第7話 キス

新しいクラスに慣れ始めて間もなくの頃。高校では毎年恒例の身体測定が行われた。

さすがに春近と夏生は異性ということもあり、世は別行動をすることになった。

体操服に着替えた生徒たちが各自、スタンプラリーのように体育館や保健室を廻っていく。友人同士、身長を比べ合ったり体重を探り合ったりと存外に賑やかだ。

人見知りをする世もこのときには同性の友人が出来ており、一緒に回っていた。

「世ちゃーん、終わった?次は握力を測りに行こうよ。」

「うん。場所はー…、視聴覚室だね。」

身長を測り終え、測定場所が示されたプリントを確認しながらいちかと共に移動する。

廊下を歩いていると、窓を小雨が叩き出す音が聞こえた。梅雨の前哨戦のような日だった。

「あ、雨が降ってきたね。湿気嫌だなあ。」

いちかは髪の毛を一房取って呟く。彼女の髪の毛はくせっ毛らしく、まとまりにくいとよく嘆いていた。

「いちかの髪の毛、ふわふわしていて好きだけどな。」

世の感想を聞いて、いちかの表情がぱっと明るくなる。くるくるとよく変化するところが可愛らしいと、世は常々思っていた。

「やだー、ありがとー。私、世ちゃんの髪の毛も好きだよ。」

「ありがとう。」

まるで妹のような感覚を抱いていると言ったら失礼だろうか。だが、そのぐらいには親しい間柄だ。

到着した視聴覚室で握力を測定し、自らの秘密情報満載の測定表に数字を書き込む。

「世ちゃんって意外と力持ちだよね。」

高校生女子の平均以上の握力を叩き出した世を感心するように、いちかは言う。

「腕相撲、結構強いよ。」

世がぐっと拳を作って見せると、いちかは弾けたように笑った。

「頼もしい~。世ちゃんの彼女になりたい!」

花が咲くように笑い合い、二人は次の内科検診が行われている保健室に向かった。

「いちかちゃん、ごめん。教室に忘れ物したっぽい。」

その最中、世は書類の不備に気が付きいちかに申請する。

「ちょっと急いで取ってくる。先に行ってて。」

「了解。」

敬礼をするように手を掲げるいちかに見送られて、世は教室へと駆けていった。

生徒たちの教室が集まる校舎はしんとして、静かだった。雨音がより一層優しく響く廊下を世は行く。

教室の名前が書かれたプレートが見えてきて、ほっとして世は何も考えずに扉を引いた。ガラリ、と木製の扉は音を立て開く。

「…え…、」

教室には二人の生徒がいた。

机で突っ伏すように寝ている生徒の頬に、その生徒はキスをしていた。

「…。」

ふと視線を持ち上げた生徒と目が合う。

それは夏生だった。

世と夏生の間に流れる時が止まったような感覚に陥り、静寂を破ったのは眠っていた生徒…、春近だった。

「あれー…?もう、測定終わったん?」

あくびをしつつ、春近はのんきに背伸びをしている。

「…?どしたの。」

二人の微妙な空気をさすがに勘付いた春近が問う。夏生がごまかすように春近の髪の毛を乱すように撫で、席を外す。

「何だよ!?もー。」

ぐしゃぐしゃにされた髪の毛に文句を言う春近をそのまま残し、夏生は世とすれ違う。刹那、「ごめん、ちょっと」と声をかけられて、世はその後ろ姿を追った。

一人残された春近は、首を傾げていた。

足早に歩いて行く夏生に世は必死に着いていく。歩幅に差があるので、追いつくのが大変だった。到着したのは普段誰も通らない、非常階段の踊り場。背後で鉄製の扉が重く閉まったのを確認して、夏生が世に向かい合う。

「…どこから、見てた?」

小さな声だった。夏生のその声音は震えている。

「え、と…。見てたって言うか、見た…。」

「あの瞬間?」

夏生の問いに、世はぎこちなく頷く。

「そっか。」

夏生は大きく、深いため息をついた。そして踊り場の手すりに寄りかかる。

「…。」

しばらくの間、沈黙の帳が降りた。外に設置された非常階段に雨が降り注ぐ。

「…ごめん、濡れちゃうね。」

夏生はそう言うと、校舎に戻ろうとする。世は言い訳も弁明も何もしない彼の体操服の裾を掴んだ。

「私、誰にも言わない。」

世の言葉に、夏生は肩を震わせて足を止める。

「チカにも?」

少しだけ振り返って、夏生は迷子の子どものように心細そうな声で問う。

「うん。」

「そうか…。ありがとう。」

その瞬間、曇天の空から太陽の光が差した。温かい雨が止んでいくのを肌で感じる。

「世ー、夏生ー?」

扉の中、校舎の奥から春近が自分たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。いつまでもこの場に留まれば、春近が変に思うだろう。

「とりあえず…、行こっか。」

今度は世が先立って、歩き出す。その後ろで夏生は深呼吸を一回繰り返し、そして後を追った。

「あ、いた!」

世と夏生を見つけた春近が、駆け寄る。

「何だよ、どうしたんだよ。」

「ちょっと先生に呼ばれただけだよ。私は伝言係。」

二人だけで教室を出た理由を適当に偽ると、春近は首を傾げながらも納得したようだった。

「世も、もう身体測定終わったのか?」

どうやら早々に身体測定を終えて、春近と夏生は教室に戻っていたことを世は察する。

「私はあと、内科検診受ければ終わり。そうだ、忘れ物も取りに来たんだよ。」

「ふーん。世は案外、忘れっぽいよなあ。」

からかうように笑われて、世も苦笑しながら報復に春近の肩を小突くのだった。その間、夏生は眩しいものを見るように二人を見つめていた。

世は自らの机から内科検診の書類を取り出して、再び保健室へと向かう。教室で二人と別れる頃には、数人の生徒たちが戻ってきていた。

「…。」

いちかのもとへと急ぐ世の胸の内は、複雑な思いが渦巻いていた。


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