第7話 「10年越しの――」

 『私達は昔会ったことがある』


 その言葉に驚いている私に、アシュレイ様は語りはじめました。


「――私たちが初めて出会ったのは、10年前の建国祭の日です」


 ……10年前、そんなにも昔からなの?


「当時の私は周りに集まってくる貴族達が煩わしくて、一人になれる場所を探していました」


「……アシュレイ様が、ですか?」


「えぇ。あの頃の私は少し……いえ、相当ひねくれていました。善人の仮面をかぶって周囲に良い顔をしながら、心の中では皆を見下す……とても嫌な子供だったと思います」


 ……今のアシュレイ様からは考えられないお姿だわ。


「……私には、腹違いの弟が一人いるんです。名前はリアム。他国から来た妾の子です。そんな境遇のせいで、弟はよく虐められていました。でも私は知らないふりをした。虐めていない自分を、優しいとさえ勘違いしながら……本当に最低な兄でした」


「そんな……」


「でもあの日……虐められていた私の弟を助けたのは――貴女だったのです、シェリル嬢」


 私は小さく息を呑んだ。


 そう言われれば、そんな出来事があったかもしれないわ。


 記憶の片隅に、この国では珍しい黒髪に赤い瞳の少年の姿が浮かぶ。


 もう随分と昔の事だから、忘れてしまっていたけれど。


 ……でも虐められていた男の子は思い出せたのに――アシュレイ様の顔は出てこないわ。


「貴女は私の弟を庇いながら、ただ見ていた私に『カッコ悪い。嘘つき』と言った」


「アシュレイ様にそんなことを!?」


 確かにあの頃の私は……後先なんて考えられる頭じゃなかったわ。


 ……ただ正義感が強すぎるだけの子供、だから『身分』にも興味なくて……むしろ威張ってる人が苦手だった。


「ええ。そして私の父は『弟』の件から……私の母親の横暴をただ黙って見ているだけの『カッコ悪い傍観者』になってしまった。私はそんな父親が大嫌いだったんです。でも貴女の言葉が、私も『父と同じ』だと気付かせてくれた」


 アシュレイ様のハートが黄色く変わる。


「その言葉が今でも心に残っています。私はその日、初めて自分が“傍観者”であることを自覚した。変わらなければ、と思えた。――だから、今の私があるのは全て貴女のおかげです」


 変われたのは、アシュレイ様が強い人だっただけ……私は何もしていないわ。


「すみませんアシュレイ様……私は昔から、“自分が正しい”と思ったら突っ走ってしまう癖があるんです……貴方様に対する無礼な言動の数々、どうかお許しください」


 頭を下げようとする私を、アシュレイ様がそっと制する。


「シェリル嬢、どうか謝らないで。謝罪すべきは私の方だ。そして……ずっと直接伝えたかった。ありがとう、と」


「え……?」


「――子供だった私を変えてくれて。本当にありがとう、シェリル。君に出会えて私は幸せだ」


 本当にこのお方は……どこまで私に優しければ気が済むの?


 アシュレイ様のハートが――今の言葉の全てが『本心』だと教えてくれる。


 私の周りは……皆嘘ばかりなのに。


「どうされたんですか? 何故そんな浮かない顔を……?」


「……実は最近……一番仲が良いと思っていた友人に、本当は嫌われていたことを知ってしまって……その事を思い出していました」


 ――きっとエルテナ様の加護がなければ……ずっと気が付かなかった、事実。


「それは……どう言う事でしょうか?」


「……小さい頃、アシュレイ様の弟様のように、ある令嬢が虐められているのを庇ったことがあるんです。彼女とはそれがきっかけで仲良くなりました。ずっと……友人だと思ってました。でもその子、本心では私のことが“大嫌い”だと思っていたみたいで」


「……」


「私が良かれと思ってやってきた事は、ただの自己満足だったんじゃないかって、そう思いました。彼女だけじゃないわ……私は人の気持ちを考えているつもりで……何も分かってなかった……――私はただの、お節介な子供だったんです。皆から嫌われて当然の」


 アシュレイ様はしばらく何も言わなかった。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「……そんなこと、ありません」


「え……?」


「私は実際に救われたんです。あなたのその“お節介”に。貴女があの日、弟や私に言った事――それがなければ、私は今もあの仮面をかぶったままだった」


「……」


「誰に何と言われようと、私は心から感謝しています。貴女のその正義感に」


 これも……本心なのね。


 アシュレイ様は、本当に……


「それだけは、絶対に変わらない事実です」


 その言葉に私の目からぽろりと涙がこぼれる。


 ……恥ずかしいから、早く止まってくれないかしら。お願いだから。


 アシュレイ様のこと……愛が重すぎる、少し怖い人だと思っていた。


 でも……それだけじゃ無いみたい。


 彼はその重さで、ずっと私を真っ直ぐ見てくれていた――誰の愛も受け止めれなくなった私を……ありのまま受け入れてくれた。


「……ありがとうございます。アシュレイ様にそう言っていただけて、嬉しいです」


 思わず笑みが溢れた私の顔を見て、アシュレイ様のハートがまた輝く。


 いつも以上に眩しく感じるのは……きっと涙が出てるからね。


「じゃあ……このまま私と婚約を!」


「それは嫌です」


「なぜ!? とても良い雰囲気だったでしょう!?」


「それとこれとは、別です」


「そんなぁ……」


 がくり、と大げさに肩を落とすアシュレイ様。


 ……でも、本心では少しも悲しいと思ってないみたい。


 私を元気付ける為に、わざと茶化したのね?


 断わられる事も見越してかしら?


「今は“まだ”婚約したくないです。アシュレイ様のこと、全然知らないですし」


「……え? そ、それって!」

 

「アシュレイ様のこと……これから沢山、教えてくださいますか?」


「も、もちろん! 何でも教えます! 何から知りたいですか!? 全部、全部答えましょう! ……いっそ、私の全てをリストにしてシェリルにお渡しした方が――」


「そ、それはいりません! 私はゆっくり知っていきたいので!」


「そうですか……確かに、その方が沢山の時間を共に過ごせそうで良いですね!」 


「うっ! 眩しいわ!」


 ――アシュレイ様があまりにも眩しく輝くから、私は見えなかったのです。


 ……奥の席に座る令嬢の頭にある、どす黒いトゲトゲのハートがどんどん膨らんでいる姿が。

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