第五話

 真昼の陽射しを浴びながら、誰もいない屋上の隅に座って空を見上げる。

 今日は誰からも誘われることがなかったため、こうして時間が流れるのを待っていた。

 今はちょうど良い気候で快適だが、雨が降った時や、夏の暑すぎる時期はどこで過ごせばいいのだろうか。

 

(空いてるところ探そうかな……)


 自分用に持ってきたクッキーを食べながら考えていると、屋上の扉が開き、意外な人物が姿を現した。


「え、時雨くん……?」

 

 疲れたような表情で現れた彼は、私に気がつくといつもの微笑みを浮かべた。


「やぁ、美琴」


「こ、こんにちは?誰かと一緒じゃないんだね」


「ふふっ、うん。ちょっと休憩しようかと思って……隣座ってもいい?」


「もちろん、いいよ」


 そっと腰を下ろした彼の顔色は、ほんの少しだけ青ざめていた。額にじっとりと汗を滲ませている。


「あの、時雨くん?」


「……ん?」


 ぼんやりしていたのか、いつもより反応も鈍い。


「えと、勘違いだったらごめんね。もしかして、具合悪い?」


 彼はほんの一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、再び微笑んだ。

 

「……なんで?元気だよ」


「そ……う?」


「うん、でも心配してくれてありがと」


「……」


 どうして嘘をつくのだろう。

 尋ねることも出来ないまま見つめていると、誤魔化すかのように違う話題を振られた。


「そんなことより、少しは文芸部に慣れた?」


「あ……慣れたかはわからないけど、久遠さんも瀬名くんも優しくて良い人だと思うよ」


「そ、良かった。……ところで俺は?」


 本人に言うのが恥ずかしいからわざと省いたと言うのに、ニヤニヤしながら聞いてくるのは反則だと思う。


「し、時雨くんも……だよ?」


「ふふっ……ありがと」


 抗議したい気持ちを抑え、ふと疑問に思ったことを口にしてみた。


「時雨くんはどうして文芸部に入ったの?」


 彼ならあらゆる部活から勧誘がきそうなものだ。それなのにどうして、文芸部を選んだのだろう。


「……なんでだと思う?」


「え、なんでって……?読書が好きだから……とか?」


「じゃあそれで」


「……?」


 からかわれているのだろうか。よく分からないまま見つめていると、彼はニコッと微笑んだ。何を考えているのかわからない。


「……時雨くんって不思議な人だね」


「そう……?まあ、そう思われるようなことしかしてないからね」


「え?え……?」


 悲しそうに俯く時雨くんを見つめ、言葉の意味を考える。すると、彼は下を向いたままクスクス笑い出した。


「ふふふっ……!うそうそ、適当に言ってみただけだよ。美琴ってすぐ本気にするんだね」


「なっ……!今真剣に考えていたのに……」


「ふふっ……おもしろ」


「……」


 思えばこんなやり取りばかりな気がする。

 わざとムッとした表情を見せていると、彼は私の手に持っているクッキーの袋をじっと見つめた。


「さっきから気になってたんだけど、それ何?」


「あ、えと、今日文芸部の皆にクッキー持ってきてて、これは私が食べる用のやつなんだけど……」


「美琴の手作り?」


「う、うん」


「へぇ……良ければ一枚くれない?」


 驚きはしたものの、味見をしてくれるというのなら願ってもないことだ。


「いいよ。バターとココアと紅茶があるから好きなの取って」


「ありがと、いただきます」


 袋を傾かせて中身を見せると、時雨くんは迷いなくココアクッキーを手に取り、口へ運んだ。

 ドキドキしながら見守り、やがて彼は表情を綻ばせながら呟く。


「美味しい……」


「ほ、ほんと……!?」


「うん、俺甘いもの好きだから嬉しいよ。きっと二人も喜んでくれると思う」


 飛び上がってしまいそうなほど嬉しい言葉を貰い、顔がニヤける。そんな私に彼は追い打ちをかけた。


「美琴はすごいね、こんなに美味しいもの作れるなんて」


「あ、あんまり言われると照れちゃうよ……」


「ふふ、顔真っ赤……」


「は、恥ずかしいからあんまり見ないで……?」


「えー?」


 小悪魔のような表情で私を見つめた彼は、やがて小声で呟いた。


「……ありがと、ちょっと元気出た」


「え……」


「ふふっ……」


 再び誤魔化されてしまい、結局それ以上何かを尋ねることは出来なかった。


(やっぱり何かあったのかな……?)


 心配になってしまうものの、教室へ戻った時にはいつも通りの彼に戻っていた。具合悪そうな素振りが少しも見えない。

 あれは私の勘違いだったのだろうか、それとも……



 ――放課後。

 文芸部の皆が揃ったタイミングで恐る恐る口を開いた。


「あ、あの……ちょっといいかな?」


「……?どうかしました?」


「う、うん。実はクッキー焼いてきたんだけど、良ければ読書のお供にどうぞ……」


 緊張で手を震わせながら、紙皿にクッキーを並べ、取りやすいよう机の中央へ配置した。甘い香りが部室内に漂う。


「え、まじ?すげぇ美味そう!」


「うん、ココアクッキー貰ったけど美味しかったよ」


「は!?お前食ったの!?」


「お昼休みにもらった」


「ずりぃなお前」


 じゃれ合う二人を横目に、久遠さんがニコニコと笑みを浮かべる。


「本当に美味しそうですね!早速一枚頂いても良いですか?」


「う、うん、もちろん……!」


「俺もいただきー!」


 久遠さんが紅茶、瀬名くんがバター、時雨くんが再びココアのクッキーを手に取り、口へ運んだ。


「うまぁ!これほんとに美味い!美琴天才だな!」


「とても美味しいです……!紅茶の風味が効いてて、何枚でもいけちゃいそうです!」


「おいし……」


 口々に褒められ、嬉しくなるのと同時に、やはり顔が熱くなってしまう。


「よ、喜んでもらえて良かった」


「これは読書も捗るわー!ありがとな、美琴!」


「ありがとうございます、美琴さん!」


 満面の笑みをこちらへ向けられた瞬間、ここにいることを許されたような気がした。やはり私にはこれしかない。


 クッキーが減っていくのと共に、後ろめたさも薄れる。喜びで頬が緩むのを隠しながら読書に勤しんだ。


(役に立てたかな……?)


「あ……なぁ、美琴」


「どうしたの?」


 瀬名くんに呼ばれ顔を上げると、彼は申し訳さそうな表情で私に尋ねる。

 

「このクッキー、何枚か持って帰ってもいいか?すげぇ美味いから、妹にも食べさせたくて……」


「え、うん。それは全然構わないけど……」


 時雨くんと久遠さんの方へ視線を向けると、二人とも静かに頷いてくれた。


「あ、このままじゃ持ち帰れないよね。元々入ってたラッピング袋で良ければ使う?」


「え、いいの?めっちゃ助かる、ありがとな!」


 瀬名くんは残っていたクッキーを何枚か袋に詰め直し、カバンのポケットへ入れた。

 時計は十六時半を示している。彼はいつもこの時間に帰ってしまうのだ。


「図々しい頼みでごめんな、いつかお礼するから」


「あ、ううん、全然気にしなくていいよ?」


「そういうわけにもいかないだろ。じゃあなまた明日!」

 

「はい、お疲れ様でした」


「またね冬樹」


「あ、うん。またね」


 軽く手を振った瀬名くんは、足早に部室から去っていってしまった。


「瀬名くん、美琴さんのクッキーとても気に入られたんですね」


「そ、そうなのかな?それなら嬉しいけど……」


「はい、もちろん私も好きですよ!特にこの紅茶のクッキーが美味しくて……」


 久遠さんは紅茶系のお菓子が好きなのだろう。今度、彼女の為に紅茶のシフォンケーキでも焼いてみようか。


(時雨くんは……)


 ココアクッキーに手を伸ばしている回数が多い。チョコレート系のお菓子が好みなのかもしれない。


(瀬名くんにも聞いてみようかな……?)


 照れと喜びで気持ち悪い笑いを浮かべながら、今日は何を作ろうかと考えた。

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