第26話

「今年で二十二さ」


突拍子とっぴょうしのない質問だったが、彼女は即答する。


「では、お子さんは?」

「上の子が七つ、下が五つさ。かわいいだろ?」


 彼女の回答に、思わず口を手で覆ってしまう。

 そもそも彼女は二十代に見えない。そして初産を十五で経験しているというのがさらに驚きだ。


 貴族令嬢の中にも早期の結婚と出産を迎える者はいる。親同士の親交があると、生まれた時にはすでに許嫁が決まっている――なんてことはざらにあり、その家系が世継ぎを求めていた場合などは特に顕著だ。


 ちなみにその点で言えば、着実な政略結婚を迎えるマクワイヤ家の令嬢はむしろ晩婚傾向であると言える。


 しかしエイダは、早期の結婚、出産を経験しながらも、力強い母親として子供を育て、旦那を支えている。まさに理想の母親像と言えるだろう。

 そういう意味では、貴族が求める嫁像というものは、少し歪なのかも知れない。


「よっし、これでいいね。明日の朝には乾いているさ」


 エイダはいつの間にか洋服を洗い終え、それを棒のようなものに吊るして肩に担いでいる。彼女は「ちっと待ってな」と言って外に消えていき、またすぐに戻ってきた。その肩からは棒が消えており、庭にでも干したのだろう。私は改めて謝辞しゃじ会釈えしゃくをした。


「ありがとうございます。明日、取りに伺いますから」

「んにゃ、辞めときな。あんたらが来ると、また旦那みたいなバカが迷惑かけるかもしんないから。届けてやるよ」


 エイダはそう言って高らかに笑った。


 ダンの態度で、如何いかに前領主がみ嫌われているかを肌で感じることが出来た。ダンはあれでも村の代表だ、感情をぎょする心得もいくぶんは持ち合わせていたはずだ。それをあれ程に狂気させるほどの憎しみが、この村に根付いていたとしたら――。出向くのは自殺行為だろう。それでなくとも、村人たちにとって良いことは一つもない。少なくとも、現時点は。


 ここは彼女の提案通り、届けてもらうのが無難だろう――そう思い至った所で、真面目な顔になったエイダと目が合った。


「そういや、あんたら、今、どこ住んでるんだい? あのでっかい館には、だれも入れなかったろ」


 彼女はそう言って人差し指を頬にあてて、なんだか疑問があるといった様子だった。


 その時私は違和感を覚えた。

 ――なぜこの人はそれを知っているんだろう?

 しかし余計なことを口にするのは避けるべきと本能が警告した。

 

「そのすぐ近くに、小屋がありまして。以前は庭師が住んでいたらしいのですが」


 そこまで言うと、エイダは大げさに拳を掌に叩きつけ、ああ、と唸った。


「あのじいさんのところか。そりゃあんた、大変だったろうに」


 エイダはまるで家の中の様子を知っているかのようだ。


「ええ。蜘蛛の巣を取るのにも一苦労で」

「そうだろう、そうだろう」


 彼女は得心の様子だが、反対に私には疑惑の念が浮かび上がってくる。


 彼女の仕草のそれは、合点が言った時のそれと同じだった。脳内にその光景があって、かっちりとはまった、という感じだ。それはつまり、彼女はその風景を見たことがあるということだ。


 私達の新居と村の距離は別に遠いわけではない。しかし丘陵地帯ゆえの勾配こうばいで、村から見れば新居は坂を上った先にある。村の生活圏内で考えれば、わざわざそこまで出向くのは不自然に思えるのだ。


 確かに新居は領主館の敷地の外側にある。村人でも気軽に立ち寄ろうと思えばできただろう。しかし、その建物は領主館勤めの庭師の作業効率化を目的に造られたものであるわけで、得てして領主の持ち物と考えるのが普通の感性ではないだろうか。


 そんな所に、内側の状況を記憶できるほどの頻度で、通うものだろうか?


「なぁ、やっぱり、届けてやるよ。せっかくの服が汚れたら元も子もないだろう?」


 とはいえ、エイダの笑顔はまるで快晴のごとく爽やかで澄み切っている。その裏に思惑と策略が巡らされた令嬢のそれとは、本質的に異なるように思えるのだ。


「……お言葉に甘えさせて頂きます」


 疑わしきは、信じるべき。

 疑念に視界が曇るくらいなら、世界の美しさを信じたい。

 少なくとも、彼女は私を助けてくれた。今だって、そう。

 その言葉を信じることが、恩義に対する最大の礼だろう。


「それでいいのさ。若いうちは」


 エイダは任せておけと言わんばかりに腕をまくった。その腕は意外なほどたくましく、生きて来た道が違うことを痛感させられる。


 そして彼女は、私へ寄り添い、耳打ちした。


「――その代わり、と言ってはなんだけど、さ?」





■■■





 一方、居間の様子である。


 エイダとエーリンが離れた後、男三人となった居間には重苦しい雰囲気が漂っていた。隣からは壁越しにエイダの快活な声が聞こえてくるが、それがまたこの重苦しさを浮き彫りにするのである。


 無理もない。男社会で男尊女卑だんそんじょひが当たり前に根付く本国で、たった今、男の立場と矜持きょうじ粉微塵こなみじんにされる場面に出くわしてしまったのだから。威厳いげんすら喪失そうしつした男の背中は寂しく、これも男のさがなのだろうか、先ほどまで相対あいたいしていた相手とはいえ、どうにも同情を禁じ得ない。


 床に胡坐あぐらをかいたまま押し黙るダン。そしてその背中になんて声をかけるか逡巡しゅんじゅんするオラリオとラル。二人は無言のまま目線でやり取りを続けていたが、たった今、折り合いがついた。オラリオは喉を鳴らすと共に、襟元えりもとを正した。


「――奥様がああは言っているが、本当に良かったのだろうか」


 オラリオがたずねるのは、一家の主として、村の代表としての裁量さいりょうである。いくらパワーバランスが妻にあろうとも、その二つを握るのは間違いなく夫の方だ。同じ男であるからこそ、本人の言葉を待たずに事態を進めてしまうことが落ち着かないのである。


「ああ。かまわねぇよ。あいつは言い出したら聞かねぇから」


 しかしダンの返答を待って、それも思い違いだと知る。本人の了承を得たところで、居心地の悪さは変わらないのだ。オラリオは、聞き分けの良い妻を持ったことに感謝しつつ、いつかは自身もこうなるかも知れないという未来に思わず身震みぶるいした。


「この恩は忘れない。必ず返そう。この村の、アトラ領の再興さいこうをもって」


 オラリオはダンの傍に立って告げた。抱いていた野心は今、信念へと昇華された。生真面目きまじめ潔白けっぱくな彼にとって、この言葉はまさしく宣誓せんせいである。


「この村の生まれじゃなかったら――俺も、その言葉を信じられたかも知れねぇな」


 だがダンには、それを受け止めることはかなわないようだ。


「――食料の管理のことは、大方ラルに任せてんだ。あとはそっちでやってくれ」


 依然いぜん、背中を向けたまま語るダンだが、続く言葉はいくら待っても出てこなかった。オラリオとラルは顔を見合わせ、ラルはうなずいた。


「倉庫はこちらです。ダンさん、ご案内して、いいですよね?」


 しかしその背中からは返答がない。


 オラリオはそうしてラルの案内で扉に立つと、潜り抜ける前にもう一度男の背中を見た。それは確かに、守る物がある者の背中であった。




「――恩に着る」



 オラリオは言葉にするとともに、心に誓った。



 ――必ずや、この男に認められる領主となることを。

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