第1話 桜の雪

空を仰げば、桜の花びらがひらひらと舞っている。まるで温かな雪のようだ。

起立性調節障害を克服したといっても、眠気を伴わない朝は奇跡だ。毎朝、起床したときにカーテンを引く瞬間が好きだった。例えそれが雨の日でも、雪の日でも朝の光は柔らかく世の眼球を刺激した。

「んー…。」

朗らかに背伸びをして朝が来たことを喜び、世は高校へ行く準備を始めるのだ。

「行ってきまーす。」

紺色のセーラー服に赤いリボンをしめて、制服姿になった世がそこにいた。

「世、待って待って。お弁当、忘れてる!」

可愛らしいミニスカートを翻す娘を追って、母親が玄関に駆けてきた。

ローファーを履いて、爪先を地面に叩きつけながら世は母親から弁当の入った保冷バックを受け取る。

「ありがとう。」

「うん。あ、そうだ、今日、おじいちゃんのお店に行くのよね?」

世は頭の中でスケジュール帳を開いて確認すると、頷いて応えた。

「よろしく言っておいてね。今度、厨房の手伝いに行くって伝えてちょうだい。」

「わかった。」

母親から言付かり、今度こそ世は玄関を出るのだった。

今日は二年生に進級し、クラス分けが発表される日でもある。仲の良い友人と離れてしまうかもしれない緊張感と、新たに知る友人への期待に胸が膨らむ。

世が通う高校は坂の上にあった。行きは緩やかな上り坂が続く。

世のアンバーブラウンの色をした髪の毛が風を孕み、ふわりと広がった。人工的に脱色しなくても色素の薄い髪がほんの少しのコンプレックスを抱かせる。頭髪検査の度に教師から苦言を呈された。

『まぎらわしいから、黒に染めたらどうだ?』

教師の言葉に心は揺らいだが、祖父が反対したのだ。

『世の個性を殺すな。』

そう言って憤慨してくれる祖父に、世はよく懐いていた。祖父は世のことを全肯定してくれる。心地の良い自己肯定感の上げ方を教えてくれた。

物思いに耽っていた世がふと顔を上げると同じセーラー服に身を包んだ同級生や、紺色の学ランを窮屈そうに着る男子たちが同じ学び舎に向かっていた。友人同士で会話に花を咲かせたり、耳元に音漏れがするイヤホンを着けながら登校する者など他者多様だった。

「…!」

世は生徒の群れの中で、頭一つ分飛び出るようにして歩く人物を見つけた。夏生だ。

夏生は中学三年の後半からぐんぐんと背を伸ばして、今ではバスケ部員よりも身長が高い。ひまわりのような成長速度には目が見張るものがあった。思春期の女子の間でも話題に上ること多く、高評価を得ていた。

何人かは彼に告白をした、と聞いたことがあったが夏生はその誰とも付き合わなかったことで有名だった。

「…、」

夏生は今日も眠たそうに、あくびを噛み殺している。その横顔が、あの時の彼のままで世は人知れず嬉しさを感じていた。夏生と同じ高校に進学することを知ったときと同じ感情だった。

「世ー。おはよーう。」

名前を呼ばれて振り返ると、幼なじみの田所 春近がいた。

「おはよう、春近。」

家が隣同士の同い年というカードの強さで、春近とは腐れ縁だった。義務教育が同じ学校なのは当たり前として、まさか高校まで一緒だとは。それを聞いたときは驚いて、互いに笑い合ったものだ。

「何見てんの?…はっはーん。」

世の視線を追って、春近はにやりと口角を上げた。

「おーい!夏生!!」

「ちょっ、」

戸惑う世を置き去りにして春近は大きく手を振って、夏生に自らの存在をアピールする。夏生は春近の声に視線を向けて、近づいてきた。

「チカ、朝からうるさい。」

おはようの代わりに夏生は春近にチョップをかます。攻撃をあえて受けながら、春近はわざとらしく痛がるふりをした。そんな春近を無視して、隣にいる世に夏生は声をかけた。

「おはよう。水都さん。」

「お、はようございます。」

世の挨拶に夏生はふはっと笑う。

「何で敬語。」

「すみま、…ごめん。」

二人のやりとりを春近がまるで聖母の微笑みよろしく、見守っていた。再び、夏生のチョップが春近の頭部に直撃する。

「ったー!!何で、殴んの!?」

「何かムカついた。」

そう言いながらもじゃれる男子二名を見て、世は吹き出した。

春近と夏生は気が合うのか、よく一緒に遊んでいるところを見る。聞くところ「親友だ!」と春近は言っていた。

「二人とも、早く行かないと遅刻しちゃうよ。」

そう言って、世は春近と夏生を学校への道に急がせた。

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