黒道。

M

第1話

備後国古吉津町。

この町は港町として発展してきており、段々と人口も増えてきている。安芸国との連携もこの先見られるのではないだろうか。


”一八七一年に安芸国と備後国が同じ広島県という名で置県されてから……”

「もう二年前か。」

黒髪が残照に当てられ、キラッと一瞬光る。

「そしてもう夜……ね。」

日本酒を嗜みながら新聞を流し見する。お酒を呑みながら夜を迎え、あまりいい気分ではないがそこはかとなくある高揚感に苛まれていた。

ため息をつきながらよれた着物の帯を締め、立ち上がる。

「さて、と。行きますか。」

この男、十九歳。職業ホスト。公にはただの居酒屋で外装もちんけな看板ただ一つ。笑顔に酒に甘い言葉で女を魅了する、知る人ぞ知る遊び場だ。

自宅より離れた場所で構えているその遊び場は、人があまりいないせいか、よく近所の野郎共の溜まり場になっている。

だが今日は俯いている少女が一人。

あまりに若い見た目をしているため客という訳ではないだろう。

「どうしたんだい。可憐な少女がこんな場所に一人でいたら悪い人に攫われちゃうよ。」

作り笑顔とは思えないぐらいの爽やかな笑顔に困り眉で少女に話しかける。

少し間が空き、俯いていた顔をゆっくりこちらに向けた。

その瞳には涙が浮かんでおり、小さい口から何かを発しているようだがよく聞こえない。近付いてみる。

「……気持ち悪い。」

気持ち悪い?何が?吐きそうだとか、虫が付いているだとか、そういう事だろうか。もう少し詳しく教えてほしい。

「もうちょっと詳しく……」

「気持ち悪い……近付くな!」

そう言った瞬間、胸元に隠していた刃物を取り出し勢いよく目に飛び掛る。

咄嗟に避けれたが危なかった。

「おいおい、物騒なことするなぁ。店前で殺人事件起きちゃったら溜まったもんじゃねぇよ。」

刃物を避けたのは良いが頬に少し傷が入る。血が一筋流れるのを見たからか少女の勢いが弱くなった。

このうちに刃物を取り、一応手を縛っておこう。


︳︳︳︳︳店の中

「嬢ちゃん、名前は?」

「……チヨ。へーすけが付けてくれた名前。貴方、武士でしょう。ねぇ、男の子見なかった?」

「急によく喋るじゃねぇか。」

「貴方こそ、さっきまでの優しそうで気持ち悪い声とは裏腹にどん底のような声してるじゃない。」

初対面な上に殺そうとしたくせに舐めた態度をとられている。

「客じゃねぇ奴にわざわざするかよ。それに、俺は武士じゃねぇぞ。」

この女、よく見ている。手の付き方や避ける動作で分かったのだろうか。俺は武士ではないが剣術に精通している。といっても流派もなければ習ったことなど一度もない。才能というやつだ。昔手合いしたことがある。

「へーすけ?ってのは誰なんだ。」

「……馬鹿な奴。あたしの言うこと聞かないで先々行っちゃって。先生の影を追うのはもうやめなって言ったのに。」

よく分からないが喧嘩した雰囲気だ。

「まあ、ここにいられるのは迷惑なんだよ。早くどっか行け。」

「待って、貴方の名前は?」

「名前?……あー、名乗るほどのもんじゃねぇよ。」

「……カッコつけたいだけでしょ。教えて。」

「カッコつけさせてくれよ……まぁいい。俺の名前は瀬戸明臣。悪用するなよ。」

「貴方の名前を使うことなんかないわ。それじゃ。」

そう言って戸を閉じた矢先に外から悲鳴が聞こえる。

どうせまた何かやらかしたのだろう。放っておこうと思ったが話し声が微かに聞こえ、耳を傾ける。

「瀬戸明臣の命で。」

四行前の言葉を忘れたのか。どうやら俺は巻き込まれたらしい。

「……お前、もう外出るな。」

このまま放っておくと俺にも被害が及びそうだから連れ戻すことにした。

被害者っぽそうな女性に何度も頭を下げ、逃げるように店の中に入った。

どうやら俺はこの女の面倒を見なければならないようだ。

名前……教えなければ良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る