第17話

 領主が領土から逃げ出す? そんな話は聞いたことがない。


「誰も話したがらないさ」

 

 私が口にしていない疑問に、オラリオは予想していたように答えた。


「それ以来――つまりこの二年間、このアトラ領は領主不在で放置され続けていた。治安管理、医療の提供、首都との物流を含めた全ての交流が停止したアトラは、陸の孤島となっていた訳だ」


 なんとひどい話だろうか。


「まぁある意味、それは彼らにとって良いことだっただろうが。なにせ、苦しめていた税徴取がなし崩し的に中断されていたのだから」


 だがこれで、オラリオが言っていたことの意味が分かった。


 ――領主館には入れない――

 ――二年前から領主が不在――


 領主が逃げ出すほどの財政難であったらなら、本来領主が提供すべき行政はまともに機能していなかっただろう。領民からすれば、貴族はまさに百害あって一利なしの存在だったに違いない。


 そんな領主不在の現状は、彼ら領民にしてみれば楽園と言えるだろう。


「私たちがここにきたということは、再び徴税が始まるという事を意味する。アトラ領民の貴族に対する反感は、他地方より厳しいものになるだろう」


 ――そこに食料を貰いに来た、となれば――


「そんな状況だ。素直に応じるかどうかはなんとも言えない。暴力沙汰になることも覚悟しなければ。暴力で済めば、ましな方かも知れないが」


 最悪の事態が脳裏に浮かび、思わず唾を飲んだ。

 そして私の中で全ての事象が紐づいた。


「もしかして、私たちがここに送り込まれたのは――」


 アトラ領は本国外縁に位置する辺境だが、こと政治の範疇はんちゅうとなればその価値は大きい。隣国の国境の維持、流民の越境の阻止、異国からの揚陸ようりく作戦へのけん制。首都部から離れているからこそ、その管理維持はきちんと行わなければならない。


 とはいえそこに新たに就任する辺境伯へんきょうはくには危険が伴う。領民の反乱により命を失うかも知れないと聞けば、そこに喜んで向かう貴族はいないだろう。


 だったら、死んでも問題ない貴族であれば――?


「――そういうことだ」


 なるほど。死んでも問題ない罪人貴族を辺境に送り込み様子見、うまく行けば御の字――そんなところなのだろう。


「そういう事情だ。だから、私は貴方を連れて行きたくない」


 新婚生活二日目。領民から殺害される――確かに最悪の展開だ。オラリオもそれを警戒しているのだろう。

 

 けれど私はオラリオの態度に矛盾を覚えるのだ。


「待っていろ、とは言わないのですね」


 オラリオと目が合う。


「それは、私を連れていくメリットを捨てきれないから、ではありませんか?」


 図星を突いたのか、私の言葉に、彼は静かに視線を落とす。


「食料を分け与えてもらうなら、女性の私が同席した方が印象は良い。彼らとしても、いくら憎き領主とは言っても、さすがに女に手をかけるのは気が引けるでしょうし。むしろ、女の私が甲斐甲斐しくお願いをした方が、同情を誘えてよいのでは――と、そうお考えなのではないですか?」


 オラリオは深くため息をついてから、「その通りだ」と言った。


「――行きます」


 私は身を乗り出して言った。


「そもそもお願いをするのに、本人が行かないなんて誠意がありません。そういう態度で領民を落胆させてしまえば、後々に響きます。何より私はオラリオ様の妻です。夫の危険をただ家で待つなんて、私にはできませんわ」


 夫を支えること。それがマクワイヤ家に生まれた女の矜持である。

 仮にもしオラリオが殺されてしまったのなら、私は己を生涯許せないだろう。


 しばしの沈黙のあとだった。


「……ふ、ふふふ」


 オラリオが不気味に笑い始めた。

 一体なにがおかしいのだろう?

 私の決意を笑うとは……なかなかにいい度胸をしている。


 不満の視線を向ければ、オラリオはモノクルを直しながら言った。


「いや失敬しっけい。悪意はないのだ」

「本当ですか?」

「ああ。少し嬉しくなってしまってな」


 そういうとオラリオは意地悪そうな笑みを浮かべながら立ち上がった。


「頼もしいパートナーだ、貴方は」


 オラリオは手を差し伸べている。窓から差し込む光が彼の美顔をより輝かせている。


「失望させないよう、はげみます」


 私はその手を取って、立ち上がる。


「行こう」


 二人は互いの意思を確かめるように見つめた後、並んで玄関まで向かった。



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