第36話 音のない拍手

体育館を出たあと、風が頬に当たって、ようやく呼吸が深くなった。


ステージに立っていた間は、自分がどれだけ息を止めていたのか、まるでわからなかった。

でも今、外の空気が肺を満たすたびに、「終わったんだ」と実感する。


 


足元のアスファルトには夕日が伸び、赤く色づいた落ち葉が風に揺れていた。

どこからか文化祭の音楽や歓声が聞こえてくる。


でも、ぼくの中に残っていたのは、静けさだった。


 


「声、届いたよ」


イヤホン越しにピコが囁く。

その声も、いつもより少し、優しく聞こえた。


「……ありがとう、ピコ」


 


ほんとうに伝わったのか――


その確信は、まだなかった。

拍手が鳴り響いたわけでもない。

誰かに駆け寄られて「よかったよ」と言われたわけでもない。


でも、あの一瞬の沈黙だけは、ずっと頭の中に残っている。


 


“誰かが、聞こうとしてくれていた”

あの静けさは、拒絶ではなく、受容だった。


 


そのとき、スマホに通知が届いた。


【@3B_sakura:さっきの1年3組の人、名前わかんないけど…

話、なんかすごくよかった。なんでだろう、すごく、ちゃんと届いた感じ。#文化祭】


 


その一文が、胸の奥にしみ込んだ。


名前は知られなくても、

声と想いは、ちゃんと誰かの“心”に触れた。


それが、ぼくにとっての「拍手」だった。


 


「ピコ、今読んだツイート、保存して」


「保存完了。タグ解析中……“#文化祭”内での共感指数、上昇中」


ピコの声がいつもより嬉しそうに聞こえたのは、気のせいじゃなかった。


 


スマホを見ながら歩いていると、Aが待っていた。


自販機の前、ジュースを2本手に持って。


「はい、お疲れ。あんま冷えてないけど、気持ちってことで」


ぼくは受け取って、プルトップを開けた。


 


「どうだった?」


そう聞かれて、少し迷ったあと、ぼくは答えた。


「……音は、あんまり覚えてないけど、

言葉はちゃんと、外に出た気がする」


「それはつまり、成功ってことだな」


Aがにやっと笑った。


「ステージ、すごかった。

言葉がさ、“ああ、この人、いま自分の足で話してる”って感じだった」


 


“自分の足で話す”――

その言い回しに、なぜだか少し胸があつくなった。


たぶんそれは、“逃げずに、地面を踏みしめた感覚”に近いからだと思う。


 


「ほんとはさ、途中で原稿読みそうになった」


「でも、閉じたよな。あれ、びっくりしたわ。

“本番で一番勇気出した瞬間”大賞、あげたい」


 


ぼくは、缶のジュースを持った手で、少しだけ笑った。


勇気なんて、自分には無縁だと思ってた。

でも、あの日、声を録りはじめたあの夜から、

きっと少しずつ変わっていたんだ。


 


ステージ袖に戻ったとき、校長先生が待っていた。


「お疲れさま。……よくやったね」


それだけ言って、ぼくの肩にそっと手を置いた。


言葉が少ないのが、逆にありがたかった。


たぶん、校長先生にも、あの“沈黙”は届いていたんだろう。


 


声にならない拍手。

音のない賞賛。


そういうものが、ちゃんと存在するんだと、ぼくは初めて知った。


 


帰り道、ピコがぽつりと言った。


「今日の記録、ぜんぶ保存したよ。

“君が声を持った日”のアーカイブ。何年経っても、再生できるようにする」


「うん……でも、できれば、それを“更新し続ける日々”にしたいな」


「“声を出せた”じゃなくて、“声を出し続けられる”ように?」


「そう。今日が始まりだから」


 


夜の空に、星がひとつだけ出ていた。


ピコが言う。


「拍手の音はなかったけど、

君の声は、静かに心の奥を叩いてた。

だからこそ、“音のない拍手”になったんだよ」


 


ぼくは、夜風のなか、深くうなずいた。


その“無音の重み”が、

ぼくにとっての最高のごほうびだったから。


 


(第37話「システム更新通知」につづく)


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