第29話三人の女神

ナターシャは優しく微笑みながら、さらに語り始めました。

「アストリッド、あなたが紡いでいる糸は、ただの人間用の糸ではありません。それは、天使の衣装を作るための材料なのです。」アストリッドは驚いてナターシャを見つめました。その意味をさらに知りたくなります。

「先ほど現れたあの化け物は、暗い世界からやってきたハエの王で、ベルゼブブという悪魔サタンの手下です。」ナターシャは静かに言いました。

「この糸で編まれた衣装を身に纏った天使たちがこの世に増えることは、化け物たちにとってとてつもない脅威です。」ナターシャの声は静かですが、その言葉には力が込められていました。

「この糸で編んだ布は、心の正しい人にはただ美しい布に見えます。しかし、心悪しき者には、鋼の矢さえ弾き返す絶対的な武器に映るのです。あの衣装自体が、最高の武器なのです。だからこそ、その力を恐れ阻止しようとする者たちが現れるのです。」

アストリッド はその話に耳を傾けながら、胸の奥が熱くなるのを感じました。ナターシャは続けます。

「アストリッド、あなたのお父様も、この衣装を身に纏って国のために戦っておられます。」その言葉に、アストリッドは涙をこらえることができませんでした。父が亡くなった後も、どこかで家族を、そしてこの国を守っているという事実。それが彼女にとってどれほど大きな慰めとなるか、言葉では言い表せません。ナターシャはアストリッドの手を取り、

「私はそろそろ天寿を迎えようとしています。長い間、この任務を担ってきましたが、次の担い手を探していました。そしてあなたを選びました。」と優しく告げました。

「私を?でも、なぜ?」アストリッドは混乱した様子で尋ねました。

「あなたは強く、優しく、そして何より心が正しい。この大切な仕事を引き継ぐのにふさわしい人だからです。」ナターシャの言葉には深い信頼が込められていました。

「でも、私にはわからないことがたくさんあります。北欧の女神というのは、キリスト教の神様とどう違うのでしょうか?」アストリッドの心には疑問がまだ残っていました。

ナターシャは穏やかに答えました。

「私が仕えるフリッグや、他の女神たちも、元は心正しく生きた普通の人間でした。後の世の人々が彼女たちの善行を讃え、神格化したのです。神様の心に近い行動をすることには、昔も今も未来も関係ありません。善い行いは、時代を超えて価値があるものです。」

「そして、あなたのお父様も、天使の衣を着て、神様の国で魔軍と日々戦っておられます。神様は全知全能で、教えが広まる前に存在した人のこともすべてご存知です。正しき者は救われ、誤った者はきちんと裁かれているのです。」


アストリッドの目に涙が浮かびましたその言葉が終わるか終わらないかのうちに、言い表せないような良い香りが部屋中に広がり、部屋の明るさが増しました。不思議な光に包まれているのです。アストリッドの目の前に、三人の美しい女性の姿が現れたのです。最初に現れたのは威厳に満ちた女神でした。青い衣装に銀の髪、その瞳は深い知恵を湛えています。この方がフリッグ様。とナターシャは紹介しました。「オーディンの妻にして、家庭と結婚の守護神。」続いて、黄金の輝きを放つ美しい女神が姿を現しました。猫に引かれた戦車に乗り、その表情には優しさと激しさが共存していました。こちらがフレイヤとナターシャは続けました。「愛と美と戦いの女神。」最後に現れたのは、緑の衣装をまとった女神でした。彼女の周りには緑の草木が生え、生命の息吹が感じられました。「この方がエール。」とナターシャは言いました。「癒しと健康の女神。」三人の女神たちはアストリッドを見つめ、微笑みました。

次第にその姿を変え、普通の主婦のような温かみのある女性の姿となりました。最も年長に見える女性が一歩前に出て、優しい声で語りかけます。

「私はフリッグ。家庭と結婚を守護する者です。」次に、豊かな金髪を持つ女性が微笑ました。「私はフレイヤ。愛と豊穣を司ります。」最後に、穏やかな癒しの光を放つ女性が頷きました。「私はエール。癒しと治療の力を持つものです。」

フリッグが優しく語りかけました。「ナターシャの話したことはすべて真実です。地上の人間は、フレイヤはこういう姿をしていて、こういう神様であると思っています。そして今あなたの目の前にいるような格好で、仮にそのものの前に出て、自分がフレイヤだと言ったところで、その人が信じません。だからこそ、そういう姿を仮に見せているだけです。あなたが見ているこの姿すらも本物ではありません。私たちは心であり、光であり、普通は見ることができない存在です。そして、貴方が紡いでいる、月の光から紡がれる糸は、数々の天使たちの衣を作る糸なのです。でも、この糸は、人間の世界でしか作ることができません。なぜならば、神の国は光の世界、どこもかしこも明るすぎて、月の光が存在しないからです。」

フレイヤが続けました。

「この世界には、暗闇や苦しみ、悲しみが存在するように見えます。しかし、それらは光を知るために神が用意した仮の存在にすぎません。本来はないものです。乗り越えたときに初めて、その意味がわかるでしょう。」エールは優しく微笑みながら言いました。

「人生は一冊の問題集のようなもの。解けない問題は出されません。すべての試練には、必ず乗り越える力が与えられているのです。」アストリッドは三人の女神を前に、畏敬の念を抱きながらも、不思議な親しみを感じていました。彼女はゆっくりと腰を下ろし、神々の前で頭を下げました。

「私は...この運命を受け入れます。微力ですが、この任務を果たすために全力を尽くします。」フリッグは満足げに頷き、語りかけました。

「あなたの紡いだ糸玉は70個ありますね。69玉使って、23個の糸を撚ったら、1玉余りますから、それをあなたが可愛がって飼っていた10頭の羊の毛に混ぜて毛糸を作り、ショールを編んでお母様に着せておあげなさい。」エールも優しく言葉を添えました。

「森に住む隠者を訪ねなさい。私の使いだと言えば、快く特別な薬をくれるでしょう。それをお母様に飲ませるのです。」フレイヤは立ち上がり、

「あなたのお母様に会わせてください。」と言いました。

アストリッドの導きで奥の部屋に入ると、フレイヤはマリアの頭を優しく撫で、

「必ずアストリッドがあなたの病を癒します。もう少しの辛抱です。」と囁きました。三人の女神は最後に、それぞれアストリッドに祝福を与えました。フリッグは、

「近いうちに、カディーン・マグヌッセンという青年が来ます。彼はホーの青年で、その人に出来上がった糸玉を渡してください。」と告げました。アストリッドは不思議に思いながらも頷きました。

「わかりました。でも、どうやって彼だとわかるのでしょうか?」フリッグは優しく微笑みました。

「心配無用です。彼があなたを見つけるでしょう。そして、あなたの心が彼を認めるはずです。」そう言って、女神たちは、また光の中へ帰っていきました。アストリッドは残った糸玉を全て糸に仕上げました。出来上がった糸は全部で23ありました。 

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