第12話 校長室の白いソファ
呼び出し、という言葉は、どうしてあんなに特別な重みを持つんだろう。
たった一言なのに、心臓の鼓動を速くしたり、頭の中を真っ白にしたり、
いろんな不安を想像させてしまう力がある。
「坂井校長先生が、職員室経由で……放課後、少し来てくださいとのことです」
そう担任に伝えられた瞬間、ぼくの脳内では十数個の“やばい理由リスト”が自動生成された。
SNSのこと、朝礼のこと、作文のこと、匿名アカウントのこと──
どれが理由でもおかしくない。でも、何も言われていない。
ぼくの顔を見た担任は特に何も深追いせず、「すぐ済むと思うよ」とだけ言った。
でも、“すぐ済む”ことほど、なぜか深く刺さるのだ。
放課後の廊下を、ぼくは少し早足で歩いていた。
誰かとすれ違うたび、目を合わせないようにしてしまう。
まるで“何かをやらかした人”として見られているような気がして、落ち着かない。
階段を上がってすぐ、職員室の前を通り抜け、
その奥にある――校長室のドアの前で、ぼくは立ち止まった。
ドアの向こうでは、何が待っているのだろう。
名前を呼ばれて、怒られて、説教されて、
あるいは……もっと予想もできないことが。
ドアノブに手をかけようとして、ためらう。
けれど、逃げられない。
そっとノックした。
「……どうぞ」
静かな声が返ってくる。
それを合図に、ぼくは意を決して扉を開けた。
校長室の空気は、意外なほど柔らかかった。
明るすぎない蛍光灯。
壁には表彰状と記念写真、窓辺には観葉植物。
大きな机と、ソファセット。
そして、ふわっと香るコーヒーの香り。
学校という“機械”の一部というよりも、
どこか“人が住んでいる場所”のように感じられた。
「来てくれてありがとう。座って」
そう言われて、ぼくはソファに腰を下ろした。
座面が思ったよりも沈み込んで、体が少し後ろに倒れた。
目の前には、校長先生が同じようにソファに腰を下ろしていた。
まっすぐぼくを見ているけれど、その視線はどこか“柔らかい”。
「……驚いたかな」
「……はい、ちょっとだけ」
嘘じゃなかった。
というか、むしろ“ちょっと”どころじゃなかったけれど。
校長は、手元のファイルを閉じ、ぼくの方に体を少しだけ向けた。
「まず、誤解しないでほしいんだけど……君を叱るために呼んだわけじゃない。
責める気もない。ただ、話したくなったんだ」
その一言で、ぼくの中の緊張が、わずかに解けた気がした。
「実は、君のことを知るきっかけになったのは、うちの甥なんだ」
「……甥?」
「うちの家族、何人かこの学校の卒業生でね。
その一人が、ある日突然、こんな投稿を見せてきたんだ」
そう言って、校長はスマホを差し出した。
そこには、あの“校長レトロ説”の投稿が表示されていた。
「あれだけの文章を書く人が、ただのいたずらで済むはずがないって。
それを読んだとき、どこかで見覚えがあった。君の作文だったよ」
ぼくは、言葉を失った。
そんな偶然があるんだろうか。
それとも、やっぱり偶然じゃなくて、
こうなる運命だったのかもしれない――なんて、変な考えがよぎった。
「君の書いたものには、“ちゃんと伝える力”がある。
だから、お願いがあるんだ」
校長の声が、ふいに真剣さを帯びた。
「私と一緒に、次の校長講話を作ってくれないか?」
やっぱり来た。
いや、正確には“ついに来た”。
あのとき、ピコと深夜に話していた“もしも”が、今、目の前で現実になっている。
「もちろん、すべては君の自由だ。
断ってくれてもいい。でも、君の力が必要だと思った」
校長は、そう言ってぼくに真正面から頭を下げた。
たった数秒。
けれど、その一瞬で、ぼくは何かを掴まれた気がした。
部屋の片隅では、空気清浄機が静かに動いていた。
ソファの白が、やけにまぶしく感じられる。
何も言わなければ、何も変わらない。
だけど、もしここで手を伸ばしたら──
ぼくは、小さく息を吐いてから、声を絞り出した。
「……もし、ぼくが書いたとして。
名前は、出さないままでいいですか?」
校長は、少し驚いたような表情を見せた後、すぐにうなずいた。
「もちろん。私の言葉として発表する。
それでもいいなら、ぜひ力を貸してほしい」
ぼくは、もう一度だけ深く息を吸い込んだ。
白いソファに沈みながら、
自分が、いま確かに“巻き込まれていく”感覚を味わっていた。
でも、その中には、ほんのわずかに――
“期待”と呼べそうな気持ちも混ざっていた。
(第13話「依頼という名の賭け」につづく)
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