3-5.黒瀬那奈の野望

「……」

 悠斗は無言のまま部室内に身を滑り込ませ、扉をそっと閉じた。

 相も変わらず多くの物が雑多に置かれた空間に二人の先輩たちが座っている。残念な美人と噂される部長の黒瀬那奈は、パイプ椅子に座りながらスマホに目を通していたが、悠斗の気配にすぐに気づき、声をかけてきた。


「おう、悠斗! なにびくびくしてる。おっかけから逃げてきたか? この、有名人!」

「えっ……」


 どうやら黒瀬も現在の悠斗を巡る騒動を耳にしていたようだ。更にもう一人の部員、只野も、読んでいた天文関係の雑誌から目を離し、


「なんか大変そうだな、大空」


 と悠斗を気遣うような視線を送ってきた。


「えっと…、色々ありまして……」


 どう説明すればいいのかわからず、悠斗は口ごもった。そこですかさず黒瀬が立ち上がり、間を詰めてくる。


「悠斗~、お前、実は凄い奴だったんだなぁ」


 黒瀬が意味ありげな笑顔を浮かべながら、顔を寄せた。その整った顔立ちに悠斗は瞬時見惚れたが、


「ちょっと、いいことを思いついたんだが――聞いてくれるか?」


 黒い瞳の奥に悪だくみの色が滲むの見て、悠斗は思わず身を引いた。嫌な予感しかしない。


「えっと…、遠慮したいんですが……」

「あのな、今現在、我が天文部が置かれている窮地をわかっているよな?」

「あー、その、部員不足ですよね?」

「その通り! 入学式での特別なパフォーマンスにも関わらず、未だに新入部員はゼロ! このままでは、廃部だ」


 黒瀬のこの言葉で、悠斗は入学式での悪夢が蘇った。バニーガールと執事のコスプレでの新人勧誘――あれのせいで、逆に誰もこの部に寄り付かなくなったんじゃ、と悠斗は思っていたが、もちろん口にしたりはしない。


「そこでだ――悠斗ぉ~、お前の力、貸してもらおうかなって……」

「力…?」


 黒瀬の目が真っ直ぐに悠斗を見つめる。こうして見るだけなら、本当に美人だな、なんて思った次の瞬間、その美人から意外過ぎる言葉が出た。


「そう、文字通り貸すんだよ。レンタルだ。各運動部にお前を貸し出し、その代わりに一人づつ、我が天文部に籍を置いてもらうのさ。なーに、本当に活動してもらう必要はない。幽霊部員でいいんだ。五人以上、所属部員さえいれば問題ないんだからな。最低二つの部、万一を考えればできるだけあちこちに貸しを作っておきたい。ふふふっ、どうだ、いいアイデアだろ、悠斗!」


 どうだとばかりに胸を張る黒瀬に、悠斗は目をまんまるくし、言葉を失った。一方、その脳内では、


(ほう、悠斗の力をレンタルとは、この女、なかなか面白いことを考える)


 ヴァルが黒瀬の提案に感心していた。


(面白くないよ、ヴァル。困るよ、そんなの…)

「あ、あの…、そういうのは、僕はちょっと……」


 悠斗は断りの声をあげたが――


「これはチャンスなんだぞ! 廃部を逃れるにはこれしかない。今、全ての運動部がお前を欲しがっている。いいか、これは凄いことなんだ。求められているんだぞ、皆に。それに応えないで、どうする、悠斗! 男として、いや、人として、求める皆の為に力を貸そうとは思わないか? そうすべきだろ? そのついでに、我が天文部も助かる。一石二鳥、一挙両得、これ以上のいいアイデアないだろう? なあ、悠斗!」


 早口で畳みかける黒瀬に、悠斗はまるで洗脳されたかのように、そうすべきなのかと思い始めていた。そう、彼はお人好しなのだ。強く頼むと言われれば断れない。


「あ…、そう、です、かね……?」

「そうだ。うむ、これはお前の為にもなる」


 バン!


 悠斗の両肩を黒瀬が強く叩く。


「主人公になる時が来たんだ、悠斗! チャンスを逃すな!」

「あ…、はい…、わかりました」


 悠斗の口から了承の言葉が漏れる。

 それを聞いた瞬間、黒瀬の口元がニヤリと歪む。


「よーし、じゃあ、私がお前のマネージャになってやる。運動部との交渉は全て任せておけ。いいな!」

「あ、はい…、お願いします」


 黒瀬の術中にすっかりはまった悠斗。そんな二人の様子を見ていた只野は、小さくため息をつき、やれやれといった感じで悠斗に憐みの瞳を向けていた。

 そんな感じで話がうまくまとまった、かと思った時、部室の外が何やら騒がしくなってきた。


『大空悠斗は何部だ?』

『確か天文部だ』

『げ、あの黒瀬のところか――!?』

『天文部なんてもったいない、あの運動神経!』

『何階だ、天文部の部室は?』


 そんな声が、人のざわめきと共に聞こえてくる。


「まずい、すぐにここに来るぞ……」

 悠斗が思わず入り口のドアを振り向いた。この狭い部屋じゃもう逃げられない。今のうちに外に出て、走って逃げるか?

 そんなことを考えていると、


「ちっ、いま悠斗の身柄を押さえられるのはマズいな。交渉を有利に進めるのは、お前はいないほうがいい。――逃げろ、あそこから」


 黒瀬がこの部屋唯一の窓を指さす。


「え、でも、ここ、三階――」

「大丈夫だ。こんなこともあろうかと――」


 黒瀬が部屋の隅の段ボールを手を突っ込み、何かを取り出した。


「こいつを用意してある」


 そう言って示したのは、避難用の縄梯子だった。


「緊急脱出用にと、去年、学校に買わせた。ふふ、まさかこんなに早く出番が来るとはな」


 言いながら黒瀬が縄梯子を悠斗に押し付ける。


「さあ行け、悠斗! 奴らが来ないうちに!」


 ビシッと奥の窓を指さし、かっこよく叫ぶ。


「え…、でも、これ、大丈夫ですか?」

「問題ない、テストはしてないがな」

「え、あ…、ちょっと――」

「急げ! 学校が買ったものだ。信頼はおけるだろう。大丈夫だ、信じろ!」

「……わかりました」


 悠斗は渋々部室の奥へと歩んでいった。そんな悠斗に、只野が一言声をかける。


「いつも悪いな、那奈の悪乗りにつきあわせて。すまんが、がんばってくれ」

「あ、その…がんばります」


 窓を開け、避難梯子を設置する。只野も手伝い、用意ができると、悠斗は一度深呼吸をしてから、外に身を乗り出した。


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