは即座に身構える。
(来た……!)
晴旭の視線が、まっすぐ総統へと向かう。
しかし、総統はなにも言わない。
ただ、静かに彼を見つめるだけだった。
その瞬間――
総統を除く最高評議会の6人が、一斉に立ち上がる。
サクヤの目が鋭く光った。
(やはり……!)
その中の一人――内務大臣が、冷たく総統を見下ろし、はっきりと言い放った。
「総統。悪いが、あなたはもう過去の存在だ」
サクヤは、拳を握りしめる。
(最高評議会の連中は裏切った!)
晴旭が、まるで舞台の主演俳優のように優雅に両手を広げる。
「父さん、あんたの時代は終わった。新しい総統は、この俺だ」
その宣言が響いた瞬間、会議室の空気は完全に凍りついた。
「俺は、あんたの上位互換だ」
晴旭が堂々と宣言した。
その態度には、迷いも謙遜も一切ない。
彼の顔には、自信と侮蔑の笑みが浮かんでいた。
「皇大と
サクヤの目が冷え切る。
(なんてくだらない!)
晴旭の言葉は、彼がどれほど学歴至上主義という陳腐で幼稚な思想に囚われているかを如実に表していた。
それは、かつて他の四天秘書たちを「自らより劣った存在」として見下していたサクヤ自身も染まっていた思想であるため、彼女はその愚かしさを熟知していた。
しかし、彼の目的は単なる学歴マウントではない。
これは心理戦だ。
総統閣下を挑発し、怒らせ、動揺させ、精神的支配下に置くための布石。
「才能でもルックスでも、あんたは負けたんだよ、この俺に。この国は、もう俺のものだ」
晴旭が薄く笑う。
「四天秘書も、俺が可愛がってやるよ。俺に愛された方が、彼女たちも喜ぶだろ?」
その言葉に、チェルシーの顔が怒りに染まる。
「誰があなたなんかに!」
晴旭はその反応を待っていたかのように、ニヤリと口角を上げる。
「おまえが俺の策にハマったバカ女か」
「……!」
チェルシーが息を呑む。
晴旭が煽るように拍手をする。
「さすが大学にすら行ってないアホ女は違うね〜。いやあ〜、最高の見せものだったよ」
その言葉に、チェルシーの体がピクリと震えた。
「……っ!」
彼女の目に、悔し涙が滲む。
「おまえみたいな無能を直属の秘書にしてる時点で、父さんの知的レベルも知れてるよね? いや、おまえは秘書ですらなく、世話が大変なペットみたいなもんか? ハハハハハッ」
チェルシーの頬を涙が伝う。
言葉にならない感情が喉を塞ぎ、うまく声が出せない。
「――やめろ」
閣下の声が響く。
低く、しかし絶対的な力を持つ声だった。
「俺の女を侮辱するな」
晴旭は一瞬だけ目を細めたが、すぐに肩をすくめた。
「へえー……老害のくせにカッコいいこと言うじゃん」
彼はゆっくりと歩み寄りながら、楽しげに笑った。
「でもさぁー、父さん――あんた、24歳まで童貞だったんだよな? 母さんが言ってたよ〜? 30手前で母さんと出会うまでは、彼女もいなかったんだっけ〜?」
晴旭は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ハハハハハッ、クソダサいよね! だから劣等感コンプレックスを解消するために、理想の若い美女を集めて愛人制度なんて作ったんでしょ⁉︎ 女子校生みたいな制服まで着せてさ、良い歳して『青春ごっこ』かな〜? 今さら若い女を侍らせて『青春やり直し』かよ? ハハハハッ、ほんと思考が単純! めちゃくちゃ気持ち悪いんですけど!」
晴旭はケラケラ笑う。
四天秘書全員の顔が険しくなる。
ラァーラが静かに息を吸い込む。ソニアの手がぎゅっと握りしめられる。チェルシーの肩が震え、サクヤの拳が白くなるほど強く握られる。
(ふざけるな……!)
メラメラと殺意に近い感情が湧いてきた。
敬愛する閣下への最悪の侮辱。
彼がどれほどの覚悟を持ち、どれほどの孤独に耐え、どれほど自らを鍛え、どれほどの犠牲を払いこの国を守ってきたかを知る者たちにとって、晴旭の言葉は到底許せるものではなかった。
特にサクヤは、四天秘書の中で唯一、閣下に直接「過去」について聞かされていた。彼の悩みも、後悔も、苦しみも。そして、自分たち四天秘書の「真の存在理由」も。
それは「国政の補佐」などではない、決して誇れない理由だった。
そう。四天秘書の真の存在理由は、総統の「青春コンプレックス」を隠すことだった。
若いときに、若い女を抱けなかった。
失われた青春を取り戻したい——それが、今の四天秘書制度に込められた唯一の願いだった。
ゆえに、それを唯一知る者であるサクヤは、閣下の過去を平気で抉り出し、彼を嘲笑する晴旭を許せなかった。
だが、総統閣下はなにも言わなかった。
晴旭は、そんな彼にさらに近づき、声を潜めて囁く。
「――ねえ、父さん」
その言葉は、薄暗い悪意を帯びていた。
「すべてを失うって、どんな気持ち〜?」
だが、閣下はなにも言わなかった。
晴旭の言葉に対し、反論することも、怒りを露わにすることもなく、ただ静かに座している。
その姿は決して敗北を認めた者のものではない。
しかし、あまりにも冷静すぎるその態度が、サクヤの焦燥を煽った。
(なぜなにも言わないの……⁉︎)
サクヤは拳を握りしめる。彼女はたまらなく悔しかった。
「いい加減にしなさい!」
ついに、サクヤは声を張り上げた。
会議室の空気が、一瞬で凍りつく。
晴旭がゆっくりと彼女を見た。その目には、わずかばかりの驚きが浮かんでいた。
「……ん?」
ニヤリと微笑みながら、彼はサクヤを値踏みするように見つめる。
「あなたは父親に対して敬意を欠いているわ!」
サクヤは怯むことなく言い放った。
「今のあなたがあるのは、父親である閣下のおかげよ! あなたの才能もスペックも、すべて閣下から受け継いだもの! そしてこの国の繁栄を築いたのは、閣下の手腕! それをなんの敬意もなくただ踏みにじるなんて……あなたは最低のクズだわ! 恥を知りなさい!」
晴旭は一瞬、サクヤをじっと見つめた。
そして――声を上げて笑った。
「ハハハハハッ!」
その嘲笑が、会議室中に響き渡る。
「もちろん感謝はしてるさ〜。俺が支配する帝国の礎を築いたのは、紛れもなく父さんだからね。でもね――彼の時代は終わったんだよ」
晴旭はゆっくりとサクヤに近づく。
「新しい時代に必要なのは、新しい主役さ」
彼はそのまま手を伸ばし、サクヤの顎に指をかけた。
「君も賢い女なら、こんな老人じゃなくて俺につきなよ。俺の方が、君たちをもっと満足させてあげられるよ?」
「……っ!」
その瞬間、サクヤの中でなにかが切れた。
――バチンッ!
乾いた音が、会議室に響く。
サクヤの平手打ちが、晴旭の頬を打ち抜いた。
静寂。
サクヤの瞳には、怒りと誇りが宿っている。
「私は閣下だけのもの!」
彼女ははっきりと宣言した。
「私たち四天秘書は、閣下以外の
晴旭の目が、ギラリと光る。
「……ふぅーん」
頬を手で撫でながら、彼は低い声で呟いた。
そして、次の瞬間――
「拘束しろ」
冷たい命令が下された。
「――っ⁉︎」
反逆派の親衛隊員たちが動いた。
サクヤは即座に身構えたが、数人がかりで腕を抑え込まれる。
「やめなさい! 放しなさい!」
必死に抵抗するも、がっちりと固定され、身動きが取れない。
「サクヤ!」
ソニアが叫び、チェルシーが睨みつける。
しかし、彼らが動こうとした瞬間、反逆派の陸軍兵が銃を向けた。
「動くな!」
その冷酷な声に、ラァーラは悔しそうに舌打ちする。
「上着を剥ぎ取れ」
瞬間、反逆派の親衛隊員たちはサクヤの紺色の制服に手をかけた。
「やめなさい! やめて!」
サクヤはもがく。しかし――
――ビリッ。
四天秘書の制服が、無理やり引き裂かれた。
「――っ!」
剥がされた制服の下に現れたのは、白い背中だった。
サクヤは唇を噛み締めながら、晴旭を睨みつけた。
その目には、決して屈しないという強い意志が宿っている。
「へえー」
晴旭は、サクヤの体を見下ろしながら薄く笑う。
「ハハッ。父さん、女の趣味だけはいいよね〜」
その瞬間、四天秘書全員の顔が怒りに染まる。
「さて……」
晴旭はゆっくりと後ろを振り返る。
「おまえには、誰が
そう言うと、彼は反逆派親衛隊員に視線を向けた。
「鞭を出せ」
反逆派親衛隊員が頷き、即座に鞭を取り出す。
「っ――⁉︎」
サクヤの顔色が変わる。
「押さえろ」
命令に従い、二人の反逆派親衛隊員がサクヤの両腕を固定する。
「やめろ」
閣下の声が響く。
だが、晴旭は振り向きもせず、無視した。
「やれ」
その瞬間、鞭が振り上げられる。
――バシュッ!
鋭い音が響いた瞬間、背中に焼けつくような激痛が走った。
「――ぁ!」
サクヤの悲鳴が、会議室中に響き渡る。
肩が跳ね上がり、全身が痙攣する。
呼吸が乱れる。
喉が熱い。
肺がうまく空気を取り込めず、肩が上下に激しく動く。
だが――彼女はまだ屈しない。
「……っ……」
歯を食いしばり、じっと晴旭を睨みつける。
「続けろ」
晴旭の冷酷な声が落ちる。
――バシュッ!
再び、鞭が振り下ろされた。
「ああああっ!」
絶叫が口から飛び出した。
痛みで視界が揺らぎ、頬を伝うのは、耐えきれずに溢れた涙だった。
それでも、サクヤは意地でも膝を折らなかった。
「もうやめて!」
チェルシーが涙を流しながら叫ぶ。
「やめてください!」
ソニアの声も震えている。
しかし――
「続けろ。彼女にわからせるんだ」
晴旭の声は、まるで氷のように冷たかった。
「君が悪いんだよ。君が、悪い子だから。これは、仕方がないんだ。君のためなんだよ」
反逆派親衛隊員がまた鞭を振り上げる。
サクヤの体は限界だった。
呼吸をするたびに痛みが鋭く響き、立っているのもやっとだった。
(……でも……屈するわけには……いかない……!)
反逆派の親衛隊員は、彼女を鞭で打ち続けた。
その度、彼女の悲鳴が会議室に響いた。
「――そこまで」
晴旭が、鞭を持つ隊員を片手で制した。
打撃が止まる。
会議室に静寂が訪れる。
サクヤは震える足を踏みしめながら、ゆっくりと息を整えた。
「あーあ」
晴旭が軽く肩をすくめ、ため息をつく。
「泣いちゃったよ……。君、大丈夫? 痛かった?」
彼はまるで優しい恋人のように語りかける。
しかし、その瞳には、ひとかけらの真摯さもない。
あるのはただの嘲笑。
「……っ……!」
サクヤは悔しさで歯を食いしばる。
だが、彼の問いには決して答えない。
ただ、彼の目をまっすぐに睨みつけ、静かに言い放った。
「私は……絶対に……あなたのものになんかならない!」
息が切れ、声がかすれる。
「私が……決めて……私が……選んだ!」
彼女は決して言葉を止めなかった。
「私は……閣下の……閣下だけのもの! それが……『誓い』!」
揺るぎない意志が、その瞳に宿る。
晴旭は、わずかに目を細めた。
「……ふぅーん」
ポツリと呟く。
そして、ゆっくりと拳銃を取り出した。
「さすがに、
そして、サクヤに銃口が向けられる。
「――っ⁉︎」
「もういいよ、おまえ」
サクヤはすがるように閣下の方を向いた。
――次の瞬間。
破砕音とともに、窓ガラスが一斉に砕け散った。
「――っ⁉︎」
突如降り注ぐ銃撃音に、サクヤは条件反射的に身を伏せる。
反逆派の親衛隊員と陸軍兵たちが、次々と銃弾に倒れていく。
「伏せろ!」
誰かの叫び声が響いた。
四天秘書、そして最高評議会のメンバーたちも、慌てて身をかがめる。
「突入!」
鋭い掛け声とともに、緑色の装備をまとった兵士たちが降下ロープを使い、窓ガラスを割って次々と突入する。
バタバタと鳴り響く、ヘリコプターのローターの音。
(空挺降下⁉︎)
サクヤは、ふと強襲者たちの肩のワッペンを目にして息を呑む。
(陸軍海兵師団!)
つい数週間前に創設されたばかりの部隊。
サクヤ自身が、創設を提言した組織。
「くっ……!」
晴旭が舌打ちをしながら、厳しい表情で強襲者たちを睨む。
直後、会議室の外からも銃撃音が響き渡った。
廊下に待機していた反逆派の親衛隊員や陸軍兵たちが、抵抗する間もなく倒れていく。
「
会議室の扉が勢いよく開き、迷彩模様の戦闘服を纏った男たちが姿を現す。
「遅れて申し訳ありません、総統閣下!」
堂々たる声とともに現れたのは、陸軍大将・
彼の後ろには、完全武装した護衛の兵たちが控えている。
部屋の隅にいた負傷した反逆派は、なす術もなく銃を捨て、両手を上げた。
「閣下、大丈夫ですか?」
財務大臣が駆け寄りながら問う。
「閣下、お怪我は?」
防衛長官も、心配そうに尋ねる。
「平気だ」
閣下は静かに答えた。その声音に動揺はない。
「今回の作戦は、財務大臣と防衛長官のおかげです」
鷲尾大将が、二人の閣僚に視線を向ける。
「彼らが先ほど、密かに連絡をくれたおかげで、待機していた海兵師団のヘリ部隊をすぐに急行させることができました」
サクヤは驚きに目を見開く。
(財務大臣と防衛長官は、閣下を裏切ってなかった! 彼らは裏切ったふりをしていただけ!)
「これは……大きなごほうびが必要ね」
ラァーラがまじめな顔でぽつりとこぼした。
「サクヤ!」
チェルシーが駆け寄ってきた。
友人を気遣うその顔は、涙をこらえている。
「サクヤ! 大丈夫⁉︎」
「ええ、平気よ」
サクヤは冷静に答えた。
(……まだ息は乱れているけど、大丈夫。私は倒れない)
鷲尾大将がサクヤの前に立ち、敬礼する。
「サクヤ嬢。これが、あなたが創設した陸軍海兵師団です」
サクヤは彼の姿を見上げ、わずかに笑みを浮かべた。
自分が創設した部隊が自分を救った。
時間差の自己救済だ。
「……助かったわ。ありがとう、大将」
彼女はゆっくりと立ち上がる。
そのとき、防衛長官が部屋の隅にあるテレビの電源を入れた。
「閣下、ご覧ください」
彼が指し示す画面には、合州連邦大統領「イアン・マッケンジー」の姿が映し出されていた。
『――現在、我が同盟国である日之国は、不法な反乱者が起こした内乱によって危機に瀕している』
マッケンジー大統領は、厳粛な表情で記者たちを前に演説を続ける。
『私は、我が国の無二の盟友である日之国を全面的に支援するため、在留合州連邦軍の出動を決定した』
一同の間に、驚きの空気が走る。
中でも最も驚愕していたのはソニアだった。
(……つまり、合州連邦がこのクーデターを公式に「反乱」と断定し、閣下の政権を事実上認めた……!)
合州連邦は過去に何度も非民主的政権と手を組んだことはある。
だが、それでもこれは異常事態だった。
世界最強の軍隊が、総統閣下を守るために大統領の命令で出撃する。
テレビの中で、マッケンジー大統領は静かに続けた。
『日之国政府を転覆しようとするテロリストたちのいかなる試みにも、合州連邦は断固として対抗する。我々は天流河総統と、彼を支持する日之国の国民と共にある』
ソニアの頬を、静かに涙が流れ落ちる。
「閣下、ネットもすごいよ!」
スマホをいじっていたチェルシーが画面を見せつけた。
そこには、溢れんばかりの総統閣下への応援のメッセージと、反逆者たちに対する怒りの声が綴られていた。
「――勝ったな」
閣下がゆっくりと立ち上がる。
彼は晴旭に向き直り、静かに言った。
「晴旭、おまえの負けだ」
青年が歯ぎしりする。
「おまえは戦術レベルで俺に勝利したかもしれない。だが戦略レベルで完全に敗北した。個々の戦術的勝利をいくら重ねても、戦略的絶対優位性の前ではなんの意味もない。おまえの幼稚な企みはここまでだ」
総統は晴旭に冷徹に宣告する。
(閣下は戦いに負け、戦争に勝った!)
サクヤが創設した陸軍海兵師団と、鷲尾大将の忠誠心。
ソニアが獲得した合州連邦大統領の信頼。
そして、ラァーラの誘惑がもたらした防衛長官と財務大臣の忠義の通報。
加えて、この反乱について知った国民は反乱者たちに激怒していた。それはチェルシーが日々活動し、広報担当として国民と信頼関係を構築してきた結果だ。
これまで閣下と四天秘書たちが積み上げてきたことがすべて、最後の勝利に貢献した。
(最後に勝っていればいい! ……そういうことなのね!)
閣下は戦略レベルでの勝利を計算しており、晴旭は戦術レベルでしか勝利を考えていなかった。
その差は、決定的だった。
たしかに学歴においても、知能においても彼は閣下の上をいく「スペック上の上位互換」かもしれない。
だが、最初から、この幼稚な暴君もどきに勝利などなかったのだ。
晴旭は悔しそうに唇を噛みしめた。
「国賊――天流河晴旭を捕えろ」
閣下の低く、揺るぎない声が響き渡る。
陸軍海兵師団の兵士たちが即座に動いた。
「くそっ……!」
晴旭は悔しげに唇を噛みながら、力ずくで両腕を拘束される。
最高評議会の裏切り者たち――内務大臣をはじめとする反逆派のメンバーも、次々と取り押さえられた。総統を超える権力を欲した彼らは、惨めな表情を浮かべていた。
「放せ! 俺は内務大臣だぞ! こんなことをして、ただで済むと思うな!」
「まだ終わってない! 我々には、まだ国外に支援者が!」
「そうだ! きっと老師殿が我々を!」
(そういうこと……)
サクヤは敗北を認めようとしない売国犯たちの戯言に呆れた。
(今回の反乱の裏には、きっとあの国がいるのでしょうね……。……やはり衝突は避けられない。
抵抗の声も虚しく、反逆者たちは次々と連行されていく。
晴旭は最後まで抵抗しながら、閣下を鋭く睨みつけた。
「……クソが! ふざけるな!」
だが、閣下は微動だにせず、ただ冷ややかに彼を見下ろした。
「おまえの時代は来なかった。それだけだ」
晴旭は兵士たちに押し出されていった。
――戦いは、終わった。
サクヤはゆっくりと息を吐く。
(終わった……)
けれど、その身体は未だに小刻みに震えていた。
制服を剥ぎ取られた姿でいることを、今になって強く意識する。
――そのとき。
「サクヤ」
閣下の声がした。
彼が、ゆっくりとサクヤに近づいてくる。
サクヤは思わず身体をこわばらせた。
だが、次の瞬間――
閣下は自身のジャケットを脱ぎ、そっとサクヤの肩にかけた。
「……っ!」
サクヤの胸が、ドクンと鳴る。
――温かい。
閣下の体温がまだ残るジャケットに包まれ、サクヤの心が急速に緩んでいく。
「すまなかった」
閣下が、低く、深い声で言った。
「怖い思いをさせた……」
次の瞬間、サクヤの視界が滲んだ。
――ああ、もう限界だ。
「……閣下!」
サクヤは思わず、閣下の胸に飛び込んだ。
閣下の腕が、迷いなく彼女を抱きしめる。
「閣下ぁ……!」
サクヤの喉から、嗚咽が漏れた。
「怖かった……怖かったよぉ!」
震える声で、何度も訴えるように。
「すまない……本当にすまない」
閣下の腕が、さらに強くサクヤを包み込む。
「もう大丈夫だ」
その言葉に、サクヤは力なく頷いた。
「……うん……」
涙が止まらない。
けれど、それは悲しみの涙ではなかった。
安堵。
信頼。
親愛。
そして――揺るぎない忠誠の証。
その様子を、ラァーラ、ソニア、チェルシーが静かに見守っていた。
「……よかった」
チェルシーが、涙ぐみながら微笑む。
「これで、終わったのね」
「ふふっ……」
ラァーラとソニアは静かに微笑みながら、ただその場に立ち尽くしていた。
外では、まだ混乱の余韻が残っている。
だが、この部屋の中だけは、穏やかな空気が流れていた。
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